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2017年 1月


 2017年 1月 18日 (水)


 
    
 【 自然減の実感 】
 新聞の「お悔み欄」。 毎日見ていますが
 夕張の欄もたいてい目を通しています。

 実家の近所でも暮れから今月にかけ身内が
 二人相次いで物故し、夕張の杜コンサート
 や同級生のお身内でも二人。この三週間で
 夕張市の人口がここだけで4人減ったのは
 確かです。 私の身内は九十歳台と百歳台
 なので、やむを得ない部分もありますが、
 人口の自然減というのは、こういうことか
 と実感しているところであります。

 右表は昨年12月末の夕張市の地域別人口
 ですが、総人口は8685人で、ついに8700人
 も切りました。 高齢化が進んでいるので
 亡くなられて人口が減るのは他の町以上に
 避けられない要素なのですが、一番寂しい
 人口の減り方には間違いありません。

 私の家は父方が登川、母方は楓から登川・
 真谷地へと住んでいたのですが、表では楓
 の人口が65人、登川が19人、真谷地が
 173人となっています。 ダムに沈んだ
 鹿島地区を別にしても、福住から北や高松
 ・南部菊水町がすでに人口ゼロです。

 どんな市政も人がいないのではお話になり
 ません。 新年早々から訃報続きで、つい
 下を向きがちな今日この頃です。



 2017年 1月 11日 (水)


 
2015年7月の夕張警察署。 赤い欄干は本町二丁目
十字街に至る通称「思い出橋」。 警察署の右奥には
電柱の陰で判りにくいが、市役所の庁舎が見える。
    
 【 ついに警察も 】
 以前から話には聞いていましたが、今年4月1日から夕張警察署が栗山警察署
 に統合されるそうです。

 警察署の建物が無くなるわけではないようですが、組織上の夕張警察署は消滅
 することになります。 おそらく人員も減るのではないでしょうか。

 今年の誕生日で満百歳を迎える私の伯父は、今の夕張警察署の場所で生まれた
 そうです。 百年前は長屋が何棟か建ち並んでいて、伯父はその長屋で生まれ
 たということですが、幼少期に火災で周囲全部が焼失し、旧炭鉱病院と東山神
 社の間くらい(住所は社光になるのかな)の高台の家に引っ越したそうです。

 伯父はその家から、線路のわきを歩いて駅の奥で橋を渡り、青年訓練所(伯父
 は「青年学校」と言っていたけれど、多分「青年訓練所」だと思う)に通って
 いたそうです。 社光→高松→福住、というルートですね。

 百年後の今日、旧夕張駅周辺は地形ごと変わってしまって、昔の姿を思い浮か
 べるのも困難になってきました。 私が今の伯父と同じ年になった頃(生きて
 るかどうかがそもそも怪しいけど)には、どんな景色になっているのかなあ。
 楽しみ、というよりは聊か切ない気がしています。



 2017年 1月 5日 (木)


 
   「キハ22」の車内
    
 【 初夢 】
 初夢というのは「1月2日の夜に見る夢」だそうです。 今年は昨晩まで全く
 夢を見なかったので、厳密には「初夢なし」なんですが、一応年明けに初めて
 見た夢ということで書いてみたいと思います。

 それは通学列車の夢でした。 北高時代の三年間、私は列車で通学しておりま
 した。 当時の国鉄夕張線では「キハ22」という気動車がほとんど(という
 か、この型しか使われていなかったと思う)でした。 写真のように床はまだ
 木製でデッキは仕切られ、ドアは半自動(自動で閉まるけれど、開けるときは
 手動)、冷房はなく扇風機が天井に並んでいるような車両でした。

 北高だけでなく南校も工業も、列車通学生はみな同じ時間帯に通学しますから
 特に朝の混雑度はけっこうなもので、ホームでの停車位置が今ほど正確でなく
 せっかく並んでいても全く違う位置に停車したりするので、ホームは毎朝大混
 乱でした。

 夢の中はストーリーも何もなく、ただ真冬の朝の通学列車の喧騒の中で、友人
 たちと話をしているだけのものでしたが、目が覚めた時は何だかとても懐かし
 い気持ちになりました。 木の床の感触や座席下にあったヒーターの熱気まで
 実にリアルに感じられるような夢でした。 こういう夢もいいもんだなあ。



 2017年 1月 1日 (日)


 
    
 【 謹賀新年 】
 新年おめでとうございます。 2017年の幕開けです。

 いまこの欄を年明けすぐのNHK生放送で岩崎宏美さんの歌を聴きながら書い
 ていますが、バックのオーボエが北高の吹奏楽部の後輩だったS君であること
 に気がつきました。 年越しで仕事してるんだねえ。

 今年の我が家周辺は雪が例年よりかなり多く、暮れも押し迫ってから排雪作業
 が入りました。 12月中に排雪作業が行われるのはかなり珍しいことです。
 もっとも今回の排雪はあくまで車道の拡幅が目的だったらしく、ご覧のとおり
 路肩の山の高さはほとんど変わっていません。 我が家の前からこの通りに出
 ようとすると、残った路肩の雪壁が視界を遮って左右が全く見通せないので、
 ずっと遠回りして信号のある交差点から表通りに出るようにしています。

 今年の初夏には、このHPも十年目(この欄は九年目)を迎えます。 なんだ
 かんだ、ぐだぐだと長く続いたもんだと思いますが、どこまで続けられるもの
 か、できるだけ頑張っていこうと思います。 今年もよろしくお付き合いくだ
 さいませ。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記