音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記

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2008年 8月


 2008年 8月30日 (土)
 【 方言礼賛 】
  
 前回の写真のコメントで北海道弁の話を書きましたが、普段標準語を喋っているつもりでも、知ら
 ずに方言を使っていることがあるものです。 私など北海道以外に住んだことがない生粋の道産子
 ですからなおのことで、それもだんだん歳を取るにつれて方言度が進んでいるような気がします。

  ただ、私はもともと標準語が正しい日本語だとは思っていません。 逆に標準語なんてのは音階
 でいえば平均律みたいなもの、各地の方言が歩み寄った妥協の産物で、方言こそが純正律、本当の
 日本語なんじゃないかと思っています。  
  最近は更に積極的に「これは絶対方言で言い表したほうが的確」な場合もあると感じていまして
 例えばここで実例を挙げるとですね、

  @「母さん、晩のしたくどうすんのさ。」「ああ、そこの米
うるかしといて。」
  A「どうだ、その新しい靴、いずくねぇか。」

 これ、どちらも標準語にはぴったりなニュアンスの言葉がないですよね?
 @の「うるかす(うるける)」は、「浸す」と「浸み込ませる」を足して、更に水の量がちょうど
 ひたひたな加減で、なおかつ十分に水を吸っているけれど「ふやける」ほど柔らかくなっていない
 という微妙なニュアンスを一言で表わしていると思うんですね。
 Aの「いずい」の、こう何というか居心地の悪さというか、違和感というか、擦れる感じというか
 はやっぱり「いずい」以外の何者でもない。 「目がいずい」は、「痛い」でも「ごろごろする」
 でも「ちくちくする」でもなく、「いずい」でしょ?  どちらも非常に複雑なニュアンスを同時
 に伝えうる優れた言葉ではありませんか。
 
  残念ながら最近は方言は失笑の対象となる場合が多いようです。 わが子なども先の「おがる」
 が解からなかったように、方言はすたれていく流れにあります。 今にして思えば夕張は各地から
 人が集まったせいか方言の宝庫でした。 方言も一つの文化遺産、積極的に残さにゃならんな、と
 思ったりしています。


 2008年 8月28日 (木)

 
 本文とは関係ないですが
 我が家の朝顔。  母の
 丹精の賜物で私は指一本
 触れてませんが・・・。 見
 事に成長したもんですが、
 ついでに子供に「成長する」
 を北海道弁で「おがる」とい
 うんだぞ、というと聞いたこ
 とがない、と言われました。
 ちょっと淋しい・・・・。
 【 演奏ミス。 】
  
 偶然見た「笑っていいとも」。 三宅裕司さんが趣味のドラム演奏で拍の裏表を逆にしちゃった話
 をしていましたが、私も吹奏楽や合唱をやっていてステージ上で困った経験はずいぶんあります。

 つば抜きのバネが折れたりロータリーバルブの紐が切れたりという楽器の故障のたぐい、演奏中に
 唇をハチに刺されたりスケート大会の演奏でスライドが凍ったりという自然相手のトラブル、他校
 の女性合唱団の前でステージの階段踏み外した(平気なふりしたけど実は死ぬほど痛かった)とい
 うような人為的ミス・・・数え上げればかなり多数あり、です。

 思い出した中で印象的だったのが夕張の「黒ダイヤ祭り」の時に本町二丁目十字街の特設ステージ
 で演奏した時のこと。 曲は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」、これっきり〜ですか〜・・・
 っていう歌詞のあの曲です。 (時代がわかるなあ・・・)・
  この時はメンバーにジャズトロンボーンやってる大先輩と音大でトランペットやってる大先輩が
 いらっしゃいまして、もちろんお二人とも飛び抜けて上手いんですが、あろうことかトランペット
 の先輩が間奏をすっ飛ばしてコーダ(終奏)に進んでしまいました。 本当は間奏があって三番の
 歌詞部があってコーダなんです・・・。 こっちは「ええっ」と思ったんですが、トランペットの
 先輩は間違ったまま平然と吹き続けます。 対するトロンボーンの先輩も絶対に譲りません。全く
 違うことを堂々と大音量で吹かれて、その他大勢はいったいどちら側に付こうか、二派に分かれて
 大混乱、曲は当然もうグダグダでした。 両先輩いわく「譲って相手に合わせたら、俺が間違った
 と思われる」・・・。 日中で至近距離に祭りのお客さんがいて、その表情が手に取るように分か
 るのですが、あの時の何とも微妙な表情は今でも忘れられません。

 でも考えてみれば、演奏で覚えているのは成功したことじゃなくて失敗したことばかり。 思い出
 というのは楽しいことばかり残るといいますが、だとすると私の場合、成功より失敗のほうが楽し
 かったということ?  冷や汗をかくような思い出のほうが楽しかったなんてマゾっ気はないはず
 なんだけどなあ・・。


 2008年 8月25日 (月)
 【 燃料高騰 】
  
 ガソリン、相変わらず高いですよね。
 確かに原油価格は上がっているんですが、需要と供給ということでいえば足りないはずがない。
 だって原油は燃料より原料として使われるほうがずっと多いし、単位重量の原油を精製してできる
 石油製品の比率は技術的にほぼ固定ですから、原料用として石油を精製すれば否応なくガソリンも
 軽油も灯油も一定比で作られてしまうはずですから。  端的に言えばナフサを作ろうとすれば、
 イヤでもガソリンができちゃうんですよね。

 やっぱり「誰かがどこかで儲けてるに決まってる」ということなんでしょうね。

 将来的に燃料としての原油は何かに代えられそうですが、原料としてはどうなんでしょう??
 原油と石炭は化学的にとても近いので、願わくば石炭に化学製品の原料としてもう一度日が当たら
 ないものでしょうか。  石炭あるんだけどなあ、夕張にはまだまだ・・・・。


 2008年 8月21日 (木)
 【 メダル 】
  
 メダル;多少は信頼できる徳行とか学識とか功績に対するほうびとして与えられる小さな丸い金属。
     (アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」より ※ )
 
 それを手にするための努力には心から敬意を表しますが、メダル自体は確かにこんな程度のもの。
 いーじゃん、別に取ったメダルの数を争わなくたって。
 近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵の「勝つことより参加することに意義がある」という精
 神を素直な心で信じたいと思います。「勝てば英雄・負ければ国賊」的な中国の風潮の真似だけは
 しないようにしたいもんです。
 
  ※ 注 : アンブローズ・ビアスは19-20世紀初めのアメリカの短編作家。 「悪魔の辞典」は新聞に寄稿した
      彼の風刺をアルファベット順にまとめた皮肉に満ち満ちた本。


 2008年 8月17日 (日)





 【 モニタースピーカー 】

 シンセサイザー用のモニタースピーカーを買いました。 今まで曲を作るときはシンセサイザー
 を一般のオーディオに接続して作業していたのですが、最終的に曲をサーバーにアップロードし
 て別のパソコンで聴くと、思っていた音と違う場合が多かったんです。 
 
  考えてみれば、自分のステレオは自分が聴いて心地良いようにイコライジングしてありますし、
 そもそも一般のオーディオは、設計者が狙う「気持ちいい音」を目指し明確な意図を持って「音
 を作っている」のですから、他のオーディオで再生した時に違う音になるのは当たり前。 そこ
 に気が付くのが遅かったというだけのことなんですが・・・。

  モニタースピーカーは入力信号をいかに忠実に音圧に変えるか、に腐心して作られています。
 一般のオーディオが意識して「音に色をつけている」のに対し、モニタースピーカーは無色透明
 が身上と言ってもいいでしょう。 ですから音楽製作にはやはりこちらが適しているんです。 
  どこのスピーカーにするかかなり悩んだ末、最終的に選んだのはシンセ本体と同じローランド。
 2ウェイ2アンプ、つまりスピーカーごとに駆動アンプが付いているもので、価格が大したこと
 がないモデルですので音もそれなりですが、「緑の谷遥か」の仕上げに使った印象だと、ほぼ望
 んでいたニュートラルな音を得られているようです。 本当はこういうのが欲しかったんですが、
 1本¥2,079,000 ってどうよ。  まあ、どうせ腕前と不釣合いな道具なんだけどさ・・・。


 2008年 8月15日 (金)
 【 道 】

 北京オリンピックも中盤、テレビもオリンピックばかりで普段テレビでスポーツ観戦などしない
 私でもいやでも見てしまいます。
 
  日本のお家芸・柔道は今回不振で、男子100kg級の鈴木も初戦敗退。結果だけ見れば、散々
 とも言えますが・・・。 改めて試合を見ると、どの試合も「これ、柔道なの?」とつい思って
 しまう試合運び。 私も高校時代に体育の授業で柔道をやりましたが、基本は柔道は「投げ技」、
 講道館柔道というのか「柔よく剛を制す」の美学というか、そういうのが柔道だと思っているの
 ですが、あれじゃまるでレスリング。 鈴木の試合もモンゴル相撲のように見えてしまいます。

  柔道・弓道・剣道というスポーツだけでなく、茶道・歌道・華道というように日本には「道」
 がつくものがたくさんあります。「道を究める」という表現のニュアンスにあるように、道には
 目的地に辿り着くまでの遠い道程を感じさせる語感があります。 結果だけでなく過程も大事で
 すよという、これはまあ日本特有の美学なのかもしれません。

  柔道は元々日本のもので世界に広めたのも日本なんでしょうが、オリンピック柔道を見る限り、
 広めるにあたって一番肝心なものを伝え忘れたんじゃないの、という気がします。 勝てばいい
 というのは欧米的成果主義で、「道」というからには成果だけでない何かがあると思う。
 逆にこれで国内の柔道も「勝たなければ意味がない」になってしまうのが一番怖いと思います。
 そういう意味では鈴木選手は激励してあげたいし、この状況下に決勝で見事「投げ」で金メダル
 を取った女子柔道の谷本選手は最高でありました。

  最後に付け加えれば、この日本の美学、発揮するのはどうか文化・スポーツだけにしてほしい。
 まかり間違うと「見事散ります国のため」で一億玉砕しかけた民族でもあるわけですから。
 今日8月15日は終戦の日。 せっかくの美学を妙な方向に発揮しないことを祈りたいですね。


 2008年 8月13日 (水)
 【 新曲公開 】

 お盆が始まり、今日が帰省のピーク、故郷でお過ごしの方もいらっしゃることと思います。
 帰省や墓参りで夕張に行かれるかたも多いでしょう。

 本日久しぶりに自作の曲を公開しました。 「緑の谷 遥か」は、5月くらいから夏に向けて少し
 ずつ作編曲を進めていましたが、途中校歌編曲のご依頼などもあり完成が遅れに遅れ、ようやく
 お盆の入りの今日公開することができました。
  実は先に公開していた「まやちのうた」では「夏」バージョンもちゃんと作曲したのですが、
 交響組曲「夕張」とかぶる部分が多くて、未公開のままになっておりました。  しかし本人は
 この曲の中間部分の旋律が非常に気に入っていてもったいないと思ったもので、今回、曲の頭と
 お尻を新たに作り直して別の曲としてまとめたんです。 ピアノの旋律とそれを弦が繰り返した
 後の、オーボエの旋律部分からリピートの前までが以前からの流用部分です。
  弦楽奏の導入部にピアノの主旋律、3回の転調をはさんで全体にノスタルジックな感じの曲に
 なっていると思っています。 

 起伏のある夕張では、各地区に必ず展望のいい場所があるはずで、この曲はそういう場所から夏
 の日の午後、谷を渡る風を頬に感じながら町を見渡しているイメージで作りました。 たとえば
 例のオーボエの旋律の後でフルートの旋律の後ろでコントラバスが8分音符を刻み続けますが、
 これは蒸気機関車が牽く石炭列車のドラフトを、その部分の繰り返しでのホルンの対旋律は遠く
 で響く汽笛を・・・といった具合です。
  
  ちょうど故郷に帰ることが多い今の時季ですので、みなさんの記憶の中でご自分にとっての思
 い出の風景を思い浮かべながら聴いていただければと思っています。


 2008年 8月 8日 (金)
    
  「おーやま」にて。       撤去直後らしき現緑小プール跡。
  結構混んでました。      余りに無残。 悲しいです・・・。 
                    右端の建物はかつての保育園。

 
  沼ノ沢駅のJR時刻表。 
  今や1時間に1便に足りないんですね・・・。


 
 お墓でふと空を見上げると
 快晴の空に見事な飛行機雲が。
 夏だ・・・。
 【 墓参り 】
  
 諸般の事情により今日は平日ですが、
 夕張へ墓参りに行ってきました。
 父方母方2箇所の墓に参った後、
 例年通り「おーやま」で食事をして
 帰ってきました。 向陽中の跡にも
 行ってみましたが、碑が残っている
 だけでした。
 
 緑小/緑陽中に行ってみましたが、
 グラウンドには半分くらい草が生え、
 先日のニュースで伝えられた、施設
 の無償解体を引き受けた業者が工事
 したのか緑小(沼ノ沢小)のプール
 が更地になっていました。 何とも
 淋しい姿でした。


 2008年 8月 6日 (水)
 【 空白の天気図 】
  
 昭和20年9月、速い速度で上陸した「枕崎台風」が西日本を襲います。 ところが東京の中央
 気象台には九州のデータ入電が全くなく、肝心の台風の中心付近の天気図は空白のまま。 終戦
 前後の戦争で寸断された通信網の中で、未曾有の台風と格闘する気象台員の姿を、広島の原爆の
 惨禍を交えて描いた柳田邦男さんのノンフィクションが「空白の天気図」です。
  太古、人間は生きるのに精一杯でした。 人間の戦いの相手は専ら自然、言い換えれば風雨や
 飢え寒さとの戦いだったはずです。 国家単位での戦い・「戦争」が行われるようになったのは、
 人間が風雨や寒さを克服する術を知った以降のことです。
  その国家単位の戦禍の象徴である「ヒロシマ」と自然の脅威の象徴たる台風。「空白の天気図」
 は、見方によっては二種類の戦いの記録ということもできると思います。 
  動物界/脊椎動物門/哺乳綱/霊長目/ヒト科/ヒト属/ヒト。 結局は動物の種の一つに過ぎない
 人間が戦う相手は、他の動物と同じように「自然」だけなんじゃないか。 現に克服したつもり
 でいる自然に、温暖化や異常気象という形でしっぺ返しを喰らっているじゃないか。 上の生物
 分類上は全く差がないはずの肌の色やら国旗の色やらで戦っている場合じゃなかろうに。
 そんなことに少しだけ思いを巡らせた今日・「原爆の日」でした。


 2008年 8月 1日 (金)
 【 デジカメ更新。 】
  
 6年近く使い続けたデジカメが不調になりました。 
 オリンパス製の今考えれば中途半端なサイズのものでしたが、起動時にレンズの沈胴機構が作動
 しないことがあったり、ズームが動かなかったりするようになっていました。
  画素数も310万画素しかなかったので買い換えることにしたのですが、今度は絶対にもっと
 コンパクトなものにしようと思っていまして、悩んだ末キャノンのIXYにしました。 カシオ
 のEXILIMがサイズでは薄いぶん小さいのですが、どうも私の年代ではカメラで「カシオ」
 というのが信じ切れなくて(単にイメージの問題なんですが)、結局キャノンを選びました。 
 今度は800万画素ですが、A4程度までの引伸ばしならそこそこ見られるようです。 

  そういえば、この夏で「ポラロイド」がフィルムの日本国内の供給をやめるというニュースが
 ありました。 カメラ本体は既に製造を中止しており、これで事実上ポラロイドカメラは消滅す
 ることになります。 確かに最新デジカメを手にすると、今さらポラロイドカメラを使おうとは
 思いません。 そういえば我が子は腕時計をよく家に忘れて出かけますが、「ケータイに時計が
 付いているから別に困らない」んだそうです。 ポラロイドを駆逐したデジカメですが、この分
 だと今度はケータイにデジカメも腕時計も飲み込まれちゃう日が・・・来るかもしれませんね。
 





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