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2016年 7月


 2016年 7月 27日 (水)

 
  川崎重工製T-4:「ブルーインパルス」。 まぐれで何とか一枚撮れた。


 
  テールローターは垂直安定板に組み込まれた形の「フェネストロン」式。
  独特の高周波音を発するので飛んでくるとすぐ判る。 
 【 航空祭に思う 】
 丘珠空港で開催される「札幌航空ページェント」に出かけ
 てきました。 隔年で開催されているのですが、私が見に
 行くのは十年ぶりになります。

 この催し、前日の予行飛行からたくさんの人が集まったそ
 うで、新聞によれば観客数は約38500人らしいです。
 数の中には、ということなのでしょうが、残念ながら今回
 も撮影のために勝手に農地に踏み入ったり、座り込み禁止
 とされている場内に椅子まで持ち込んで陣取ったり・・・
 ルールを守らない連中がいたことはとても残念です。  
 最近は鉄道もそうですが、「ファン」と認めたくないよう
 な輩がどの分野でも存在するようで全く嘆かわしい。

 「ブルーインパルス」や室谷義秀さん(レッドブル・エア
 レースで先日初優勝した人)の曲技飛行もありましたが、
 私はどちらかというと地上に展示している機体のほうに目
 が行ってしまいます。 モーターグライダーや昨年調布で
 事故を起こしたパイパーPA46の同型機もありました。

 HBC・STV・HTB・UHBと道内各テレビ局の報道
 ヘリも展示してありました。 東日本大震災や先日の熊本
 の大地震のときに飛び回る報道ヘリに「救助の邪魔ではな
 いのか」と感じたことを思い出しました。 

 「震災時には報道機は平時より300ft高い1300ftの
 最低高度が義務付けられるし、最近のヘリは低騒音なので
 救助を妨げたりしない」と主張するジャーナリストもいる
 ようです。

 でも1300ft=390m、高いといってもスカイツリー
 の中ほどの高さにすぎません。 今回実機を見でも排気口
 やローターに低騒音化の特別な細工がしてあるわけでもな
 いようです。 その高度で頭上を飛び回れば、瓦礫の下の
 生存者の声や音を遮るには十分でしょう。  もし自分が
 瓦礫の下から家族を救助しようとしている時だったら・・
 撃ち落としてやりたくなるかもしれません。 もちろん、
 気持ちとしては、ということですが。

 欧米では既に災害など緊急時の報道ヘリに強い規制をかけ
 ているところもあります。 そろそろ日本でも代表機1機
 だけの飛行にするとか、それこそドローンを利用するとか
 具体的な規制をすべき時かなと思ったりしています。



 2016年 7月 23日 (土)
 【 通学路その2 】
 鹿の谷駅の駅舎に入って、何枚か写真を撮ってきたのですが、昨日もご紹介した2011年6月のこの欄を改めて眺めていて、
 「こんなに列車の便数が少なかったっけ?」と思ったもので、写真で比べてみました。

 左が2010年10月撮影のもの、右が今回撮影してきたものです。 この6年間どこかの時点で一気に減便されたのが、徐々
 に減ったのか定かではありませんが、9往復→5往復と大幅に減っていることが判ります。 

 ネットで検索すると昭和42年当時の時刻表が出ていました。 鹿の谷駅のところを拾うと
  上り(紅葉山方面)549・642・725・740・844・1015・1050・1159・1320・1505・1602・1737・1848・1913・2041・2201 (計16便)
  下り(夕張方面) 624・708・804・825・958・1141・1248・1449・1545・1646・1832・1957・2040・2138・2248    (計15便)
 私が通学していたのはこれより少し後の時代ですが、概ね同じくらいの便数だったと思います。つまり現在の3倍ほど、
 昔はこれに石炭列車など貨物列車もありましたから20往復を超えていたものと思われます。

 昔の記憶とこのダイヤを照らし合わせると、朝は8:04に鹿の谷に着いて8:30のホームルームにぎりぎり間に合うくらいで
 列車が遅れると冬は間に合わないこともあったこと、帰りは15:00に授業が終わって吹奏楽の練習をやって、17:37の列車
 で帰っていた(ダイヤ改正で多少は時刻が違うけど)こと、など当時の記憶が少しずつ甦ってきました。

 ホームに出た家内が「ここ、今は列車が走ってないの?」と言います。「いやいや、ちゃんと走っているよ」と答えたので
 すが、家内は錆びたレールを見てそう勘違いしたようです。 一日5往復だとレールが磨かれるのが錆びに追いつかないと
 いうことでしょうか。 何とも寂しい限りです・・・。


 
鹿の谷駅時刻表(2010年10月撮影)


 
鹿の谷駅時刻表(2016年7月撮影)



 2016年 7月 22日 (金)

 
   この道の先に旧市場があった。
 【 通学路 】
 鹿の谷駅の周辺も少し歩いてみました。 駅舎もかつての雰囲気はなく、周囲の
 建物もずいぶん取り壊されていて、駅の跨線橋がなくなって歩道橋になったのは
 もうずいぶん前の話ですが、今は外のトイレも貨物集荷場も、駅を出ると右手に
 あった石造りの倉庫もありません。

 新旧駅舎の姿は2011年6月15日のこの欄に掲載したことがあります。 私の記憶
 にある学生時代の鹿の谷駅はもちろん旧駅舎のほうですが、今は1日五往復だけ
 が時刻表に刻まれている無人駅です。  訪ねたのがちょうど列車のない時間帯
 だったせいか、写真を撮ったりホームにでたりしている間、人影は全くありませ
 んでした。

 かつでの通学路を辿り、駅から右に出て急な坂を下りて線路と並行して旧市場に
 至る土手下の道まで下りてみました。  周囲の木々が伸びたせいか坂道を下り
 ながら望めたはずの鹿の谷の町並みは全く見えなくなって鬱蒼としていました。
 道自体も少し幅を拡げて傾斜を緩めたのか、小型車なら自動車でも下りられそう
 です。(柵で車の通行は禁じられています。)

 坂を下りきると、右手に線路の土手を見ながら、旧市場に向かってまっすぐな道
 が続いています。(写真) 左手の家こそ数が減りましたが、この風景はまだ昔
 の面影を残しているかもしれません。 数年前に大雨で崩れたのは、まさにこの
 写真の右の土手です。

 当時は、あれは正体は何なのか判りませんが、砂利代わりに赤茶色の土を敷いて
 あって逆に歩きにくかった記憶があります。 夕張出身ではない家内に聞いたら
 そんな土は知らない、と言っていましたから、炭鉱に関係した廃土だったのかも
 しれません。

 工業高校の学生は鹿の谷駅からまっすぐバス通りに向かって歩いていましたから
 こちらはほとんど北高生だけしか通らなかったはずですが、それでも毎日数百人
 が往復していたはずです。 静まり返ったこの道も遠からず山に還っていくので
 しょうか。



 2016年 7月 18日 (月)

 
   画面右奥が鹿の谷駅方向。 手前の橋桁は途切れている。
 【 メロンオーケストラへ 】
 世間は「海の日」の祝日の今日、年に一度の「夕張メロン
 オーケストラ」の演奏会を聞きに「山」の方角に足を向け
 てきました。

 今日の夕張は夏らしい暑さとは無縁で、路面が濡れない程
 の霧雨が落ちてくる生憎の空模様でした。 半袖で車の外
 に出ると肌寒いくらいです。

 今年の演奏はカリンニコフの1番という、知名度の低い交
 響曲をメインに構成したプログラムでしたが、演奏技術的
 には難易度が低かったせいか、なかなかの名演でした。
 (カメラを忘れて会場に入ってしまったので、残念ながら
  写真はありません。)

 少し早めに着いたので、鹿の谷駅周辺を少しだけ歩いてき
 ました。 写真は旧市場そばの鉄橋です。 前にどこかに
 書いた気がしますが、北高に通学していたころ、列車通学
 だった私たちは、列車の時刻ぎりぎりまで吹奏楽の練習を
 していて、毎度のように駅まで走っていたものです。

 で、走っても間に合いそうもないとき、最後の手段として
 使っていたのがこの鉄橋でした。 洋裁学校下の踏切から
 線路に入った私ら悪童どもは、この鉄橋を右手に学生鞄、
 左手に楽器のケースを抱えたまま、全力疾走で駆け抜けて
 いたものです。 鹿の谷駅のホームまではこれが最短距離
 でしたから。 鹿の谷駅のみなさん、ごめんなさい。

 ご覧の通りかなりの高さですから転んだら無事では済みま
 せんが、そんなことは露ほども考えませんでした。今なら
 頼まれてもやりません(当たり前だ)が、恐れを知らない
 とは、こういうことを言うのでしょうねえ。



 2016年 7月 9日 (土)

 
   タイトルは 『花売り 』・・・どこが??
 【 美術館 】
 現在公開中の「ポーラ美術館展」を見に道立近代美術館へ行ってきました。  平日にも
 関わらずかなりの人出で、観覧は長蛇の列。 まあピカソをはじめ、ルノワールやモネ、
 マチス、ゴーガン(最近はゴーギャンとは表記しないみたい)など、印象派からエコール
 ・ド・パリに至る私でも名前を知っているような画家たちの作品ばかりですから、仕方が
 ないかもしれません。

 生まれて初めて本物のピカソの絵を見ましたが、案の定というか、頭の中は「?」マーク
 がいっぱいで、私には「豚に真珠」だったかもしれません。

 そんなに美術館に足を向ける機会もないので、常設展示のほうも見てきたのですが、こち
 らは予想外の収穫がありました。

 「夕張MATRIX」と名付けられたフロッタージュの作品群が展示されていたんです。
 フロッタージュ(frottage)とは、凹凸のある器物に柔らかめの紙をあて、鉛筆やコンテ
 でこすって形を写し取る技法で、自分でもやったことがあるぞ、という方もいらっしゃる
 んじゃないでしょうか。


 作者の岡部昌生(おかべまさお)氏は、大谷大学などで教鞭をとる一方、フロッタージュ
 の作品を発表し続けているそうで、今回の展示では「真谷地炭鉱の選炭機の壁」なんてい
 う作品もあって、今では選炭機は影も形もないので、芸術としてはもちろん、炭鉱遺構の
 貴重な資料ではないかと思ったりしました。 興味のある方は足を運んでみてください。




 2016年 7月 7日 (木)

 
 北陵中学校跡地にある記念植樹プレート。
 【 10年の月日 】
 夕張市の財政破綻が報じられたのは2006年春のことでした。 今年でちょうど
 10年経ったことになります。

 この10年の間で、1万3千人だった人口は9千人を割り込み、6校あった小学校
 4校あった中学校は1校ずつに、市の職員も半分以下になりました。 市立病院も
 規模を大幅に縮小し管理者を「夕張希望の杜」としましたが、来春にはその指定管
 理者もまた新しく迎え入れようですね。

 紅葉山(新夕張)以外の駅はすべて無人駅となり、市民会館も老朽化により廃止。
 皮肉でもなんでもなく、新しくなったのは道路とダムだけ、というのが現実です。
 この先の10年は・・・無くなる一方でないことを心から祈りたいと思います。

 数日前には破綻後最初の市長の藤倉肇さんが亡くなられました。 全国初であった
 自治体の財政破綻を如何にして再生するか、前例のない中で計画を取りまとめるこ
 とは苦難の連続だったに違いありません。 心からご冥福をお祈りいたします。

 10年分の写真データを整理していたら、その藤倉市長の植樹プレートの写真があ
 りました。 北陵中学校跡地にある桜に付けられた番号は「07-00003」。ちなみに
 「07-00005」は吉永小百合さん、「07-00006」は石田ゆり子さん、「07-00016」は
 加藤登紀子さんでした。 こちらは9年前になりますが無事に成長しているかな。
 桜はすごくデリケートな木らしいですから・・・。



 2016年 7月 3日 (日)

 
かなり老朽化した現市役所
 【 財政再生計画変更 】
 夕張市の公式HPの「市長の部屋」のなかで、先月21日付で夕張市財政再生計画の変更が総務省に認め
 られた、という記事がありました。

 詳細な数字を見ても素人の私には理解できませんが、ポイントとしては総務省HPに公開されている書面
 のほうがわかりやすいようです。

 これによれば今回認められた点は3つ。 (1) 単層メタンガスの試掘調査 (2) コンパクトシティ推進事業
 (3) 拠点複合施設整備事業 ・・・・。

 中でも(3)は私は初めて知りました。 「拠点複合施設」という単語が耳慣れませんが、「交通結節点機能
 や子育て支援機能、研修施設等を有する複合施設」とありますから、昨年廃止された市民会館に近いもの
 なのでしょうか。 市民会館にかつてあった駅の代わりにバスターミナルをつけたような。 大ホールが
 付帯するかどうかは判りませんが。 インターネットで調べると岩手県の滝沢市が「交流拠点複合施設」
 という施設を建設中で、施設の概要が公開されていました。 こんな感じなのかなあ。

 どこに建てるかも気になりますよね。 順当なところは最大人口がある清水沢・南清水沢あたりでしょう
 が、いつまで鉄道が残るかも考えると、思い切って幹線駅も高速道路もある紅葉山(新夕張)はどうだろ
 う(こう書くと地元の人にすごく反感を買いそうですが)などと思ったりしています。



 2016年 7月 1日 (金)

 
 【 やっとの夏空 】
 先月中旬以降、とにかく青空が見られませんでした。 毎日どんよりとして時折雨がぱらつく
 ような日がずっと続きました。 部屋にこもっている私には実害はないですが(というより、
 エアコンを使わずに済むので逆に助かるくらい)、農家の方々は気が気じゃなかったのではと
 思います。 ここ数日ようやく晴れたかと思えば、今度はいきなり夏空で気温が上がり、体調
 を崩しそうです。 極端なんだよなあ、この頃の天気は・・・。

 先日まで校歌を清書していて気がついたのですが、私の母校の小学校の校歌について在校当時
 からずっと(いったい何年前の記憶だよ、って話ですが)気になっていた箇所がありました。
 いわゆる「Bメロ」にあたるメロディに出てくる「シ」の音:ヘ長調の曲なのでもともと♭が
 ついているのですが、ここに♭をつけてピアノ伴奏をする先生と♮をつけて半音上げて弾く先生
 がいたんです。 私の1~2年の担任のS先生は♮派、3~4年の担任のC先生は♭派でした。

 子供心に私は「絶対に♮で半音上げた方がカッコイイ!」と思っておりましたが、本当はどっち
 だったんだろうとずっと気になっていたんです。

 今回初めて手書きの原譜を見てこの疑問には決着がつきました。 正解は「♮」。 半音上げる
 のが正かったようです。 半世紀以上に亘り疑問に思っていたことがやっと解決したわけです。
 S先生には今も年賀状でご挨拶だけはしているので、来年の賀状に書こうかな。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記