音風景・夕張

夕張南高等学校/夕張高等学校 校歌
    《 わが人生の牧場なり 》          ( 3分18秒 )

   
   昭和39年の卒業生のかたからのリクエストで編曲させていただきました。
    夕張南高等学校は、昭和26年(1951年)11月に開校、平成4年(1992年)4月に校歌を継承した
     まま夕張高校となり、現在に至っております。 校舎のほうは、開校時に建築した校舎が残念ながら
      昭和58年(1983年)12月9日に一部焼失、昭和61年(1986年)2月に現校舎が完成し移転しました。

   高校の周囲は、夕張市内では珍しく平らで広々としており、歌詞に「この丘」とあるとおり、背後の遠景に
    山々を従えた景色は、特に残雪のある早春には美しいものでした。  線路が学校の正面を通っていて
     ちょうど良い具合に校舎と背景の山々が見えましたから、列車で毎日通学されていた方はきっと懐かしく
      思い出されることと思います。  この編曲でも前奏(イントロ)部分は、その景色のイメージで作っています。 
       もちろん私個人の感性によっていますので、そう聞いて頂けるかどうか保証はしかねますが・・・・・・。
    
   私の母や叔父は南高校の卒業生です。   特に母は戦後の新制高校の最初で学区制の変わり目
    の世代でして、最初は北高に入学し、学区制変更に伴い東高(後の東高とは別の高校)に行くことになった
     ものの、校舎はまだ建築中で未完成。 仕方なく東高に通うはずの生徒だけが一時的に末広にあった旧女学校を
      仮校舎として通学し、校舎完成とともに現在の場所に移ったそうです。 しかも移転後、この東高校が南高校に改称。
       結局、北高と東高と南高に通うという非常に珍しい経験をしております。 

   そういうわけですから、当時の東高校に通っていた学生は、全員が隧南(国鉄のトンネルより南ですね)から
    列車で通学していて国鉄の定期券を持っていましたので、南高への引越しにはそれをフルに利用したそうです。
     つまり生徒全員で引越し荷物を少しずつ手に持って列車に乗り、何往復もして運んだんですね。 ご存知のように
      末広からですと、夕張駅へ行くにしても鹿ノ谷駅へ行くにしてもかなり距離があり、更に当時はまだ南清水沢駅が
       ありませんから、清水沢駅から高校までがまた2kmありました。   引越しはかなり大変な作業だったようです。 

   完成当初は周囲に何もなかったので、真っ白な校舎は真冬になると吹雪で見えなくなって、一体どこに
    学校があるのか判らなくなったそうです。  母は真谷地に住んでいたので、沼ノ沢で乗り換えなのですが
     清水沢まで歩く1.5倍で沼ノ沢に着いてしまうので、よく国鉄の鉄橋(第一鉄橋と呼んでいました)を渡って
      沼ノ沢まで歩いたものらしいです。  当時はまだ道々の「清沼橋」は架かっていませんでしたから。
       油断していて、鉄橋の真ん中を歩いている時に貨物列車(一般の時刻表ではダイヤがわかりませんし、
        当時のことですから列車を牽引するのはもちろん蒸気機関車。 近よると大迫力です。) が来てしまい、
         橋の狭い退避場所に逃げ込んで難を逃れた生徒もいて、国鉄からは良く怒られていたらしいです。

   この校歌を作詞なさった風巻景二郎さんという方は、北大の文学部の先生で、校歌ができた時に南高に
    来られて講演をなさったそうで、眼鏡にベレー帽という風貌はちょうど漫画家の手塚治虫さんのようだった
     と聞いています。  学校の校歌に「曲名」(『わが人生の牧場なり』)があるというのも、旧制高校などでは
      例がありますが、夕張では珍しいですよね。




   


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 夕張南高校旧校舎
 ( 昭和39年南高卒業生の方からのご提供 )

2008年現在の夕張高校校舎 
 ( 昭和39年南高卒業生の方からのご提供 )

 夕張南高校旧校舎
 ( 夕張高校創立六十周年記念誌より転載 )