音風景・夕張 日記TOP




2022年06月


 2022年06月29日(水)  
 
【 鹿島中はもう少し 】
もう6月も残り僅か、あっという間に今年も半分が過ぎてしまいました。
 今日の午後は両親を4回目のワクチン接種に連れていく予定です。こっち
 もあっという間に回を重ねてますが、いつまで続くんでしょうかね??

 さて、鹿島中学校の校歌の編曲を進めていますが、編曲(=楽譜書き)は
 もう何日かで完成すると思います。 実際に音にするにはまた1ヶ月単位
 の時間が必要ですが、さすがに慣れもあって段々と作業時間は短縮されて
 いるので、ゴールが見えてきた感じはしています。

 鹿島中学校校歌が終わったら、次はすでに一度は編曲し、音源も公開して
 いる向陽中学校校歌をもう一度新しい音源で作り直そうと思っています。
 編曲はそのままに音源だけ作り直そうかとも思いましたが、どうせなので
 やはり編曲からやり直すことにしました。

 向陽中が完成すると、夕張市内の中学校の数が最多だった頃(まさに私が
 中学生だった頃ですが)の9校の校歌音源がすべて完成します。 これに
 東山と一中の統合校である夕張中学校(旧)と、向陽と登川の統合校であ
 る緑陽中学校、そして現在の夕張中学校(新)の3校を加えれば、中学校
 の校歌はすべて完了です。来年前半の目標なんだけど、いけるかな・・。
 



 2022年06月21日(火)  
 
 現在編曲を進める鹿島中学校校歌。
 曲頭の速度指示は ♩=114だ。
【 まさかの時には 】
確かBBCの番組でしたか、救急救命で心臓マッサージを始めた通りがかりの人
 が、いきなり「Bon Jovi」(ロックグループ)の曲を歌い出し、救急車が到着す
 るまで歌い続けて患者を助けた、というニュースを見ました。 周囲の人はいき
 なりの熱唱に面食らったようですが・・

 実はこの方はTVで「心臓マッサージを施す際にテンポが適切な曲」として紹介
 されていた曲を覚えていて、その中から自分の知っている曲を歌ったそうです。
 
 前にこの欄でも書いた気がしますが、心臓マッサージに適当なテンポは1分間に
 106~120だそうです。 どこかのお医者さんが「日本のたいがいの校歌は
 この速さになっているので、もし心臓マッサージをしなければいけなくなったら
 自分の学校の校歌を口ずさみながら行ってください」と言ってました。

 確認してみると現在編曲中の鹿島中学校の校歌は ♩=114 になっています。
 同じようにこのページで公開している学校の校歌のテンポは
  北陵中学校   ♩=111
  千代田中学校  ♩=117
  清水沢中学校  ♩=114

 という具合で、確かにみなこの範囲に入っています。
 まあ誰かに心臓マッサージをしなければならない事態には、あまり遭遇したくは
 ないですが、まさかの時には役に立つ知識かもしれませんね。
 



 2022年06月17日(金)  
 
【 よろず屋 】
最近は死語になりましたが「よろず屋」という言葉がありました。 生活に必要
 な多種の商品を売っている店、ニュアンスは微妙に違うけど現代なら「雑貨店」
 という単語が一番近いでしょうか。

 数日前のことですが、千葉の神社の「ご神木」に、北の方のあの国の大統領の顔
 をつけた藁人形を五寸釘で打ち付けた輩がおりまして、これはもちろん器物損壊
 などれっきとした刑法犯ですから、警察に逮捕されたそうです。 自分の土地に
 ある木にやってるぶんには何の問題もなかったんでしょうけど、神社のご神木に
 釘打っちゃダメでしょうよ。

 でも、ふと思ったんですけれど藁(わら)って最近じゃ家にはありませんよね。
 農家なら別でしょうけど、町の一般家庭にはそうそう藁は無い。藁人形を作ろう
 にも材料を手に入れるのは案外大変そうです。 この容疑者はどうやって藁人形
 を用意したんでしょうか??

 私も最近は何か買おうと思ったら、まず「amazon」「楽天」を検索するのが習慣
 になってます。 そこで amazonで「藁人形」と検索したら、ありましたよ、それ
 もけっこうな種類が。中には写真のように藁人形と五寸釘と金槌と軍手がセット
 になったものまで・・・ほんとに何でもあるな、amazon。 

 品揃えからすると大手ネット販売の規模は雑貨店どころか百貨店(デパート)を
 遥かに超えてますが、百貨店が外商部に代表されるようにどこかお金持ちが利用
 するイメージがあるのに対し、amazonなどはもっと敷居が低い。 そういう意味
 ではamazonや楽天やyahooが現代の「よろず屋」なのかもしれませんね。

 というわけで手軽に買えることは判りましたが、「呪いの藁人形」の購入はお勧
 めしませんよ。 昔から言いますよね、「人を呪わば穴二つ」って・・・。
 



 2022年06月14日(火)  
【 沼の沢にカフェが 】
人づてに耳にしたのですが、沼の沢にカフェができたそ
 うなんです。 昨年の秋のことらしい。

 ご存知の通り、旧沼の沢駅にあった「おーやま」が閉店
 して以来、沼の沢・真谷地地区には食べ物屋さんがあり
 ませんでした。 コロナ感染症が拡がって以来、とんと
 ご無沙汰しているのですが、食事ができないというのは
 ちょっと淋しいし不便ではあります。

 新しくできたのは「くるみ食堂」という古民家カフェ
 そうです。 場所は右の写真をご覧いただければと思い
 ますが、国道沿いではないので土地鑑が無い人には少し
 判りづらいかもしれません。 国道を清水沢に向かって
 走ると右手の沼の沢駅を過ぎ、左手の旧信用金庫の建物
 (「沼の沢」のバス停がある)を過ぎて次の小路を左に
 入ると250mくらい先、公園の対角線にある三角屋根
 の建物です。 少し前の沼の沢を知る人なら国道沿いの
 理髪店「トム&ジェリー」の角から入る、というと通じ
 やすいかもしれません。

 右の写真で、中央下に見える赤い屋根の公営住宅群から
 この「くるみ食堂」にかけては、昭和40年代初めまで
 広大な苗圃(びょうほ;営林署が植林前の苗木を育てる
 場所)が広がっていました。 そこを住宅地として開発
 することになり、整地と区割りが始まって最初にできた
 のが「くるみ食堂」の対角位置にある公園でした。

 当時のわが家から全力疾走すれば1分もかからなかった
 この公園は、完成当時は周りが完全に無人だったので、
 ギターを抱えていっては、当時のフォークを熱唱したり
 してましたっけ。

 その後の数年間で、分譲した区画には次々と新しい住宅
 が建ちました。 ですから今でも地元では、この一帯を
 「新興住宅」と呼んでます。沼の沢の中では一番新しい
 街区なんです。

 時は流れ、その新興住宅の中の、確か町内会の活動にも
 熱心に参加されていたお祖父さんがおいでの三角屋根の
 家は「古民家」カフェとなりました。私の記憶の中では
 新しい家々も、改めて数えてみれば築50年前後・・・
 確かに「古民家」だよなあ。

 ともあれ、コロナも少し落ち着いてきた感じもしますし
 一度このカフェは訪ねてみたいと思います。




 2022年06月10日(金)  
 
 道立近代美術館前庭。
 銀の螺旋のモニュメントだけが残っている。
【 美術館へ 】
天気も良いし新規感染者数もだいぶ落ち着いてきたので、「道立近代大美術館」
 で開かれている「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に行ってきました。

 平日だし開催期間ももう後半のほうなので、人出もそう多くなかろう、と読んで
 いたのですが、想像以上に観覧者が多くて感染対策は・・と一瞬思いました。

 場所が場所だけにほとんどの人が無言ですし、絵画の管理上で気温や湿度を保つ
 ために換気も強めに行われています。 まあこれなら大丈夫でしょう。

 今回の展覧会、フェルメールを前面に出していますが、実はフェルメールの作品
 は1点:「窓辺で手紙を読む女」だけです。 この絵、実はフェルメールの死後
 、部分的に上から絵の具が塗られていたことが判明し、去年まで4年間もかけて
 修復が行われていました。 ドイツ・ドレスデンの美術館の所蔵品ですが、外国
 で公開されるのは日本が初めてということです。 現在の日本が曲がりなりにも
 多くの人々が美術館で絵画を楽しめるほどには平和で、文化的に豊かな国である
 ことは、やはり喜ぶべきことなんでしょうね。

 道立近代美術館の開館は1977年。 46年目を迎えて近くで見ても老朽化が感じ
 られるようになりました。 以前は前庭にあって風で動いていたモニュメントも
 安全上の問題なのか今は撤去されています。 東隣の区画にある知事公館も廃止
 が決まっているため、そこへ近代美術館を移転する案も出ていると聞きましたが
 結論はどうなったのか・・・個人的には、冬季オリンピックよりこっちにお金を
 かけてほしいなあ。
 



 2022年06月07日(火)  
【 寒暖計 】
前回の続きのお話しといえるかもしれませんが、数年前に沼の沢の我が家を取壊す
 ことになった時、持ってきたものが2つあります。
 
 一つは「居間の柱」。これには家族の身長が刻んであって、もちろん全部は持って
 来られないので、一部を切り取ってもらいました。 60年近く家族と共にあった
 この柱は今も私の部屋に置いてあります。

 もうひとつが写真の寒暖計。 これまた私の記憶にある限りずっと柱に掛っていま
 した。 書かれた文字にあるとおり、皆川さんが顧客向けに配ったもの、現代風に
 言えば薬局のノベルティ・グッズだったんだと思います。

 時代を強く感じさせるのは電話番号ですね。 『(沼の沢)三七番 』とありますが
 市外局番が無いどころか電話番号も二桁です。 わが家は確か昭和45年に電話を
 引いたと思いますが、その時点ではもう「7-〇〇〇〇」という一桁の市外局番+
 四桁の電話番号でした。この寒暖計が配られたのはかなり昔、たぶん昭和20年代
 の中頃じゃないかと思います。

 昔は固定電話は簡単に設置ができませんでしたね。 申し込んで何年もかかる場合
 もあり、株なのか補償金なのか高額な費用も必要で、頼めばすぐ引けるというもの
 ではありませんでした。ある程度以上の年齢の方なら多分覚えておいででしょう。
 電話というのはそれだけ貴重なものだったはずなんですが・・。

 先日、真谷地出身の叔父が固定電話をやめたと話していました。 知人はみな携帯
 に電話してくるし固定電話には迷惑電話ばかりかかって来るから、と。 今や個人
 宅には固定電話が不要な時代・・・時の流れはどんどん周りの景色を変えていくの
 ですねえ。 寒暖計(って言葉がそもそも死語かな)だって、デジタルだし。




 2022年06月05日(日)  
  46年の年月で写真がかなり褪色してしまったけれど
  1976年(昭和51年)の沼の沢商店街。 左端が皆川薬局。
  今やこの写真に写る全ての建物が消えてしまった。

【 訃報 】
6月4日付の朝刊に、薬局の皆川さんの訃報が掲載されました。
 
 小中高と私の何学年か上の皆川さんとは、実は一度もお話しした
 ことはないのですが、ギターの名手で、向陽中学校に通っていた
 ころ、写真の左端の窓の下を通るとギターの音が聞こえてきて、
 それが非常に上手で「沼の沢にこんなにギターの上手い人がいる
 んだ」と思ったことを鮮明に覚えています。

 今は南清水沢で薬局を営まれていたはずですが、確かバンド活動
 をされたり音楽と関わりを続けてこられたと伺いました。 まだ
 お亡くなりになるには早すぎます。 改めてお悔やみを申し上げ
 たいと存じます。

 写真は昭和51年の沼の沢の写真です。 この頃は新鉱が本格的
 に稼働を始め、沼の沢の人口がピークに達したころで、真谷地と
 合わせ人出も多く、今思えば活気にあふれていたと思います。
 当時は沼の沢・真谷地の人口は合わせて4500人ほど。 今は
 両地区合わせて800人台ですから・・・。

 この写真に写っている建物は、奥の方に見える佐藤呉服店以外は
 すべて取り壊され、ほとんどが更地となりました。 街並も人も
 記憶の彼方に去っていきます。 何とも言えず寂しいです・・。




 2022年06月04日(土)  
【 なかなかの数字 】
夕張に住んでいた頃は毎月配布されていたので必ず読んでい
 た「広報ゆうばり」ですが、今は市のHPにpdf版が公開
 されているので、市民でなくても読むことができます。

 6月号を読んでいたら、市内の新型コロナのワクチン接種率
 が出ていました。 1回目から3回目まで5月13日時点で
 の接種率が掲載されていますが、これがどの回もとても高い
 数字なんですね。

 特に3回目の接種率は全国・全道・札幌市、いずれも総人口
 の55~56%程度ですが、夕張市は79.8%。 非常に高
 い接種率です。 確かに市民が高齢化しているということは
 数字を押し上げる一因かもしれませんが、12~64歳の接
 種率も高いですからね。やはり市民の意識の問題でしょう。

 その結果、5月22日~28日の1週間で札幌市の感染者数
 の合計が5132人だったのに対し、夕張市は3人。これを
 人口1万人あたりに換算すると札幌市が26.3人、夕張市が
 4.3人。 まあ単純比較はできないかもしれないけど、結果
 として、夕張市のほうが明らかに感染率が少ないことは確か
 です。 ワクチンについては様々な意見がありますが、感染
 拡大は確率、つまり数学の問題ですから、それはオミクロン
 株に対する感染抑止効果はデルタ株以前のそれより低下した
 かもしれないけど、ワクチンを打てば感染者は減る、という
 方向には違いないと思うけどなあ・・・。




 2022年06月01日(水)  
  キャデラックに見えるボディも寸法が全く違うので、そう見えるデザインで
   新たに専用ボディを作ったんだろうと思う。



 
  シボレー・コディアック。 GMC・トップキックという双子車もある。
  キャデラックと同じGM(ゼネラル・モーターズ)のトラックだ。
  この車のフレームや駆動系を生かしてボディをキャデラックの
  リムジン風に乗せ換えたのが「ビースト」ということか・・・。

【 最近思うあれこれ 】
今日から6月。 北海道が一年で一番過ごしやすくなる季節
 です。 私の部屋も5月下旬から6月初旬は、冷房も暖房も
 不要で、春と秋の年2回訪れる貴重な時季です。あとの季節
 は寒過ぎるか暑過ぎるかのどちらか。 何がいいかって冷房
 も暖房も必ずファンが回るので、その音が無いということは
 音楽を作る時にはかなり助かるんですね。

 コロナ感染症は最悪のピークは過ぎたものの感染者数の減少
 はもどかしいほど遅く、とても安心できるような状態ではあ
 りません。 何度も書いてきましたが、感染症は完全な予防
 法と完全な治療法という両輪が揃わないと、全員が感染する
 まで収束しなくて当たり前です。
  インフルエンザのようなものだから過剰に心配することは
 ないという意見もあるようですが、現在インフルエンザを心
 配しなくて済むのはワクチンも治療薬も確立されているから
 です。 例えばインフルエンザの変異株の一つである百年前
 の「スペイン風邪」はワクチンも治療薬も間に合わず、感染
 が世界に広がり尽くし、人類が集団免疫を獲得するまで収束
 しませんでした。 その結果、第一次大戦中で各国とも感染
 状況を秘匿したため正確な正確な数字は不明ですが、感染者
 は世界で5億人、死者は5千万~1億人と推計されてます。
  当時の世界の人口は20億人だったので総人口の約5%が
 亡くなったことになりますね。インフルエンザだって何にも
 手を打たなければこれくらい危険な感染症なのです。
  日本経済新聞の統計によれば新型コロナ感染症の世界全体
 の感染者数は5億2937万人、死者は628万人(いずれも5
 月31日時点)。 いま世界の総人口は77.5億人。 スペ
 イン風邪流行時の約4倍に増えましたが、コロナによる特に
 死者が前出の数字で済んでいるのは、ワクチンの普及と医療
 関係者の治療の賜物である事を忘れちゃいかんと思います。
 
 知床の観光船事故は未だ乗員乗客の半数近くの方が行方不明
 のままです。 とりあえず船体は色々あった末に引き上げら
 れたので、沈没の直接原因は早晩明らかになると思いますが
 失われた命はもう戻ってきません。 再発防止の具体策とし
 て国交省が、先月この欄でもご紹介した救命ラフト等の装備
 を寒冷地の小型旅客船に義務付ける方向となったことだけは
 良かったと思います。

 先日、アメリカのバイデン大統領が来日しましたが、まさか
 大統領専用車の通称「ビースト」まで日本に運んでくるとは
 思いませんでした。 実は前々からこの車は気になっていて
 一見するとキャディラックのリムジンに見えますが、右上の
 写真で見ても、背後の乗用車と較べて遠近の差以上にタイヤ
 がゴツイ・・・。 報道では「ビースト」は防弾装甲などで
 重さが7~9tあるらしいのです。 ベースがキャデラック
 ではどんなに補強してもこの重さには耐えられません。
  調べてみるとベースは「シボレー・コディアック」という
 中型のトラックと判明しました。写真では車の大きさが伝わ
 りにくいですが、日本でいえば4t車級、宅配便のトラック
 より一回り大きいクラスです。 私達が「ビースト」に乗る
 機会は一生ないでしょうが、何せ元がトラックですからね、
 確かに銃撃されても平気かもしれないけど、きっと乗り心地
 は見た目ほど良くないと思うな・・・。