音風景・夕張

北海道夕張工業高校 校舎 前面 
 ( 昭和43年の卒業生の方からのご提供 )

北海道夕張工業高校 校舎全景 
 ( 昭和43年の卒業生の方からのご提供 )

北海道夕張工業高等学校 校歌        ( 3分15秒 )
   
   昭和43年の卒業生の方からのリクエストで編曲させていただきました。 後述の卒業生の方ご自身の
    文にもありますが、北海道夕張工業高等学校は、大正9年(1920年)4月19日に北海道炭鉱汽船鰍フ
     青年社員養成のため、私立夕張工業学校として開校したのが始まりで、途中鉱業界の不振により一時
      閉鎖となりましたが、財団法人化、夕張市立、北海道立と移管しながらも、平成4年(1992年)に緑ヶ丘
       実業高校にその役目を引き継ぐまで、70年以上に亘って卒業生を送り出してきました。 市内の高校
        の中で最も長い歴史を持つ学校でした。
     
   鹿の谷を見下ろす緑ヶ丘の高台に建つ校舎は、鉱滓煉瓦造の欧風建築で写真のように建築物としても
    立派なものでした。  現在「石炭博物館」の敷地にある「炭鉱(ヤマの)生活館」の外観は、工業高校の
     ファサードを模したものとなっています。

   校歌は昭和18年、財団法人私立夕張工業学校として再開されたときに制定されたものです。
    太平洋戦争の真っ最中ですから、特に3番の歌詞は時代を反映したものとなっていて、手元の
     資料でも「・歌詞については、2番までにしている資料もある。」と記載されています。


   以下に昭和43年の卒業生の方から寄せられた文章をそのまま転載いたします。

   『
大正9年、北海道炭鉱汽船株式会社経営の私立工業学校が創立され途中7年間の閉鎖があるものの
   昭和18年に財団法人夕張工業学校として採鉱科、機械科の2科で始まり、
昭和28年夕張市に移管、
   昭和36年に北海道に移管など幾多の変遷を経て平成4年3月その歴史が閉じられるまで6千数百名に
   及ぶ卒業生を輩出しこの学舎で学び、そして技術を習得し道内外に飛躍し各界で活躍されています。
   石炭の街、夕張の象徴ともいえる学舎が鹿ノ谷の高台に凛として存在していました。
   
男子ばかりの校風は、朝礼は全員帽子をかぶり、廊下で会う上級生には必ず礼をするなど上下関係は
   はっきりしたものでした。 これは校歌からも読み取れるように旧軍隊の影響があったのでしょうか?

   他校生から見るといかにも殺伐とした情景が浮かぶかもしれないが、それぞれに青春を謳歌しそれなりに
   面白い学校生活を送っていました。 因みにある卒業生は「学業では特に競争するということもなく同じ
   レベルの仲間で好きなことを言いあっていあたな〜。」など、女子がいないことでの自由さもありました。
   私たちはわたしたちの青春を決してわすれません。 』


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   平成24年10月13日、夕張工業高校/夕張緑ヶ丘実業高校の跡地に、卒業生有志のみなさんにより
    記念碑が建立され、除幕式が行われました。  写真のように立派な石碑です。 夕張を離れた卒業生の
     みなさんも、来夕の際にご覧になってはいかがでしょうか。



              
            
       夕張工業高校/緑ヶ丘実業高校記念碑

   


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