音風景・夕張 日記TOP





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2021年09月


 2021年09月23日(木)
 

 
彼岸過ぎ
秋の彼岸になりました。 天文学的には秋分
 の日。 今日から夜のほうが長くなります。
 間もなくまた長い冬がやって来るかと思えば
 ちょっと陰気になろうというものです。

 一昨日は「仲秋の名月」でした。 お存知の
 ように月は29日で地球の周りを公転するの
 で、新月を0とする月齢は14.5が満月と
 なります。 一昨日がその満月の日だったの
 ですが、月と地球の位置関係は刻々と動いて
 いくので、天文学(幾何学)的に完全な満月
 となるのは実はピンポイント・一瞬です。

 21日の満月の場合ですと、午後8時55分
 が本当の満月。 この手のことに小うるさい
 私はできるだけ厳密な満月を、と思いまして
 撮影したのが右の写真です。 まあ肉眼では
 21日は一晩中同じ月にしか見えませんでし
 たけど(笑)。

 夏目漱石の「彼岸過迄」は、主人公が徐々に
 心の有りようを変えていく様を繊細に描いて
 います。 物思う秋、というくらいですから
 彼岸を過ぎ晩秋に向かう今、少しは物思いに
 ふけってみましょうかねえ。




 2021年09月20日(月)  
【 ワクチンを待つ 】
我が家は全員コロナワクチンの接種に積極的でしたが、高齢の両親を除け
 ば特に優先される何かがあるわけでもないので、なかなか接種予約が取れ
 なかったのですが、それでも数日前にようやく家族全員が2回目の接種を
 終えることが出来ました。 心理的にはやはり安心しますね。

 道内は全国平均よりワクチン接種が遅れていて、9月16日時点で2回目
 の接種を終えた人は全体の44.6%。 まだ半分に達していません。ワク
 チンを打ちたくても思うように打てない、と感じている人はまだたくさん
 いらっしゃると思います。 

 日本は諸外国と較べ、とにかく接種のスタートが遅かった。 特にG7に
 参加している国の中で最も遅かったことは紛れもない事実です。その後も
 供給の混乱:正確には供給情報伝達の混乱と言ったほうがいいかもしれま
 せんが、オリンピック直前の頃に接種回数が伸び悩んだこともあり、接種
 率は欧米主要国と較べ低い水準で推移してきました。

 それでも先月後半から接種回数も安定した伸びを見せ、現在は右のように
 ほぼ米国と並ぶ接種率まで来ました。ここに来て接種率が頭打ちになって
 いる米国と較べ、日本はまだ伸びそうです。 日本は1回目接種を終えた
 人がすでに65%を超えていて、普通1回目を打った人は2回目の接種も
 受けるでしょうから、早晩この65%という接種率までは確実に到達する
 でしょう。特に65歳以上の高齢者に限れば、約90%の人が既に2回目
 の接種を終えています。 全年齢でここまで進めば、世界でも最高水準の
 ワクチン接種率ということになるのですが・・・。

 コロナ禍も時間が経つにつれ、変異株が増えたりワクチン接種を受けても
 感染するブレークスルー感染も取り沙汰され、ワクチンさえ打てば大丈夫
 かといえばそうも言いきれませんが、ワクチンを打った方がリスクが少な
 いことは間違いないでしょう。 少なくとも接種希望者には、できるだけ
 早くワクチンが行きわたるといいですね。




 2021年09月15日(水)
 
  晩年病気がちだった祖父は枕元にも電話を置いていたらしい 
Google の旅 ⑤付録 】
その真谷地二区の社宅ですが、この春くらいから母が「ボケ
 防止に」と申しまして、方眼紙に昔住んだ家の間取りを書き
 起こしておりました。 その中に登川や真谷地の社宅の図も
 あったんです。

 これはある意味貴重な資料ですから、PCで清書しておこう
 と思いまして、まずは私も外観くらいなら記憶にある、この
 真谷地二区の社宅平面図を書いてみました。

 この図は一戸分で、建物としては図の上辺を基準線に鏡像の
 ようにもう一戸が繋がっている二戸一棟のものでした。これ
 が三棟、13日の写真の左手に並んでいたことになります。

 三棟のなかで母が住んでいたのは、最も合宿所に近い(一区
 寄りの)棟だったそうです。 三棟とも全く同じではなく、
 間取りや床面積は微妙に異なったようですが、全盛期の北炭
 の社宅は、道内の他の炭鉱でも概ねこんな感じだったのでは
 ないかと思います。

 玄関のほか勝手口と納戸の計三カ所に出入り口があり、勝手
 口を入って右の壁には御用聞きに対応する受付のような小窓
 まで付いていたそうです。 母たちは一度もその小窓を本来
 の目的に使ったことはなかったそうですが。

 4つの畳の部屋の襖を外すと、玄関ホールまで一体となった
 大空間が出来上がり、祖父は一年の節目ごとに部下の人達を
 招いては大宴会をしていたそうです。 恐らく数十人単位に
 なっていたでしょうから、準備をする祖母は相当大変な思い
 をしていたに違いありません。

 玄関を入って右奥の壁には電話機もありました。設備の故障
 や事故など緊急の呼び出しも多かったそうですから、電話は
 必要不可欠だったようです。

 電話もそうですが、炭鉱の社宅は早いうちから水道が通って
 いたし、後に建てられた三区のアパートなどは、水洗トイレ
 も備えていましたから、インフラに関しては先進的だったと
 いえるでしょう。 私が育った家は父方の祖父が建てた家で
 母方のこの社宅よりずっと新しい建物ですが、蛇口をひねる
 と水が出るようになったのは、最初の東京オリンピックが開
 かれた後のことでした。 炭鉱は未来都市だったんですね。




 2021年09月13日(月)
 
  昔は画面の左端から二戸一棟の社宅が三棟、更に奥に合宿が、
  右には手前から三戸一棟の住宅、二戸一棟の社宅、更に奥には
  炭鉱長公宅が並んでいた

 
Google の旅 ⑤ 】
更にストリートビュー上を一区方向に進みま
 す。 7日の写真で二区の社宅が三棟並んで
 いたあたりと思われる場所が右の写真です。

 母方の祖父は昭和28年までこの社宅の一番
 一区寄りの棟に住んでいたので、母も周囲の
 記憶があり、地形も覚えていました。

 社宅の敷地は三区側に行くに従って道路より
 少しずつ高くなっていたこと、社宅と道路を
 挟んだ向かい側は社宅よりもっと奥まで水平
 な土地だったこと・・・これらが写真と一致
 します。 7日の写真で、教員住宅の前から
 一区方向を撮影したのが今日の写真、という
 ことになりますか。

 ここも今は何も建っていません。母から地形
 を聞き取れなければ場所の特定は難しかった
 と思います。 真谷地の繁栄時を覚えている
 人もどんどん少なくなっていますので、今の
 うちに母に色々聞いておこうと思います。




 2021年09月10日(土)  
 昭和30年代の真谷地炭鉱病院 (松田芳明氏『ふるさとヤマ真谷地』より)

 
Google の旅 ④ 】
前回が前置きで、今も残っているバス道路を
 ストリートビューを使って、一番奥の一区に
 向かって踏切の先を登ります。 それで最初
 に現れる私の記憶に残る建物が二区の炭鉱病
 院です。 9月7日のこの欄の写真と較べて
 いただければ場所はお分かりかと思います。

 跡地を特定する手がかりとしては、渡り廊下
 で繋がる入院病棟を持つほどの規模の病院が
 建てられる平坦な土地があることと、背後の
 山が途切れ道路と直角方向に沢が入り込んだ
 地形であることです。 

 かつてはこの沢の出口に「病院の沼」(子供
 の幽霊が出るという怪談が伝えられていた)
 があったはずです。 昭和26年5月の真谷地
 の大火の時も、火の手は写真左手の山の斜面
 を焼き尽くしながら写真奥の一区方向に進ん
 できましたが、病院の沢のおかげで延焼が止
 まった(下写真正面の山は焼けなかった)と
 聞いてます。 だから炭鉱病院と沢はセット
 のはず。場所はここで間違いないでしょう。

 私が真谷地の炭鉱病院に足を踏み入れたのは
 わずか二度。 小学校に上がる前に従兄弟が
 スキーで骨折して入院した時と、中学生の時
 に曾祖母が猫に咬まれ腕に怪我した時です。

 今も印象に残っているのは、当時の病院特有
 のクレオソート(消毒薬)の匂いと、板張り
 の床が軋む音くらいかなあ。

 何度も書きますが、今は踏切のすぐ上に鉄製
 のゲートがあって、ここまで立ち入ることは
 できません。 時間の経過とともに写真より
 更に草木に埋もれ、病院の痕跡も薄れていく
 ことでしょう。 貴重なデータとして残して
 おきたいと思います。
 



 2021年09月07日(火)
【 真谷地1977 】
先日から続いている「Google-Earth」のストリートビューで巡る夕張の旅ですが、真谷地の三区より奥の方を見ようと
 すると、あまりの目標物の少なさに大苦戦しております。 現在は元の踏切の所に鉄製のゲートが設置され、それより
 奥に立ち入ることはできず、もはや実際に見に行くことはできません。 もしストリートビューのデータが更新される
 と二度と目にすることが出来なくなる風景ですので、何とかして今のうちに画像を残しておきたい・・・。

 ただ現在は建物が全く残っておらず「元の~の前の今の風景ですよ」とやりたくても、ストリートビューで道路の両側
 に映っているのは緑ばかりで、位置が全く掴めません。 私も住んでいたわけではないので、記憶に自信がない部分も
 多く、整理の上でまずは昔の建物と道路の曲がり方との関係を確かめようと、国交省が公開している空中写真のデータ
 との照合を試みました。

 同じものは前にも載せた記憶がありますが、写真は1977年(昭和52年)9月25日、高度2650mから撮影した真谷地の
 姿です。 閉山する10年ほど前で既に繁栄のピークは過ぎていますが、まだ炭鉱関係の建物が数多く残っています。
 炭鉱病院の西には鉱滓を捨てるトロッコの軌条が伸び、昔あった「病院の沼」は既に埋まってしまっているようです。
 母方の祖父は退職するまで三棟あった北炭の二区の社宅に住んでいた(一番合宿所側の棟)ので、母の方がこのあたり
 に詳しく、どこに何があったかも母に確かめました。 母によると二区の社宅の周囲は比較的平らな面が広く、道路の
 北側は社宅から合宿所まで、南側は教員住宅から炭鉱長の家くらいまではほぼ平地だったそうです。

 母の記憶では教員住宅は三戸建ての平屋で、真ん中に西小学校の校長先生が住んでいて、確か横路北海道知事の伯父に
 あたる人が住んでいたということでした。 三区の映画館(体育館)の傍には歌手の淡谷のり子さんの親戚も住んでい
 たという話も聞いたことがあります。 何しろ人口が多かったですから、いろんな人がいたということでしょうね。
 






 2021年09月01日(水)  
【 少しだけ秋 】
9月になりました。 これで今年も2/3が過ぎたわけですが、コロナの
 ワクチン接種を待っていたせいもあったのか、この夏は何だかとても長く
 感じました。

 あと夏が長く感じたもう一つの原因は、とにかく暑い日が連続したという
 こともあるでしょう。 札幌気象台のデータによれば、1991年~2020年の
 20年間の札幌の真夏日の年間日数は平均8.6日。 それが今年は23日
 もあったそうで。 いったん暑さが去った8月末にも再び3日連続で真夏
 日となって、とにかく記録的に暑い夏でした。 さすがに今日あたりから
 最高気温も24℃以下(夏日にも達しない)となり、少し秋の気配を感じ
 るようになりましたけどね。

 コロナはいまだ収束の見通しも立たない状況です。 ”お上”のやること
 なすことが腹立たしくても、とりあえず今は自粛できることはできるだけ
 自粛するしか手はありません。

 観念論をいくら言っても仕方ないので、ひとつだけ具体的な改善点を挙げ
 れば、不織布製マスクの使用徹底でしょうか。 デルタ株が席巻している
 現在では、ウイルスが唾液などの飛沫にくっついて飛散し感染する「飛沫
 感染」から、ウイルスがもっと小さい粒子に付く、あるいはウイルス自体
 が空気中に浮遊する「空気感染」に感染の仕方が移っています。

 そうなるとマスク着用の効果も低下しますが、最低でも目の細かい不織布
 のマスク着用をもっと訴えるべきだと思います。 テレビなどで見てると
 飲食関係や報道関係の人でもウレタン製など不織布以外のマスクをつけて
 る人、けっこう見ますよね。

 ネットを見ていたら
 『アベノマスクを着けて病院に行ったら、入口で「そのマスクでは入れま
  せん」と言われ、不織布のマスクを渡されました』
 という冗談なのか実話なのか判らない話も出てましたが、せっかくマスク
 をするなら、ガーゼやウレタンのマスクではなく、不織布のマスクを着用
 するよう、もっとPRしたほうがいいんじゃないでしょうか。これくらい
 ならみんなできそうだし。

 何でもそうですが「百の精神論より1つの具体策」ですよね。 安全安心
 なんて、呪文のように唱えてるだけじゃ手に入るわけないじゃん。