今月は後半になってから、暑さも一段落しまして、比較的過ごしやすい
日が続いています。 コロナは道内でも連日感染者数の記録を更新して
いて、今夏こそは一度夕張へ足を運ぼうと思っていたのですが、どうも
果たせずに夏が過ぎそうです。
先日出てきた写真の中に、北高学校祭の準備をしている時の写真も何枚
かありました。 中でも今さらながら「こんなだったっけ?」と思った
のが、体育館の裏手で山車(『那須の与一』の船だと思う)を作ってい
る時の写真でした。
旧校舎を知る卒業生の方はご存知でしょうが、北高の旧校舎には生徒用
の玄関はなく、いやもちろん出入り口はあったのですが、体育館の北側
に生徒用の通用口があって、必ず体育館を通る変な建物でした。 入学
試験の合格発表も、この通用口の上に掲げられていた覚えがあります。
二年の時に学校祭の山車製作に割り当てられた我がクラスのスペースも
旧体育館の裏で、今回この写真を見た時、最初は「どこだ、このトタン
張りの建物は?」と思いました。 写っている壁は体育館の通用口と反
対側の外壁で、背景には市民スキー場のあったあたりの山が見えます。
この時点ですでに新校舎は完成していて、体育館以外の建物は取り壊さ
れていたため、山車と松の木の間に建っていたはずの、1階に1年A組
とB組・2階に家庭科室が入っていた棟は姿を消しています。
この写真は私が撮ったものですが、カメラの位置は理科室や理科準備室
があったあたり。 ほぼ理科系の先生の職員室と化していた理科準備室
ではカラスを餌付けしていて、これがけっこう懐いてました。 今なら
学校でカラスを餌付けしたら怒られそうです。 時代が違う、といえば
それまでですが、現代よりも暮らし全体に寛容さとでも言いいますか、
精神的な余裕があった気がしないでもありません。
それにしても、たった一枚の写真からでも、色々な記憶を呼び起こせる
ものですね。 なかなか貴重な写真でありました。
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