音風景・夕張 夕張市内の学校校歌を公開中!




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2026年06月

 2026年06月18日(木)  
 

【 判っちゃいるけど・・ 】
最近になってテレビ各局の夕方の情報番組で
 夕張市が取り上げられていますね。

 明日6月19日(金)19:30からはNHKの
 「北海道道」で「夕張が描く未来 財政破綻
 から20年-あなたとNEXT-」というタイトル
 での放送があるようです。
 
 ご存じの通り、夕張市は来年3月で国からの
 借金を完済して、財政再生団体からの脱却を
 果たします。これで道路の穴一つ埋めるため
 にも総務省の許可が必要な状態からは抜ける
 ことになりますが、右のグラフでも明らかな
 ように、人口の減少には全く歯止めがかかる
 兆しがありません。 地区ごとの人口で千人
 の桁に達しているのは清水沢地区だけです。

 2009年1月から2025年12月までの17年間で
 夕張市の人口は5624人減りました。ほぼ半減
 したわけです。 平均すると毎年330.8人ずつ
 人口が減ったことになりますが、昨年一年間
 の人口減少が341人ですから、グラフからも
 数字からも、ほとんど定数で人口が減少して
 いることが判ります。 すべてはまず人口減
 を止めるところから始まる・・・のはみんな
 判っちゃいるんですけどね。




 2026年06月13日(土)
 
  各保健所の今年第23週の1日当たりの感染者数。
  ゼロのところがけっこうある。
   
【 コロナも収束か? 】
毎週木曜に新型コロナ感染症の発生動向の数字が発表されてきました。
 この3月までは道のHPの中で、4月以降は北海道感染症情報センター
 のHPで、道内各地の定点医療機関での週ごとの一日の平均感染者数を
 発表してきました。

 第5類移行以前は感染者の全数を発表してきましたが、定点医療機関の
 感染者数と感染者全数の間には強い相関関係があるので、感染者の動向
 を捉えるには定点医療機関での感染者数を調べておけばよいだろうとの
 判断で、全数集計はやめました。

 第5類移行までの数か月、全数と定点医療機関からの数字が同時に発表
 されていましたので、両方を見比べてみると二つの数字の間には確かに
 一定の比がありまして、私は個人的に全道と札幌市の感染者数について
 発表された定点医療機関の数字を元に、以前の全数検査の数字を推定し
 グラフにしてきました。

 今週木曜発表の数字で、札幌市の一日の感染者数が、ついに一桁になり
 ました。全数に換算しても一日6人。ピークの2022年第47週には一日で
 3366人も発生していましたが、それが一桁・・・全道の数字も24人で
 これまた最も少ない数字です。

 北海道感染症情報センターのページにある、道内各地の定点医療機関の
 新規感染者数の生の数字は右写真の通りです。 この数字自体は各医療
 機関の一日の感染者数そのものですが、全数に換算する比は機関ごとに
 違いますから(例えば全道と釧路の数字は同じ0.13人ですが全数に換算
 したときの人数は同じではない)単純に数字の大きい所が感染者が多い
 ということにはなりません。

 しかしゼロの所はどんな比をかけてもゼロです。 道北からオホーツク
 にかけてや、胆振日高十勝、渡島桧山もゼロが広がっています。 新型
 コロナの感染者が全く出ない地域が増えたということです。

 春の連休で人流が増えた期間も、特に感染者が増えることはありません
 でした。 ワクチンの接種率も下がっているのに、この程度の感染者数
 で済んでいるというのは、やはり新型コロナ感染症がいよいよ収束して
 きたから、ということなのかな・・・と思ったりしています。




 2026年06月10(水)
 
 沼ノ沢神社 昔はこんな立派な注連縄はなかった気が・・



 
 神社の隣の「交通公園」 かなり草に覆われつつある
 
【 沼の沢・真谷地へ③ 】
「くるみ食堂」で昼食後、沼の沢神社に立ち寄ってみました。
 以前は貨物コンテナの二回りほども大きな電話の自動交換機が
 置いてあった場所を通り、左に大きくカーブして神社の前へ。

 昔はこの道は固く締まった砂地で、舗装などしてなかったのに
 アスファルト路面以上に平滑で、自転車でスピードを出すには
 ぴったりでした。

 逆に神社側から来ると直進が急な下り坂で木工場に至り、右に
 分岐するとこの砂地の道だったのですが、今は直進の下り坂は
 痕跡すらなく、砂地は舗装されてガードレールも付けられ以前
 の面影は全くありませんでした。

 沼の沢神社はちょうど何かの工事中で、トラックが来て作業を
 していました。 今でも維持管理の手は入っているということ
 ですね。 鳥居の立派な注連縄(しめなわ)は昔は無かった気が
 するのですけれど。

 神社に向かって右手の広場には昔は舞台の骨組があって、毎年
 秋のお祭りには旅芝居の一座が来て芝居を上演していました。
 反対側・向かって左手の広場には土俵があって、やはり秋祭り
 の時には子供相撲があったりしました。 私の生まれる前には
 大相撲の巡業も来ていたらしいです。 沼の沢神社のお祭りは
 9月14日が宵宮・15日が本祭りでしたが、当時はたくさん
 の出店が立ち並び、真谷地からも客が来てかなりの人出だった
 と思います。 お祭りは今どうなっているのかなあ・・・。

 神社から更に小学校側には「交通公園(写真下)」がありまして
 ここは子供の気配はなかったものの、まだ往年の姿を残してい
 ました。 この場所は公園の前はゴミ捨て場で、あらゆる種類
 のゴミが無造作に沢に投棄され悪臭を放っていましたが、前回
 の大阪万博の前後に整地され公園になりました。90年代まで
 はまだ遊んでいる子供たちの姿を見かけたのですが、今は全く
 人の気配がありません。

 わが家もとうに更地ですが、「潤(うるう)商店」「三好土建」
 などの建物も姿を消していました。私の記憶にある故郷の姿は
 本当に記憶の中だけになりつつあるようです。




 2026年06月08(月)
 
 中央の三角屋根が「くるみ食堂」




 
 四つ角にある「くるみ食堂」の対角側にある公園。
  緑色のフェンスは昔から変わらない
 
【 沼の沢・真谷地へ② 】
実家の跡地の周辺を眺めているうちに昼になり、直線110m
 の「くるみ食堂」へ。前にも来ているんですが、とても美味い
 んです。

 このあたりは2区画バス通り寄りから一段低くなっている地形
 で、昭和40年代初めまでは営林署(今は森林監督局と呼ぶの
 でしたっけ)の苗圃(びょうほ):植林用の苗木を育てる場所
 でした。 苗圃の中にはバス通りの信用金庫横から真っすぐに
 夕張川に向かっていく道以外に道路はなく、神社の前まで一面
 背の低い松の苗木が植えられていました。

 私は昔から植物の知識が乏しいのですが、記憶にある苗木の葉
 の形から手繰ると、たぶんハイマツの苗木だったと思います。
 この広い苗圃は小学生だった私たちの格好の遊び場でしたが、
 高学年になった頃、ここを住宅地として分譲するという計画が
 持ち上がり、中学生の頃から整地と区画整理が始まりました。

 まず碁盤の目に道路ができ、最初に出来たのが「くるみ食堂」
 の対角線にある公園でした。ほどなくベンチや緑色のフェンス
 が設置され今の姿になりました。 周囲には元の苗圃の広さで
 道路以外は何もない空間が広がり、開放的といいますか不思議
 な雰囲気でした。 一番近い住宅からでも100m以上離れて
 いましたし、夕方以降は人の気配がないので、ギターを持って
 きて吉田拓郎の「落陽」を熱唱したりしてました(笑)

 それから次々と住宅が建ち始め、数年でほとんどの区画に家が
 建ちました。 あとで聞くとすぐに家を建てることが、分譲の
 条件だったらしいです。

 そうしてできたこの住宅街、私たちは「新興住宅地」と呼んで
 いました。 真新しい家々が立ち並んでいた一角は私たちには
 身近な未来だったのです。 でも50年経ちますと・・・

 「くるみ食堂」はインスタなどを拝見すると「古民家カフェ」
 と書いてあります。 新興住宅古民家なんだ・・今更ながら
 時の流れを感じたりしています。




 2026年06月06(土)
 
 1991年8月4日撮影 郵便局前に丸ポストが見える
  この時点では3区の4階建てアパートの上部も奥に見える



 
 2026年6月5日撮影  電柱の位置は同じなんだな・・
  かろうじて「ふじ井菓子店」は残るが隣の「道田商店」から
  先の店も、右列の郵便局の並びも今は建物がほとんどない。
 
【 沼の沢・真谷地へ 】
かなり久しぶりに夕張へ足を向けました。母が「行けるうちに
 もう一度だけ家のあったあたりを見てみたい」と言ったことも
 ありますし、私たち自身もだんだん年を取ってきて夕張を往復
 する体力が落ちてきていることもあります。

 私も含めた同級生の多くが、高校卒業とともに夕張を離れてい
 ますから、半世紀以上が過ぎていることになります。 両親が
 夕張を離れてからでも40年近く、長く人に貸していた自宅を
 取り壊し墓所を移してからでも12年・・・夕張へ足を向ける
 頻度がそのたび減ってきました。 母は実家を取り壊してから
 以来ですから12年ぶりということになりましょうか。

 紅葉山の道の駅で休憩を済ませて、まずは沼の沢のわが家へ。
 更地にしたときに木を伐採し草も完全に刈ったのですが、植物
 の生命力は想像以上で、跡地はすっかり鬱蒼としていました。
 「こんな木あったっけ」という太い木もある状態です。高校生
 まで暮らしていた面影は全くありません。

 「くるみ食堂」で食事をし、神社や小学校のほうを見ました。
 神社は鳥居に立派な注連縄が掲げられ、工事の車両が停まって
 いたので、一定の維持管理は続いているようです。

 続いて真谷地へ。 市街の三区側の端にあった母の実家跡まで
 行きましたが、こちらも沼の沢以上に人の気配がなく、右写真
 のように、かつて並んでいた商店街も、今は一番手前左にある
 「ふじ井菓子店(沼の沢に移転したのち閉店)」の建物だけが
 残り、ほとんどの建物が消えて草地になっていました。 二枚
 の写真の間には35年の歳月が流れていますが、何とも寂しい
 かぎりです。

 母はもともと二区に住んでいたのですが、最近はクマも出没し
 ますから、行くことは諦めました。私が小さい頃の真谷地市街
 には、寿司屋・天ぷら屋・2軒のパチンコ屋、割烹まであった
 ものです。今となっては全てがひと時の夢のようで、目の前の
 景色との落差にたじろいだのでした。




 2026年06月01日(月)  
 

【 半世紀前の沼の沢 】
本日のわが家周辺の予想最高気温は31℃!
 6月初日から真夏日の予想ですが、本当なら
 かなりの暑さですが、さてどうなりますか。

 前に国土交通省のHPからダウンロードして
 あった、1977(昭和52)年夏の沼の沢の
 航空写真を改めて眺めていました。 

 来年でちょうど50年、ほぼ半世紀前の写真
 ということになります。 今にして思えば、
 この頃の沼の沢が人口が最も多かったのでは
 ないでしょうか。

 駅には石炭積み出し用の引き込み線や、当時
 は残っていた真谷地線の軌条も見えます。
 (真谷地線が消えたのはこの10年後です)

 写真下には向陽中学校の三桟校舎や体育館、
 体育館前の銀杏並木まで写ってるし、真谷地
 へ向かう踏切の南側にあった歩道橋も写って
 います。これを見るまでここに歩道橋が存在
 したことを長いこと忘れていました。

 農協のスーパーやその対角線に建つ三好土建
 の建物、駅前広場横の洋裁学校から踏切まで
 並んでいた商店、青年研修所、もちろん二つ
 の学校も、すべてが今はもうありません。

 この4年後の事故により、せっかく完成した
 新鉱も閉山してしまいます。 基本は農業の
 町だから炭鉱の浮沈の影響は少ないだろうと
 思ったのですがそうではなくて、現在の地区
 人口はこの当時の1/4になりました。

 北海道の総人口が70年ぶりに500万人を
 切ったそうです。 過疎は夕張に限ったこと
 ではないですが、何とも言えない気分です。