音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記

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2008年 6月



 2008年 6月29日 (日)
 【 ペースは順調 】
 
 ただ今製作中の若菜小学校の校歌ですが、ようやく2番が終わるあたりまで出来あがりました。 
 作業開始から今日まで15日間で、前奏・1番・2番が終わったことになりますので、残りが間奏・
 3番・終奏(コーダ)でほぼ半分、「1曲に1ヶ月+α」というペースとしてはほぼ順調といって
 いいと思います。  他にも平行して曲を作っておりますので、この先もちゃんと予定通り進むか、
 やや「?」の部分もありますが、まあ7月の中旬頃までには完成できるかなというところです。
  こんなHPでもお待ちいただいている関係者の方、それまでもう少しだけお待ち下さい。
 


 2008年 6月27日 (金)
 【 空色のバス
 
 だから何?という種類の話題なのですが・・・。

 ほんのたまにですが、夕鉄の観光バスを目にすることがあります。少しピンクがかった赤の単色
 の車体塗装は確かに今風ですが、見慣れていないせいか垢抜けしすぎたせいか、あまり親しみを
 覚えません。 きっと定期路線用の赤白の塗装を長年見慣れたせいでしょう。
  少し怪しい記憶ですが、数年前に伊達から洞爺湖へ抜ける裏道を走っていたら、道路沿いの農
 家の片隅に、旧塗装の夕鉄バスが置いてありました。  空色とベージュに赤い線の入った車体
 です。 若い人はこの色の塗装は知らないでしょうが、何だかタイムスリップした気分でした。
  中島みゆきさんの「ホームにて」という曲をご存知でしょうか? 私はこの曲を聴く度に、い
 つもこの夕鉄バスの旧塗装を思い出してしまいます。  歌詞に出てくる「空色の汽車」という
 フレーズが、昔のボンネットがある空色の夕鉄バスを連想させるからだと思っているのですが。
  映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に特急「こだま」が登場しました。 CGで見事に復元さ
 れた「こだま」はプロデューサー氏のリクエストだそうですが、列車ができるのならバスも当然
 CGで復元できますよね。  昭和30年代前半・全盛時の夕張の姿を映画にしていただいて、
 あの空色の夕鉄バスが走っているシーンをもう一度見てみたいものだと思います。
 


 2008年 6月24日 (火)






 作業に必要な小道具類。
 モニター表示は若菜小の
 バイオリンパート。

 
 【 200±5%
 
  ただ今、若菜小学校校歌編曲の真っ最中ですが、編曲を進めるにあたっては、これでも自分な
 りに色々とルールを課しています。 例えば口ずさみ難くなるのでメロディは転調しないとか、
 前奏・間奏・終奏は必ず白紙から新しく作るというようなことなのですが、意外と毎回苦労する
 のが「演奏時間を揃える」ことです。
  これはお聴きになる方に対して、学校によって曲の長さに長短があると不公平になるのではと
 考えてのことで、どの校歌でも演奏時間が「200秒±5%」つまり3分10秒〜3分30秒の
 間に収まるように心がけているんです。
  ところがこれが始めてみると思ったより難儀なことで、例えば南高/夕張高校の校歌は歌詞が
 2番までしかないので、前奏・間奏・終奏を少しずつ長くして時間を合わせています。
  ただ、演奏時間を調整するといっても、フレーズが自然に聞こえる小節数は4の倍数単位なの
 で(3の倍数だとアホに・・・なったりはしませんが)そう細かくは調整できません。 全体の
 テンポをこのために必然なく変えるのもイヤなので、毎度苦労します。 清水沢小校歌などは、
 編集の最後の最後にテンポに一箇所タメを入れたら、1秒オーバーの3分31秒になってしまい
 ました。 こうなるとちょっと悔しい。
  機械が演奏するとはいっても「いかにも」という音にはしたくないので、テンポのゆらぎなど
 も細かく作り込みます。 そのために音データ編集の段階ではちゃんと手にタクト(指揮棒)を
 持っています。 自分が実際に棒を振った感覚に音が合わないとダメだからです。 
  頭にはヘッドホン、右手にはタクト、左手にストップウォッチ、これで見えないオーケストラ
 に向かって眉間に皺を寄せて棒を振ってるわけで、家内は少しは見慣れているかもしれませんが、
 他人様にはちょっと見せたくない姿ではあります。(本人は嫌いじゃないんですけどね。)
  北陵中校歌完成までこれから3曲、当分はまた200秒の攻防が続きそうです。
 


 2008年 6月21日 (土)
 【 HP一周年にあたって・歸去來兮(帰りなん いざ)
 
 『 歸去來兮 田園將蕪胡不歸 ・・・・』
  帰りなんいざ 田園
(まさ)(あ)れんとす (なん)ぞ歸(かえ)らざる
 (さあ帰ろう 故郷の田園はまさに荒れ果てようとしている どうして帰らずにいられようか )

              ・・・・・・・・・・・・【 帰去来の辞 】(陶 淵明) 冒頭より


  このHPを開設してから今日でちょうど一年になりました。 おかげ様でまもなくアクセス数
 も1万回に達しようとしています。 世間には一日で数百万アクセスというHPもありますから、
 そんなページから見ればこのアクセス数など僅かなものですが、考えようによっては1万回でも
 夕張の市民会館大ホール(580席)で満席のコンサートを17回以上開いただけの数。  ほんの
 何人かの友人のHPでリンクして頂いているだけの、こんなマイナーなHPをよく見つけてご覧
 いただいたものだと、感謝したい気持ちでいっぱいです。

  夕張市はピーク時(昭和35年)には、人口11万6908人を数えた大都市でした。先月末
 での市の人口は1万1972人。これは往時の1/10の人口で、見方を変えれば夕張を離れた
 市民が10万人以上いるということでもあります。もともと人の出入りが激しいマチでしたから、
 一度でも夕張に住んだことのある元市民の方の延べ人数なら、数十万人の桁かも知れません。
  HPのどこかにも書きましたが、夕張人の同郷意識というのは他の町と較べ一種独特のような
 気がします。 例えば札幌や東京で偶然出会った人が夕張出身とわかったときに感じる連帯感の
 ようなものの強さは、余人の解せぬところがあるように思えてなりません。その点で確かに人口
 こそ1/10になりましたが、私も含め今でも自分を夕張市民と思い、夕張を故郷と思っている
 「心情的夕張市民」が、数十万の元市民の中にはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
  現在の市民の方も含め、そういう現在過去全ての夕張市民の方に、少しでも懐かしいと感じて
 いただけるような、故郷に帰った気がしていただけるような、そういう音楽をお届けできるよう
 これからも努めていきたいと思っています。
 


 2008年 6月16日 (月)   
  
  
 【 夕張みやげ 】
 
  母が中学のクラス会で夕張に行ってきました。  母は開催日を1日遅く勘違いして覚えていて、
 ほかの皆さんに大変ご迷惑をおかけしたようですが、何とか無事に辿り着いたようです。
  で、土産に貰ったのが、右の写真の「夕張石炭ビール」。  まだ飲んでいませんが、いったい
 どんな味がするんでしょう。 まさか石炭の味はしないとは思いますが・・・。 あとでゆっくり
 飲んでみようと思います。 
   
 PS. 飲みました。石炭だけに黒ビールなんですね。GUINNESSより少し濃厚な感じで私は好きかな。


 2008年 6月14日 (土)
 【 想定外です。 】
 
  ご存知のように夕張市内各学校の校歌のリクエストを承っております。 昨年7月20日から
 この試みを始めました。 まもなく1年ですが、今までに私自身の母校・北高を入れて、6校の
 編曲が終わりました。 正直、最初は果たしてご依頼が来るのだろうか自信はなかったのですが、
 始めてみれば、まるでちょうど私が編曲するペースに合わせていただいたかのような間隔でご依
 頼があり、また曲を公開するたびに各地(これはまさに全国各地です)からご感想をいただいて
 それが何より励みになって今まで続いてまいりました。
  元より営利目的ではありません。 夕張がご承知のような状態で何か私にも出来ることを、と
 思ったのですが他に能もなし、少しでも夕張に住んでいる人、元夕張に住んでいた人に喜んでい
 ただければ、これに勝ることはないという気持ちで始めました。
  昨13日には、お二人の方から若菜小/若菜東小と北陵中の編曲依頼がありました。 1日で
 3校の編曲依頼というのは私の作業容量上は全く想定外で、偶然というのは恐ろしいものですが、
 お時間こそ頂きますが、お引き受けした曲は必ず仕上げますので、どうかお待ちいただければと
 思います。

  「人はパンのみに生くるにあらず」と言いますが、最低限のパンが無いと人は生きられません。
 そして今の夕張に必要なのは言うまでもなくそのパンです。 
  残念ながら音楽はパンにはなりません。 音楽ではお腹はふくれないのです。 そういう意味
 では音楽は全く無力で、私自身「俺、何やってんだろ」と自問することが今でもあります。
  それでも迷った末に何もしないよりは、まず自分のできることから行動を起こしたほうがいい
 場合もある。 今はそう思うことにしています。
  今回若菜小/若菜東小の校歌をリクエストされたかたは、今秋に両校合同の同期会を予定され
 ているそうです。 編曲が間に合えば、その会で校歌を歌う時の伴奏にしたい、とも書かれてい
 ました。 編曲する側としては非常に嬉しく張り合いのあるお話です。
  願わくば、本当に願わくばですが、久しぶりに校歌を聞いたことで地元夕張に集まってクラス
 会などが開かれるような、私のHPが一度でもそういうきっかけになってくれればいいな。
 そうやって夕張に人が集まってくれれば、経済効果の面で音楽も「パンひと切れ」くらいにはな
 るかな、などと都合のいい想像をしたりしているのでした・・・。


 2008年 6月13日 (金)
 【 映画音楽 】
 
  夕張の映画祭は、地元の人たちの努力で、今年も開催されましたが、私も映画は大好きです。
 本当の映画通には怒られそうですが、最近はDVDなどという便利なものがありますので、こち
 らもかなりの本数を持っています。
  曲がりなりにも音楽をやっていますと、映画を見ていても耳はついバックの音楽を追ってます。
 映画の中で音楽の占める割合は、かなりのものだと思います。 口が悪くて申し訳ありませんが
 例えば「スター・ウォーズ」なんて、あの音楽がなかったらただのB級特撮映画だと思いますし、
 「007」シリーズの冒頭、「ひまわり」のラストなんかも、あの音楽と切り離すことはできな
 いでしょう。 
  映画音楽の作曲家で今世界的に最も有名なのは、「スター・ウォーズ」や「ジョーズ」などの
 音楽のジョン・ウィリアムズと言っていいでしょう。 彼の編曲はお見事としか言いようがあり
 ません。  本当に爪の垢を煎じて飲みたいくらいです。  他にも素晴らしい曲を作った人は
 たくさんいますが、あと一人名前を挙げるとすれば、ビクター・ヤングでしょうか。 30代の
 若さで亡くなってしまいましたが、"Around the World"(「80日間世界一周」のテーマ曲、少
 し年配の方には「兼高かおる世界の旅」のテーマ曲と言ったほうがいいかも。)や「エデンの東」
 は誰でも知っていると思います。 非常にメロディアスな曲を作る人でした。
  映画音楽を作ることは今でも憧れているのですが、こればかりは映画作りに参加させてもらわ
 ないとできません。 言うまでもなく、そうそう機会があるものじゃないですよね。 どなたか、
 映画を作る機会があったら、是非やらせてください。(そんな人、いそうもないけど・・・。)
 


 2008年 6月10日 (火)
 【 目減りしない資源 】
 
  石炭の歴史村の遊具の解体が始まりました。 私はあの場所の石炭の歴史村以前の景色を憶え
 ていますが、遊園地ができたのはもう25年も前ですから若い世代の人には観覧車やコースターが
 ある風景こそが夕張の景色、やはり寂寥感を持たれる方も多いのではないかと思います。
  ハコ物が全ていけないとは言いませんが、観光資源としての観点から見れば、テーマパークや
 リゾートホテルなどは新しいうちが花で、古くなるにつれどんどん魅力が減ります。 観光資源
 としては目減りが非常に大きい。  歴史資料的な価値がある石炭博物館や模擬鉱は別として、
 遊園地などはやはり古くなって魅力が無くなっていたんじゃないでしょうか。 結果論なら誰で
 も言えるというそしりを承知で言えば、現在の事態は当然の帰結なのかもしれません。

  観光資源としてハコ物の対極にあるのは「自然」ですが、本当に生のままの自然は、人を寄せ
 付けないように思えます。 人を和ませ惹きつけるのは、例えば富良野・美瑛のように人が手を
 入れた自然、変な言い回しですが「人工の自然」の景色のような気がします。 「里山」という
 単語の持つイメージと言い換えてもいいかもしれません。 資源としてみても、あの美瑛の丘の
 景色の価値なら時が経っても目減りしないでしょう。 観光を目指すならあの方向がいいなあ。
  ただ、美瑛の丘の景色は一朝一夕でできる訳ではありません。 夕張でも最近は桜の植樹など
 が行われています。 数十年かかるかもしれませんが、こういう事が将来の観光資源に繋がれば
 すばらしいなあ・・・などと遊具解体のニュースを見ながら思ったのでした。 
  


 2008年 6月 6日 (金)
 【 音楽の町 】
 
  こういうページをやっているくらいですから、私も音楽は好きですが、夕張出身で音楽の世界
 で活躍している人はけっこういらっしゃいます。 絵画だったり書道だったり音楽だったり、と
 夕張は芸術・文化に熱心だったんじゃないかと思います。 テレビなどで拝見しても、狭い町の
 ことですから、その方の色々なエピソードが耳に入ったりして身近に感じますよね。

  大橋純子さんは現在も活躍しておいでで、すばらしく歌唱力があるかただと思いますが、高校
 時代の私の担任の先生は、大橋さん(彼女のほうがちょっと先輩です)の担任もされたそうで、
 在校当時から机の上に飛び乗って歌っていたということですから、歌はお好きだったんでしょう。

  リリーズのお二人はお会いしたことはありませんが、お父さんは存じています。  我が家の
 初めてのカラーテレビやステレオ、私が小遣いを貯めて買ったラジオも、清水沢にあるお二人の
 実家の電器屋さんから買っていました。  お父さんには我が家にも何度か来ていただいたので
 すが、お元気でいらっしゃるのでしょうか。

 
 実は最近はもう一人、活躍している方がいます。名前がどこにも出てこないので、知らないで
 音だけ聴いている人がほとんどだと思いますが、スタジオミュ−ジシャンのS君です。  彼は
 私の親友の弟さんで、長いことオーケストラでオーボエを吹いてきましたが、最近はサウンドト
 ラックの演奏などで非常に活躍しています。  映画ですと「海猿」や、昨年続編も封切られた
「ALWAYS〜三丁目の夕日」、テレビだと富良野を舞台にした「優しい時間」、確かこの春まで放映
 のNHKの「ちりとてちん」のサントラにも参加していたと思います。「ALWAYS・続〜」は私も
 映画館に見に行きましたが、つい映像よりバックのオーボエの音のほうを追ってしまいます。
 
  


 2008年 6月 3日 (火)
 【 床屋さん 】
 
  私は夕張で小学生だった頃からかれこれ40数年、ずっと同じ床屋さんに通っています。
 小さい頃から通っているので、語感としても理髪店というよりは「床屋さん」という感じです。
 夕張に住んでいた頃はもちろん、大学生の頃も帰省で実家に帰ってきた時に合わせて行くように
 していましたので、他の床屋さんにかかったことが一度もありません。 当時の大学生は伸ばし
 放題の長髪が当たり前だったので、散髪もそのくらいの頻度で構わなかったんです。
  そのうち床屋さんのほうも私の住む町に引っ越してきましたので、それからはそちらに通う
 ようになって、結局今でも私は夕張時代の床屋さんに通っています。  仕事上の付き合いが
 ある人が話してみると夕張出身で、しかもこの同じ床屋さんの客だったという偶然があったり
 で、まさに「浮世床」(注;古典落語のネタです)の風情です。   
  私が最初に通いだした夕張の店の建物はずっと残っていたのですが昨年とうとう取り壊され、
 思い出の場所がまたひとつ消えたねえ、と床屋のご主人と思い出話になりました。床屋という
 シチュエーションには世間話がつきものですが、夕張の話題になるとどうしても暗い話になり
 がちなのが淋しいところです。

  先日その床屋さんに行った折に、漬物用の夕張メロンをいただきました。   夕張以外の
 住民の方にとっては「夕張メロンの漬物」というと、大変に贅沢なもののようの聞こえるかも
 知れませんが、いくら地元でも、連想するようなあのオレンジ色の果肉の糖度の高いメロンで
 漬物を漬けるわけではありません。 まだ大きくなる前で青肉のウリのような段階のものです。
  粕味噌でもいいのですが、今回は浅漬けにしておいしく食べました。夕張に住んでいる頃は、
 さほど珍しいとも思わなかったメロンの漬物ですが、今回は妙に懐かしい気持ちで頂きました。
 ふるさとは遠きにありて・・ではないですが、メロンも長芋も夕張に住んでいる頃より今のほう
 がおいしく感じます。 故郷の食べ物も離れてみて初めて有り難味が判るのかもしれません。
  


 2008年 6月 1日 (日)
 【 県庁の星 】
  
  テレビで数年前の映画「県庁の星」をやっていました。 織田裕二演じるエリート県庁職員が
 民間交流で派遣されたスーパーマーケットで奮闘する映画で、以前にも見たことはありました。
  映画の中核を成す2つのストーリーは、経営不振でつぶれそうなスーパーの再建と、県庁内で
 進行する200億円の巨大ハコ物プロジェクトです。 映画の終わり近くで、主人公は県議会で
 叫びます。「わが県は国からの地方交付税や補助金で予算を賄っている。 今後地方自治が完全
 独立採算となれば、わが県は経営破綻する。」
  この映画が封切りされたのは2006年2月。 夕張市が財政破綻を明らかにする直前の映画
 です。 今改めて映画を見ると、何だか数ヵ月後の夕張の財政破綻を見越したかのような展開に
 つい偶然とは思えない符合を感じてしまいます。
  映画のラストシーンは県庁展望休憩室のシーン。  それまで職員がタダで飲めたエスプレッソ
 マシンの前に置かれた「一杯100円」の立札がアップになってエンドロールです。主人公の県庁
 改革の努力の結果は、職員のコーヒーが有料になったことだけ、というオチですね。
  夕張は否応無く改革を迫られています。 とてもコーヒーを有料にする程度で文字通り「お茶を
 濁す」状況ではありません。 私も市役所には友人知人が多く残っていて、彼らは今とても大変な
 労働環境に置かれています。 映画の中のスーパーは従業員の団結と工夫で見事に再建を果たします。
 夕張もここは踏ん張ってほしい、ピンチをチャンスに変えてほしい、現実は映画のように行かない
 のは百も承知のうえで、映画を見ながらそう祈りたい気持ちになったのでした。 






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