2017年 2月27日 (月) |
|
【 大火の記憶 (2) 】 | |
火勢は収まる気配を見せず、26年当時は閉山時の事務所の道路向かい(坂を上る途中の左手の石垣の上)に建っていた炭鉱事務所や 工作所のあたりまで回りました。 外壁が石造りの事務所は何とか全焼を免れましたが工作所は消失、火の手は更に奥に進みました。 母の実家は祖父が炭鉱だったので、炭鉱病院の少し奥の社宅でした。 火の手は炭鉱病院の手前まで到達し、状況はかなり差し迫って いましたが、職場がいま燃えている祖父は自宅どころではありません。 そこで家の避難は母の祖母(祖父の母)が仕切ることになり ました。 熊本武士の妻である私の曾祖母は非常に肝の据わった人でした。 彼女は隣の合宿所に住む若い社員に家財の避難を頼み、 ありったけのご飯でお握りを作って、真谷地小学校の奥から山越えして楓に逃げる準備を進めました。 当時は真谷地小学校の横から 楓の変電所の橋があった沢まで抜ける道があったそうなんです。 私の伯父は、戦争から復員して少しの間、毎日この道を通って登川 から真谷地に通勤していたそうですが、今では考えられないですね。 しかし火の手は炭鉱病院まで回りませんでした。 写真ではズリ山になっていますが、昭和26年当時は、炭鉱病院の西は沢になって いて、奥に沼(「病院の沼」と呼んでいた)がありました。 火の手は沢伝いに北側に進んだのです。 その頃はもう暗くなっていて 夜目だと炎の凄まじさとバキバキと生木が裂ける音がとても不気味だったそうです。 この時の煙は山の向こうの南部でも見えたそう ですので、相当のものだったのでしょう。 火災は夜のうちに自然鎮火しました。 下の写真でいえば左下の真谷地市街から、映画館(後に体育館)の西側までの全ての建物と、 病院の沼から西側の線路より北側の全ての建物が焼けてしまいました。 24日のこの欄の写真に写る真谷地市街も全てが大火の後に 再建されたものです。 私が物心ついた頃・昭和30年代の真谷地は、子供の目には結構歴史と年月を感じさせましたが、改めて数えると復興後十年も経って いなかったのですね。 今はこの写真で人が住んでいるのは市街まで、踏切のところにゲートがあってそれより奥には立ち入ることも できません。 もちろん建物も取り壊されています。 母の知人の話では家の周りで菜園を作ろうとしても、鹿の食害に遭ってできな いそうです。 開拓前の原始の森に還ろうとしているということでしょうか。 これだけの大火から復興したのに、何とも空しい気が してなりません。 平成29年1月末の真谷地の人口は170人。 数年前から区ごとの人口統計がなされなくなった(というか、そもそも区という呼名 が正式には消えているかも)ので、どこに何人住んでいるのか判りませんが、往時を知る人には寂しい限りでしょう。 特に真谷地に 住んでいた方々に、この機会に先人たちの努力と活気のあった頃の街の姿を思い出していただければ幸いです。 |
|
![]() 大火から26年後;1977年(昭和52年)9月25日撮影の真谷地(国土交通省国土政策局HPより) 左下隅が市街、右端が1区 この写真から10年後、真谷地炭鉱は閉山する。 脚注は大火当時の地図に基づくので、写真とは多少違っている箇所がある。 なお現在、真谷地市街より写真右側に建築物はほとんど残っていない。 |
2017年 2月24日 (金) |
![]() 昭和50年代中ごろの真谷地市街・画面奥が沼の沢(松田芳明氏『ふるさとヤマ真谷地』より) |
|
【 大火の記憶 (1) 】 | ||
母の同級生が今も真谷地に住んでいて、数日前に地元 の物などを送っていただきました。 その荷物をきっかけに母が真谷地の大火の時の記憶を いろいろ思い出して話してくれまして、母もだんだん 高齢になってきたことでもあり、記憶が明瞭なうちに 文字に起こしておこうと思います。 火災の発生は昭和26年5月の下旬(実は私はもっと ずっと昔のことだとばかり思っていた)、母が高校の 修学旅行から帰ってきて何日も経っていない昼過ぎの ことでした。 左の写真は三区のアパートの屋上からのものですが、 火元は写真左端の並びの中程にあった寮(元は小料理 屋だった建物)の台所で、昼食の揚げ物の油に引火し たのが原因だったそうです。 まだ耐火材はおろかモルタルの外壁すら珍しかった頃 のこと、火は瞬く間に燃え広がり右写真のほぼ全てが (写真中央の道路の突き当りに少し見難いけれど消防 の櫓が写っていますが、そこから手前全部が)消失、 さらに風に乗って右側の山に延焼しました。 火勢はほとんど手の付けられない状態で、この写真を 撮影している三区のアパートが建つ前に映画館の近く まで建ち並んでいた長屋も全焼し、山伝いの火の手は 機関車の車庫や踏切を超えて、二区に向かって左手の 斜面を焼き尽くしていきました。 (続く) |
2017年 2月17日 (金) |
![]() |
|
【 冬の終わり・・・か? 】 | ||
例年の風物詩となっている町内の排雪作業が行われました。 自宅前でこれだけの種類の重機が次々と動き回る光景は、雪の ない地方の方には中々見られないと思いますが、その間2日間 ほぼ自家用車の出入りはできませんし、騒音も振動もかなりの ものなので、不自由なことも多いんです。 ロータリ除雪車とダンプは東洋運搬機と日産ディーゼル(右上) ホイールローダは川崎重工(右下)、ホイールショベルは神戸製 鋼所(左下)、これにコマツと日立が加われば国内主要建設機械 メーカー揃い踏みみたいな顔ぶれは見ていて楽しいですけど。 この作業が終われば、だいたい冬も終わり・・・と言いたい所 ですが、今晩から再び冬型の気圧配置で降雪の予想も。 春は そう簡単に来てはくれないみたいです。 |
||
![]() |
![]() |
2017年 2月12日 (日) |
![]() なかなかの出来だと思うが・・・ |
|
【 流行りもの 】 | ||
今年も「札幌雪祭り」に行ってきました。 2月12日16時現在の札幌の積雪は72cmで平年比97%、12月の降り始めに一気に積もった もののその後は大雪がなく今はほぼ平年並みの雪の量です。 それでも雪祭りの雪像製作期間中は まだ平年よりだいぶ積雪が多かったですし、気温も真冬日が連続していたので、雪祭りにとっては 好条件だったかもしれません。 開催期間後半の今日でも雪像は良好な状態で保たれているものが 多かったようです。 毎年雪像はその時々の時流を反映したものが多くなりがちですが、今年は「PPAP」と「トランプ大 統領」がそのカテゴリーの代表でしょうか、写真の雪像なんかは中々の出来栄えですよね。 最近 は「プロジェクション・マッピング」が人気なので、夜のほうが混み合うようで、私たちは混雑を 避けて日中に行きましたが、平日ということもあり想像していたよりは空いていました。 夕張の積雪はというと同じく68cmで平年比66%ですから今季は雪の少ない冬と言えましょう。 岩見沢・美唄もそれぞれ46cm/48%・34cm/38%ですから、今年の積雪量は完全に札幌と 南空知が逆転してしまいました。 2月ももう中旬、暦の上ではもう立春を過ぎました。 雪も寒さもまもなくピークを越します。 毎年繰り返される季節の変化ですが、もう少しの辛抱ですね。 |
2017年 2月 6日 (月) |
![]() 夕張駅から望むホテルレースイ |
|
【 背に腹は代えられぬ・・・のか? 】 | ||
先月末のニュースになりますが、夕張市はかねてより売却先を探していた4施設について、東京都墨田区 に本社を置く中国系企業「元大リアルエステート」に合計2億2千万円で売却することで仮契約を結んだ そうです。 4施設はホテルシューパロ・ホテルレースイ・マウントレースイスキー場・ファミリースクールひまわり であり、いずれも現在は加森観光の子会社である「夕張リゾート」が管理していますが、今年3月で契約 が切れ、建物の老朽化も進んでいることから昨春から売却先を探していたそうです。 正直この「元大リアルエステート」という企業名を私は全く知りませんでしたし、4つで2億2千万円は ずいぶん安いような気もしますが、日本経済新聞によれば「試算では今後25年間のメンテナンス費用は 62億円」だそうですから、年平均2億5千万ほどの負担が発生します。 それだけ稼げるのかどうかと いうことになるのでしょう。 背に腹は代えられぬ、ということでしょうか。 日本経済新聞の記事は「人口減に歯止めがかからない中で、街のにぎわいを保つために欠かせない大型の 宿泊施設。 夕張再建のカギとなる観光施設の将来を、市は能力未知数の企業の手に委ねることになる」 と結ばれています。 素直な気持ちを申し上げれば私も同様な感想で、全面的に喜ぶ気持ちにはなれない でおります。 2月上旬といいますから、まもなく正式契約となるそうですが、質も含めた雇用の維持・ひまわりの将来 など気になることは多々ありますので、これからもアンテナを張っていようと思います。 |
2017年 2月 1日 (水) |
![]() |
|
【 定数削減 】 | ||
厳しい寒さが続いているうちに2017年もひと月が過ぎ、今日から2月になりました。 先ほど家内と買い物に 行ってきましたが今日も外は吹雪です。 暮れまでは大雪でしたが、年が明けてからは気温の低さが特徴的で 私の家のあたりも日中の最高気温が―7℃なんて日もあり、真冬日が連続しております。 2月1日15時現在の夕張の積雪は62cmで平年比65%。 札幌は82cmで平年比124%ですから、今年 に限れば札幌のほうが積雪が多いということですね。 日本海側からやって来る雪雲が上流の札幌近辺で雪を 落としてしまうので、下流側にあたる岩見沢や夕張にはあまり雪が降らないということでしょうか。 札幌も 昨年暮れあたりは平年の倍以上の雪がありましたから、だいぶ普通の量になりましたが、雪の捨て場所に困る 状態は相変わらずです。 夕張の厳しさは冬の寒さばかりではないようで、新聞に市議会議員の定数削減のニュースが載っていました。 現在、市議会議員の定数は9名ですが、これを1名減の8名にするということです。 これは歌志内市と 並んで日本最少の議員数だそうで、財政破たん前の半分以下です。 まあ人口196万人の札幌市の議員 定数が68名ですから人口比でいえば8名でもいいのかもしれませんが、議会政治を成立させるにはぎり ぎりとも考えられます。 何れにしろ気分的に寒くなるニュースではありますね。 |