音風景・夕張 日記TOP




2022年07月


 2022年07月25日(火)  
  それにしても殺風景な建物だなあ。
【 体育館の裏 】
今月は後半になってから、暑さも一段落しまして、比較的過ごしやすい
 日が続いています。 コロナは道内でも連日感染者数の記録を更新して
 いて、今夏こそは一度夕張へ足を運ぼうと思っていたのですが、どうも
 果たせずに夏が過ぎそうです。

 先日出てきた写真の中に、北高学校祭の準備をしている時の写真も何枚
 かありました。 中でも今さらながら「こんなだったっけ?」と思った
 のが、体育館の裏手で山車(『那須の与一』の船だと思う)を作ってい
 る時の写真でした。

 旧校舎を知る卒業生の方はご存知でしょうが、北高の旧校舎には生徒用
 の玄関はなく、いやもちろん出入り口はあったのですが、体育館の北側
 に生徒用の通用口があって、必ず体育館を通る変な建物でした。 入学
 試験の合格発表も、この通用口の上に掲げられていた覚えがあります。

 二年の時に学校祭の山車製作に割り当てられた我がクラスのスペースも
 旧体育館の裏で、今回この写真を見た時、最初は「どこだ、このトタン
 張りの建物は?」と思いました。 写っている壁は体育館の通用口と反
 対側の外壁で、背景には市民スキー場のあったあたりの山が見えます。
 この時点ですでに新校舎は完成していて、体育館以外の建物は取り壊さ
 れていたため、山車と松の木の間に建っていたはずの、1階に1年A組
 とB組・2階に家庭科室が入っていた棟は姿を消しています。

 この写真は私が撮ったものですが、カメラの位置は理科室や理科準備室
 があったあたり。 ほぼ理科系の先生の職員室と化していた理科準備室
 ではカラスを餌付けしていて、これがけっこう懐いてました。 今なら
 学校でカラスを餌付けしたら怒られそうです。 時代が違う、といえば
 それまでですが、現代よりも暮らし全体に寛容さとでも言いいますか、
 精神的な余裕があった気がしないでもありません。

 それにしても、たった一枚の写真からでも、色々な記憶を呼び起こせる
 ものですね。 なかなか貴重な写真でありました。




 2022年07月18日(月)  
 
 未接種者が多い年代は、感染者も多いということが良くわかる。
 但しこれは3回目について。 4回目の効果はまだ未確認だ。
【 ワクチンの効果は? 】
せっかく減少していた新型コロナの感染者数です
 が、再び増加に転じてしまいました。 北海道は
 まだ増加率が鈍い方ですが、全国的には何度目か
 の感染爆発といって差し支えない状況です。

 これには複数の原因が考えられます。 感染力が
 強くワクチンの抑止効果が薄いBA5株が拡大を
 見せていること、行動制限が解除され人流が増加
 していること、3回目のワクチンの接種率が期待
 ほど上がっていないこと、などです。

 その3回目のワクチンの効果ですが、政府も専門
 家会議も自治体も、漠然と「できるだけ打ってく
 ださい」と言うばかりで、どれほどの効果がある
 のかは示していません。 そこで果たして本当に
 効果があるのか、ちょっと調べてみました。

 札幌市を例にとりますが、こちらのページに市内
 の年齢別感染者数の割合が載っています。 今日
 時点では6月の数字が最新ですね。これで見ると
 6月ひと月で最も感染者が多いのは10歳未満の
 子供達、続いて30代、40代となっています。

 一方でワクチンの接種率ですが、こちらのページ
 に最新のワクチン接種率が出ています。 これで
 見ると、3回目のワクチン接種率は70代以上で
 9割以上、60代で8割以上ですが、40代では
 55.2%、30代では46.4%・・という具合
 で30代以下では半分にも達していません。
 (注:全て7月15日現在の数字です)

 そこで年齢別接種率から逆に未接種率(3回目の
 ワクチンを打っていない人の割合)を計算して、
 年齢別感染者数の割合と比較したグラフを作って
 みました。

 なお20歳未満は二つのデータの年齢区分が異な
 り数字を比較できなかったため、グラフは20代
 以上だけでまとめています。
 
 青が年齢別の感染者数の割合で、茶色がその年代
 で「3回目のワクチンを打っていない人の割合」
 です。 ご覧の通り、この二つには明らかな相関
 関係があります。 端的に言えば少なくとも3回
 目のワクチン接種については「ワクチンを打たな
 い年代ば感染者が多い」ということですね。

 現在のワクチンは、各社ともオミクロン株以降の
 ウイルスに対して感染抑止効果が低いと言われて
 いますが、こうして見るとワクチンを打つと打た
 ないでは感染抑止にも明かに差があることがわか
 ります。 またいくら重症化しないからといって
 感染者が何倍にもなれば、その中からは手ごわい
 新たな変異株が発生する確率も増えます。

 確かにワクチン接種のリスクはゼロではありませ
 んし4回目の効果はまだ未確認ですが、少なくと
 も3回目までは接種をお勧めしたいと思います。




 2022年07月13日(水)  
  入退場の2回、車ごと重量を量る
【 大型ゴミ廃棄 】
どんよりした天気の中、古くなった自転車など大型ゴミを処分しなくて
 はならなくなり、市の破砕工場へ行ってきました。

 初めて来たのはもう十年以上も前になるでしょうか、最初の頃は周囲は
 業者の車がほとんどで、前後を大型のトラックに挟まれ肩身の狭い思い
 をしていましたが、最近は一般家庭に認知されたのか乗用車の数も多く
 なり、場違いなところに迷い込んだ感はかなり減りました。
 
 入口に車の重量を量る計量所があり、入場時に車ごと重さを量り、指示
 に従ってゴミを廃棄して退場時に再び重さを量って、重量の差(ゴミを
 捨てたぶん重さが軽くなる)に応じて10kg単位で料金を支払うという
 システムになっています。 屋内で重機が動き回るほど巨大な建屋の中
 に廃棄物が集まっている光景は中々壮観です。

 市内数カ所に同様の施設があり、慣れれば一番安く大型ゴミを処分でき
 ます。 断捨離を考えている方は利用してみるといいですよ。




 2022年07月10日(日)  
 
  近所の学校が投票所になっている
【 投票日 】
参院選の投票日です。 先ほど家族そろって投票を済ませてきました。
 昨日の天気予報では時々雨が降るあいにくの空模様ということでしたが
 一歩外へ出るとなかなかの日差しで、背中にじりじりした暑さを感じる
 ほどでした。

 投票日当日ですから、ネットの書き込みには注意が必要ですが、投票権
 は貴重な権利ですから、少しでも多くの皆さんがその権利を行使される
 ことを願いたいと思います。

 そういえばもう十年以上も前になりますか、投票所に投票日の朝一番に
 行くと、選挙管理委員が最初に並んだ人に投票箱の蓋を開けて中を見せ
 空であることを確認してもらうのだ、という規定があることをTV番組
 で知りました。

 私も物好きですから次の選挙の時、投票開始の30分以上も前に投票所
 に行ってみました。 ところが上には上がいるもので、もう並んでいる
 人が・・・・でも確かに投票開始の午前7時になると、選挙管理委員と
 思しき人が投票箱を全て持ってきてフタを開け中を見せてくれました。
 私もすぐ後ろにいましたからね、箱の底は見てきました。 だから何だ
 って話ですけどね。 まあ何でも経験ですよね(笑)。




 2022年07月04日(月)  

 
 数年の間、一小/一中グラウンドで行われていた
 北高学校祭のファイアストーム。
 (撮影年はたぶん1973年)

【 学校祭の季節2 】
暑いですね。 昨日は朝から蒸し暑く、じわじわと温度が上がり
 続け午後3時過ぎには最高気温32.0℃に達しました。 さすが
 にここまで来ると、いくら湿度が本州ほどではないと言っても、
 快適とは言いかねます。 東京のようにこの暑さが連続しないと
 いいんですけどれど・・・。

 さて、北高学校祭の思い出の続きです。 私の学年は夕中時代か
 らの旧校舎と、現在「ひまわり」として残る新校舎の両方を経験
 しています。 これは貴重な経験ですが、新旧それぞれの時代の
 グラウンドに新旧校舎が同時に建っていたため、三年間を通じて
 グラウンドがありませんでした。 

 グラウンドを使う体育系のクラブは、さぞや苦労したと思います
 が、学校祭でも困ったことがあって、それは初日の夜に行われる
 ファイヤーストームの会場が無いことでした。

 で、仕方がないので一中/一小のグラウンドを夕方以降お借りし
 ました。 北高からは1.5km ほどの距離ですが、夕方になると
 三々五々歩きまして、少し明るさが残っている頃から焚き木に火
 を点け、フォークダンスをしました。 「マイム・マイム」とか
 「オクラホマ・ミキサー」とか、曲はド定番のものだったと思い
 ます。

 自分でも写真を撮った記憶はあったのですが、撮影後どうしたか
 は全く記憶になく、まさか写真がこうして出てくるとは思いませ
 んでした。 もっと盛大に炎が上がっていた気がしたのですが、
 写真を見るとそれほどでもないな。(笑)

 帰りは鹿ノ谷駅まで歩きました。 そこそこ距離はありますが、
 友人たちと騒ぎながら歩いていますからね、遠いとも思いません
 でした。

 この写真から約半世紀が過ぎました。 あの夜の風のあれは匂い
 なのか触感なのか、つい昨日そこにいたような感覚が甦ることが
 あるのは、何とも不思議なことだと思います。




 2022年07月01日(金)  
 
 炭鉱病院前の踏切を渡る我がクラスの山車。
 画面の右手前が炭鉱病院ということになる。
 この写真に写る全ての建物が今は残っていない・・。
【 学校祭の季節 】
7月になりました。 月末は道内各地で強い雨が降りました
 が、今日は雨も上がって蒸し暑いくらいです。本州のような
 猛暑が訪れないことを祈りましょう。

 北高時代は7月といえば学校祭の季節でした。 毎年、月の
 中頃の3日間開催されていたので、来週あたりからは本格的
 に準備を始めていたはずです。 特に初日の仮装行列はどこ
 のクラスも力を入れるので、旧体育館の周囲あたりを使って
 毎日遅くまで山車や衣装の製作に取り組んでいましたっけ。

 先日、母が整理していた荷物の中から私関係の写真がかなり
 出てきました。 その中に学校祭の写真も何枚かありまして
 懐かしく見返したりしていたところです。

 右の写真は2年の時の我がクラスの仮装で、テーマは「那須
 の与一」だったと思いますが、考えてみればこの写真、私は
 ブラスバンドにいたので常に列の先頭にいたはず。 写真を
 撮ってる暇はありませんから、誰かが撮った写真をもらった
 んでしょうかね。

 撮影場所は炭鉱病院の踏切で、右が夕張駅方向になります。
 画面左奥に写る「せいきょうマーケット」は、映画「幸せの
 黄色いハンカチ」の中でも倍賞千恵子さんがレジで働いてい
 る店として登場していますし、ラスト近くでは写真の行列と
 は逆方向に赤いファミリアが踏切を渡るシーンもあります。

 前にも書きましたが、そのファミリアが踏切を渡るシーンに
 私が写り込んでいることに、つい数年前に気が付きました。
 デジタルリマスターで画面が精細になって初めて気が付いた
 くらい小さいですけど。 この写真とほぼ同じ構図で「マー
 ケット」のトの下あたりに左を向いて立っている、黒っぽい
 シャツに白のジーンズで写っているのが私です。 今度映画
 を見る機会があったら探してみて下さいね(笑)