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2017年 11月


 2017年 11月 28日 (火)


 【 夕張線を行く その16 】
 列車はほどなく終点・夕張駅に到着しました。
 このHPの表紙にもなっている寄棟造りの旧駅
 から市民会館隣接の旧夕鉄本町駅跡に移転した
 のは昭和60(1985)年、更に平成2(1990)年に
 現在のホテル・レースイ前に移転しています。
 最初の駅からは計2.1kmも鹿ノ谷寄りです。

 当日はお年寄りの乗客が多かったですが、市立
 診療所へ行くにしても、市役所に行くにしても
 この駅の立地は便利とは言いかねます。じゃあ
 観光客が利用しているかと言えば、鉄道マニア
 が少しいるだけで、ホテル利用者と思しき乗客
 は見当たりません。移転に際してきちんと利用
 状況の調査と見込みをしたのか、大いに疑問を
 感じました。

 今回の旅はここで終わりとなりますが、夕張駅
 だけが私が通学していた時代とは場所も駅舎も
 変わっているので、全く懐かしくありません。

 右の写真だけ見たら、何だか無機質で規格化さ
 れていて、この景色のどこが夕張なの?とつい
 言いたくなってしまうのでした。



 2017年 11月 27日 (月)


 【 夕張線を行く その15 】
 鹿ノ谷駅を出ますと、ホテルレースイ前にある
 終点・夕張駅までは僅か1.3km。坂の上にある
 かつての北高に行くのと、距離的にはほとんど
 変わりません。

 昔の通学ルートでは鹿ノ谷駅から線路の土手下
 にある裏道を通り、旧市場のところでバス通り
 に出ますが、線路のほうはここで志幌加別川を
 鉄橋で超えます。

 小学校3年から、年に一度日帰りの見学旅行が
 ありまして、最初は夕張市内の見学で旧市役所
 の議会や警察署とともに、市場にも来た記憶が
 あります。 写真中央の重機の手前あたりが、
 かつて市場の建物があった場所ですが、ご覧の
 通り今は更地になっています。

 写真の更に左外、バス通りの向こうの並びには
 シナモンドーナツで有名な「うさぎや」が今も
 あります。 同じ並びで写真の中央より少し右
 の空き地のあたりに天ぷら屋の「あべ(音だけ
 で字が不明)」さんがあって、クラブの帰りに
 芋の天ぷらやかき揚げやらを新聞紙にくるんで
 もらって汽車の中で食べたものでした。

 写真の鉄橋も学生時代、帰りの列車に間に合わ
 なくなりそうになると、両手に鞄と楽器をかか
 えて全力疾走で走り抜けていましたが、今見る
 と相当の高さです・・。 若い頃は「万が一」
 という想像はしないもんなんでしょうね。



 2017年 11月 25日 (土)


 【 夕張線を行く その14 】
 清水沢から12分、列車は鹿ノ谷駅に到着しま
 した。

 今日は1両だけですが、私が通学していた頃は
 便によっては6両編成なんてこともあったので
 かなり長いホームが必要でした。

 写真は毎朝私が列車を降りていたあたり、いわ
 ば「定位置」から撮影したものです。 当時は
 駅前広場のすぐ左まで建物があったような気が
 しますが、今は空き地が目立ちます。

 それでも駅舎のすぐ左に写っている石造の倉庫
 など、記憶にある建物もいくつか残っているよ
 うで、少しだけほっとします。

 鹿ノ谷駅も、夕鉄の車庫や引込線などがあって
 構内はかなり広大でしたが、今はレールが一対
 伸びているだけ、跨線橋もかなり前に姿を消し
 ています。

 今回見ていると、夕張駅へ向かう便で鹿ノ谷駅
 で乗降した人はありませんでした。二つの高校
 の通学駅だった頃を知る世代としては、何とも
 寂しい気分にさせられました。



 2017年 11月 24日 (金)


 【 夕張線を行く その13 】
 若菜の市街を過ぎてまもなく、左手に夕鉄バス
 の本社&バスターミナルが見えてきます。もう
 少し右手(鹿の谷方向)に進めば、二股トンネル
 へ向かう交差点という位置です。

 写真の通り今や建物の看板にも「夕鉄バス」と
 書かれていますが、実は正式な会社名は今でも
 「夕張鉄道株式会社」、社名に「バス」の文字
 は入っていません。

 野幌まで通じる鉄道の開業は大正15(1926)年
 だそうで、錦沢に遊びに行った記憶のある方も
 おいでと思います。 私も乗ったことがあるは
 ずなのですが、残念ながら記憶がほとんどあり
 ません。 急坂を登るためのスイッチバックや
 日本初の流体継手式気動車の採用など、改めて
 みればマニア受けしそうなポイント満載の鉄道
 だったのですけれどね。

 ここにターミナルが移転してきたのは、1982年
 9月のことだそうです。 すでに35年以上が
 経つのですが、私のイメージは現在より少し南
 寄りの、道路両側に並んだ車庫も兼ねた昔の姿
 のままで止まっています。

 今でも国道や観光地の駐車場で、「夕鉄バス」
 と書かれた赤い車体を見ると何となく懐かしい
 気分になるのは私だけでしょうか。



 2017年 11月 23日 (木)


 【 夕張線を行く その12 】
 トンネルを抜けるとまもなく、左手に平和鉱
 のズリ山が見えます。

 平和鉱は昭和50(1975)年まで採炭していま
 したから、私が通学していた頃は高温で煙が
 上がっていて草木などは全く生えていません
 でした。 向かって右の尾根伝いにトロッコ
 の軌条が伸びていて、毎日眺めていると判り
 ませんでしたが、少しずつ山頂が写真左側に
 移動しながら高くなっていくのでした。

 冬になっても地熱で雪は降った先から融けて
 いくので、一面の雪景色の中でここだけは夏
 と変わらぬ黒々とした山容が車窓いっぱいに
 広がっていたものです。

 以前も書きましたが、ちょうど平和鉱が閉山
 した年の、日付も忘れない10月27日の夕方、
 友人と二人で日吉の後輩の家を訪ねたことが
 あります。

 夕方暗くなってその家を出ると15cm以上も
 雪が積もっていて一面の銀世界。 写真にも
 写っているバス道路まで何とか出たものの、
 バスだけじゃなく車というものが全く通りま
 せん。 すでに雪は止み、目の前には青白い
 月に照らされたこのズリ山の黒々としたシル
 エットが・・・全ての音が消え去ったような
 あの時の幻想的な風景は今でも忘れません。

 いつかあの情景を音楽にしようと思いつつ、
 未だ形になっていませんが、そろそろ何とか
 しなくちゃな・・・。



 2017年 11月 21日 (火)


 【 夕張線を行く その11 】
 清水沢を出た列車は夕張線で最も狭い峡谷の
 地形の中を縫って走ります。

 時季がもう少し早ければ右手にみごとな紅葉
 が望めた場所ですが、もし季節が合っていた
 としても、伸び放題の灌木が邪魔をして今は
 志幌加別川の渓流も対岸もほとんど見ること
 ができません。今回久しぶりに乗車して一番
 がっかりした区間です。

 鹿ノ谷駅までは6.6km。 夕張線で最も駅間
 が長い区間ですが、唯一のトンネルもこの間
 にあります。そう言えば昔は「隧北/隧南」
 という呼び方があって、このトンネルが市内
 を南北二つに分けておりました。

 夕張市民なら誰でも知っているこのトンネル
 ですが、「稚南部(わっかなんべ)トンネル」
 という名前だということは、ほとんどの方が
 ご存じないと思います。1918年完成ですから
 来年で築100年。 全長161.3mのトンネルは
 老朽化が進み、平成26年2月から25km/h
 の徐行運転で通過することになっています。

 老朽化により内面レンガ覆工の劣化・漏水に
 よる結氷・軌道の凍上などの問題があるため
 で、この対策だけで6億5千万円の費用が見
 込まれ、廃線の理由の一つになっています。

 トンネル以外だと南清水沢~清水沢間にある
 「第8志幌加別川橋梁」が喫緊の対策が必要
 とされていて、こちらの対策費が9千万円。

 これ以外にも13の橋梁で老朽化が懸念され
 ているようです。なにせ百年経ってますから
 仕方がないのですが、これらから見ても鉄路
 の存続は難しいでしょうね・・・。



 2017年 11月 20日 (月)


 【 夕張線を行く その10 】
 列車は清水沢駅のホームに到着しました。

 昨日、夕張支線の中で南清水沢~清水沢間が
 駅間が最も短いとつい書いてしまいましたが
 現在は夕張駅が末広に移ったため、鹿ノ谷~
 夕張間が一番短く1.3kmで、次が1.5kmの
 南清水沢~清水沢間でした。訂正します。
 
 沼の沢駅もそうですが、てっきり以前の1番
 ホームに列車が着くと思っていましたら、今
 はご覧のとおり3番ホームの位置に一本だけ
 残ったホームに停まります。

 駅舎そのものは往時とほとんど変わっていま
 せんが、大夕張や南大夕張(三菱)鉱からの
 石炭積出しの貨車であふれていた引込み線も
 蒸気機関車の煤煙で真っ黒だった跨線橋も姿
 を消しています。

 清水沢駅は夕張支線の中で最後まで有人駅と
 して残っていましたが、2015年10月1日から
 無人駅となっています。 定期券の発行業務
 などはJRが各学校に出向いて行っているよ
 うです。

 駅舎の左側にオレンジ色の壁が見えますが、
 これが文房具の「文化堂」で、こちらは今も
 変わらず営業しています。駅前にはタクシー
 の姿も見えますが、利用客、いるのかなあ。
 他の駅もそうですが、2011年6月のこの欄
 往時の夕張線の各駅の写真を載せていますの
 で、比較していただければと思います。



 2017年 11月 19日 (日)


 【 夕張線を行く その9 】
 南清水沢を出て3分弱で列車は清水沢に到着
 します。この区間は夕張線で駅間距離が最も
 短くあっという間に着く感じです。

 右手を見ていると、かつて両側に並んでいた
 商店街の線路側がすっかり取り壊されている
 ため、妙に見通しが良くなっていることに気
 がつきます。

 写真中央に緑色の庇(ひさし)が見えますが、
 これが「長寿庵」、左端には「大黒屋」旅館
 も見えますが、いずれも現在営業しているか
 どうかは判りません。写真では右に見切れて
 いますが、「五津屋」や眼鏡の「清光堂」の
 看板も見つけることができました。わが家は
 家電製品を「ツバメ電器」(リリーズの実家)
 から買っていて、店頭にも何度も行っている
 のですが、写真より左を見ても、建物がどれ
 だったか私には判りませんでした。

 この写真には通行人が全く写っていません。
 新鉱最盛期には夕張市内で最も活気があった
 場所だけに時の流れをより強く感じました。



 2017年 11月 18日 (土)


 【 夕張線を行く その8 】
 南清水沢は夕張線の中で最も新しい駅です。
 開業は昭和37(1962)年、ここに駅ができた
 最大の理由は、おそらく南高への通学のため
 ではないかと思います。

 私にとっては、毎日北高に通う途中の通過駅
 でした。 改めて思い出してみても夕張線の
 中でこの駅だけ一度も乗り降りしたことがあ
 りません。 ですから右の写真のアングルが
 私にとっては一番見慣れた南清水沢駅の風景
 ということになります。

 その頃は確か4人いた駅員さんが全員女性と
 いう珍しい駅で、TVで取り上げられたこと
 もあったように記憶しています。

 現在は、駅横の踏切の延長線を山側に登った
 場所に夕張中学校も建っているので、二つの
 学校の最寄り駅となっています。 また人口
 も地区別では南清水沢が最も多いので、夕張
 線の中では利用客が多い駅ではないかと思う
 のですが、私の乗った今回は平日の昼という
 ことで乗降客はまばら。 晩秋の日差しの中
 に駅舎は静かに佇んでいるのでした。



 2017年 11月 15日 (水)


 【 夕張線を行く その7 】
 列車が南清水沢駅まであと500m程という
 地点まで来ますと、左手に夕張高校が見えて
 きます。

 私は昨年秋、第49回夕張の杜コンサートの
 時に初めてこの校舎に足を踏入れたましたが
 南高時代からすでに使われていたこの校舎、
 私の世代にはまだ馴染みがありません。

 旧南高校の校舎はグラウンドの奥に建ってい
 ましたので、それを見慣れた目にはずいぶん
 校舎が近くに感じます。 車窓からの景色に
 限れば、手前に広い空間があって背後の山々
 まで見渡せる旧校舎の時代のほうが、校歌の
 歌詞「山々青く学舎の・・」という描写には
 ぴったり来る感じがします。

 実はこの写真は連写の中の一枚なのですが、
 この前後は熊笹やら根曲がり竹が伸びていて
 視界を遮っています。

 今の夕張支線は全線を通じて線路わきの藪草
 が伸び放題になっている箇所が多く、車窓か
 らの眺めはあまり良くありません。 昔なら
 保線の人達が絶対に放っておかったと思いま
 すが、今やそんな人員はいないのでしょう。
 何となく鉄路そのもに愛情が感じられない、
 と思ってしまうのは私だけでしょうか・・。



 2017年 11月 13日 (月)


 【 夕張線を行く その6 】
 前日の写真を撮影したのと同じタイミングで
 撮影した鉄道橋の写真です。

 国道の橋のほうは「清沼橋」ですが、鉄道の
 橋の正式名は「第一夕張川橋梁」、地元では
 ある程度以上の年齢の人は「第一鉄橋」と呼
 んでいる鉄橋で、完成年は大正7(1918)年、
 全長は102.9mだそうです。

 この写真は沼の沢方向を撮影したものですが
 母が高校時代に「近道」として渡っていた頃
 には(もちろん当時でも鉄橋を渡るのは違法
 行為です)には、線路左側にある人用の通路
 はなかったそうです。

 この鉄橋も、他の夕張支線のほとんどの橋梁
 と同様、老朽化橋梁としてカウントされてい
 ます。 夕張市HPに資料が公開されていま
 すが、おそらく補修には億単位の費用がかか
 ると思われます。 今の利用状況だととても
 収支の合う状況ではないでしょう。 夕張線
 を取り巻く環境は非常に厳しいようです。



 2017年 11月 12日 (日)


 【 夕張線を行く その5 】
 何だか橋の写真ばっかりみたいですが、今日
 の写真は「清沼橋」です。

 この橋が夕張支線沿線では一番長いんじゃな
 いかと思いますが、名前の通り沼の沢と清水
 沢の境界になっている橋です。

 写真左が沼の沢方向で、緩い坂を上った先の
 右手には「ツムラ」の夕張工場があります。
 清水沢側は「熊ノ沢」と呼んでいて、バス停
 の名前もそうなっていますが、正式な住所名
 かどうかは自信がありません。小学校低学年
 の遠足の目的地もここでした。

 写真右手に進むと、以前は右カーブして陸橋
 を渡る道筋が「本線」だったのが、今は夕張
 高校の前へ至る直進の道筋が国道452号の
 本線となっています。

 その右カーブの手前から左に入ると、角田に
 抜けられる(地図上は道道1008号)と聞いた
 ことがあって、オフロードバイクで挑戦した
 ことがあるのですが全く通れませんでした。
 もちろん公式にもこの区間は「未通」です。

 私の母が真谷地から南高校に通っていた頃、
 まだ清沼橋はなかったと言っていましたので
 どれも約百年前の開業時から使っている鉄道
 の橋梁よりは少し新しいということですね。
 夕張線の旅では一番眺望が開けるあたり、と
 いう一枚でした。



 2017年 11月 11日 (土)


 【 夕張線を行く その4 】
 列車は沼の沢駅に到着しました。 夕張支線
 の全ての駅と同様、沼の沢駅も今では無人駅
 です。

 昭和30年代中盤の全盛期のころ、沼の沢と
 真谷地地区にはここだけで1万人以上が住ん
 でいたはずです。

、その頃には真谷地線を走ってきた客車や石炭
 車の操車場として、昭和40年代中盤からは
 新鉱の積出し駅として、たくさんの引込線を
 有する活気にあふれた駅でした。

 今はご覧の通り、かつての3番ホームの位置
 にたった一つホームがあるだけ、引込線など
 は一本もありません。 

 3台駐まっている車の道路向こうのベージュ
 の角ばった平屋の建物は「Aコープ(生協)
 沼の沢店」だったのですが、今年1月に閉店
 したそうです。買い物には紅葉山のメロード
 に行くか、清陵町のAコープに行くしかない
 そうで、車を運転できないとかなり不便なこ
 とになっているようです。

 私の知っている方々も、物故されたり体調を
 崩されたりで、昔通り沼の沢で暮らしている
 知人は農家の方だけになってしまいました。

 年々歳々花相似 歳々年々人不同 ・・・・
 今も昔も変わらないのは鬼首山の山容だけと
 いうところでしょうか。



 2017年 11月 10日 (金)


 【 夕張線を行く その3 】
 前回の橋を渡って緩い坂を上ると、真谷地へ
 向かう踏切があります。

 警報機の×の左下には沼の沢地区のシンボル
 ともいうべき「鬼首山」の頂上が見えます。
 前にも書いた気がしますが、私の父が向陽中
 の教師だったころ、この頂上まで全校生徒で
 登ったことがあるそうで、今では考えられな
 いワイルドさです。熊の心配とか・・・まあ
 心配してたら行かないんでしょうけど、時代
 の差を感じます。

 鬼首山の頂上の真下には、緑小学校の白い壁
 が見え、その左には永福寺(実はいつも住職
 の姓で「桐谷さん」と呼んでいたのでお寺の
 名前はさっき地図で確認しました)の屋根が
 さらに左を見ると道路に沿って駐在所、奥に
 緑陽中の校舎も見えます。

 昔は駐在所の左の道を奥に進むと、左手には
 教員住宅、相撲の土俵、そして向陽中の体育
 館と校舎の順に並んでいました。 右手には
 銀杏の木が並んでいて、この季節なら黄色く
 なった銀杏の葉が道に散っていたものですが
 今も残っているでしょうか。

 その頃は駐在所の右に市役所の支所もあった
 ので、踏切から永福寺は見えなかったはず。
 そういえばこの支所には小学校の卒業制作で
 沼の沢の年表を作るため人口を聞きに行った
 ことがありました。

 昭和40年代前半のことですが、確かその時
 沼の沢の人口は2350人+αと教えていた
 だいた記憶があります。

 夕張市のHPによれば、今年9月末の沼の沢
 の人口は813人。 往時の約1/3という
 ことですね。 何とも寂しい限りです。



 2017年 11月 8日 (水)


 【 夕張線を行く その2 】
 列車が沼の沢に近づきますと、それまで線路
 の右手にあった道路が、陸橋で左にきます。
 わずかに下って真谷地に向かう踏切の手前で
 写真の橋を通り再び上りで左に駐在所を見な
 がら沼の沢の市街に入ります。

 この橋は真谷地川に架かっているのですが、
 実は昭和50年代初めまでは「橋」ではあり
 ませんでした。 道路の下は土手になってい
 て、川は土手を貫通する暗渠(あんきょ)の
 中を流れていたのです。

 ところが大雨があって、暗渠に流木が詰まり
 土手がダムとなって水が溜まって危険な事態
 になりました。しばらくのあいだ真谷地側に
 大きくう回して通行しなければなりませんで
 した。 土手が取り除かれ橋が架かったのは
 その時のことです。

 向陽中学校の庭の「ひょうたん池」の脇から
 夕張川の河原に下る道がありまして、そこか
 らこの暗渠まで来れたのですが、渇水期でも
 さすがに通り抜けるのは試しませんでした。

 この橋のすぐ下流で真谷地川は夕張川に合流
 します。私の小さい頃この辺はアンモナイト
 の宝庫で、大小さまざまな化石を簡単に見つ
 けることができましたっけ。 写真一枚でも
 色々なことが思い出せるものですね。



 2017年 11月 7日 (火)


 【 夕張線を行く その1 】
 ということで本日、夕張線全区間に乗車して
 まいりました。紅葉山(新夕張)から夕張駅
 までの往復ですが、折返しの待ち時間を含め
 ても1時間を少し切る短い旅でした。

 天候はまずまずでしたが、この時季は太陽の
 高度が低く横光線となって列車の窓ガラスに
 景色が映りこみあまりいい写真は撮れません
 でした。 中では少しマシなものを何回かに
 分けてご覧いただこうと思います。

 最初の一枚は、紅葉山駅を列車が出て沼の沢
 との境界線である夕張川の鉄橋を渡っている
 時の写真です。

 数えてみると、私がこの景色を見るのは運転
 免許を取る直前、昭和52(1977)年夏以来の
 ことでした。 ちょうど40年ぶり!という
 ことになりますね・・・。 当時写真の奥に
 見えている石勝線の橋梁はすでに姿を現して
 いましたが、まだ供用前だったと思います。

 手前に見えるのは国道452号(当時はまだ
 道道)の橋で、中学生の私は沼の沢駅17時
 35分発のD51重連の石炭列車と勝負して
 いて、同時に沼の沢駅を出てこの橋を写真左
 から右に渡りきるまでを争っていました。

 「セキ(石炭車)」を多い日は57両も牽引
 していたⅮ51は、重連でも中々加速できず
 けっこういい勝負だったのです。

 40年ぶりに見た景色は、あの時の草いきれ
 と機関車の煤煙の入り混じった風を甦らせて
 くれた気がしました。



 2017年 11月 3日 (金)


 【 消失点 】
 今年はまだ一度も夕張に足を運んでいません。これは
 実は生まれて初めてのことなんです。 家を取り壊し
 墓所を移した今、唯一の定期的な来訪だった「メロン
 オーケストラ」のコンサートも今年は行けなかったた
 めこのようなことになってしまいました。

 しかし近々ついに夕張に行くことになりそうです。
 他の用事もあるのですが、ワタシ的には今回の一番
 の目的は鉄道です。

 みなさんもご存知の通り、夕張線(正式には石勝線
 夕張支線)は早ければ2019年3月にも廃止が予定さ
 れています。

 改めて時刻表を見ると、今や夕張線は一日にわずか
 4往復半(このダイヤだと一番遅い列車は夕張駅に
 着いたら帰りは回送列車で追分に戻るってこと?)
 しかありません。 ニワトリかタマゴか、ではない
 けれど、これでは使わ(使え)ないよなあ・・・。

 駅間距離の長い清水沢~鹿の谷間は上下で所要時間
 が5割も違うことにも気がつきました。この区間は
 「下りが上りで上りが下り」:ややこしいけど夕張
 方向に向かって強い上り勾配なので、向きで平均速
 度が違うということなんでしょう。

 列車の後部から見る景色がやがて一点になるように
 北高に通学していたころ毎日見ていた風景は、時の
 流れとともに消失点の彼方に去ろうとしています。
 新夕張(紅葉山)から全線往復で約1時間。カメラ
 を持って乗ってこようと思います。



 2017年 11月 1日 (水)


 【 故郷の残像 】
 昨日はその前の台風の時よりずっと激しいと暴風雨で
 気温も一気に低下、さすが11月の声を聞くとこんな
 感じかと思っているところです。

 ふと気がついて「Google-earth」で夕張の実家の周辺
 のストリートビューを覗いてみました。 もしかして
 まだデータが更新されていなければストリートビュー
 の中には、三年前に取り壊した我が家の映像が残って
 いるんじゃないかと思ったのです。

 さすがのGoogleも、そう頻繁に世界中の道を津々浦々
 まで撮影することはできないようで「Google-earth」
 の中では、まだ我が家は建っておりました。

 いつ更新されて消えるか判らないので、まとめて周辺
 を一回りして画像を残しておきました。

 画像の中に残る我が家は、玄関前の雑草も伸び放題で
 まさに「故郷の廃家」の様相です。 取り壊す直前に
 私と母で草をきれいにしたので、この写真は前年春に
 空き家となってからこの年の夏までの間に撮られたと
 いうことになりましょうか。

 思わぬところで故郷の残像を目にした次第です。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記