早いもので父も新盆を迎えることになり、廻向に菩提寺に行きお詣りをしてきました。
昨年8月から今年7月まで、廻向に来た家族の名を読上げていくのですが、改めて彼岸
に渡った方がこの寺だけでこんなにいるんだと、自分が人が多い都会に住んでいること
を実感していたところです。
数年前に「九十数年生きてきて、印象に残る日を一日だけ挙げるとしたらどの日?}と
父に尋ねたことがあります。 父の答えは「そうだな、やはり終戦の日かな」でした。
父は終戦を旧制高校の学生だった仙台で迎えました。 終戦のほぼひと月前、仙台市は
123機のB-29による空襲を受け、市の中心部の大半を焼失しました。 父の通う
旧制第二高等学校も校舎を失いました。 父の住む学生寮は郊外の高台にあったために
父は無事でしたが、空襲翌日に学校の様子を見に行くと、周囲一帯が焼け野原になって
いて呆然としたそうです。
高校の友人に仙台市の上層部の子弟がいて、実は父たちは彼から8月14日に「明日、
日本は無条件降伏する」と聞かされ、「そんなはずはない」と激論になったそうです。
結局その情報は正しく、玉音放送を聴くことになりました。 もう爆弾は落ちてこない
という安堵・今まで何年も何をやってきたんだという無常感・明日からどうなるんだと
いう不安・・・・色々な感情が交錯しながら見上げた真っ青な夏空を、何とも言えない
気持ちで見上げたことは忘れられないと申しておりました。
父が亡くなり、賀状のやり取りをしていた級友もご存命なのは確かお一人だけになった
と思います。 昨今の世界を見ていると、戦争体験者が他界し、戦争の記憶が少しずつ
薄れていくことは何より危険なことだよなあ、と思ったりしています。
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