音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記

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2010年4月


 2010年4月29日 (木)
 【 夕張訪問記 道路の拡幅 】
 道道の沼ノ沢市街付近は、かねてから道路の拡幅計画が
 ありまして、徐々に立ち退きなどの準備が進んでいたの
 ですが、最近になって建物の取り壊しが行われ、いよい
 よ工事が本格化してきました。
 
 右の写真は、真谷地へ向かう踏切付近から清水沢方向へ
 カメラを向けて撮影した現在の様子です。  踏切から
 右側の建物がすっかり取り壊されてしまいました。以前
 ならこの写真の右端に堀田写真店、あとは福井電器とか
 倉庫とかが建つ、道路より石段数段ぶん高い地形だった
 のですが、現在はご覧の通り整地されてまっ平らです。
 写真ではわかりませんが駅を越した先では「ふじ井」菓
 子店のあたりも何もなくなりました。 残る左側の商店
 も「シャッター商店街」で、営業している雰囲気があり
 ません。 写真で残る2軒も間もなく取り壊し。 文字
 通り「町が消えていく」感じがします。
 
 上の写真と同じアングルの写真を捜したのですが、見つ
 からないので、黄色枠の部分を撮ったものを載せてみま
 した。1972年に撮った沼ノ沢の商店街の写真です。
 札幌オリンピックが終わった直後の春の写真ですが、商
 店の前には駐車中の車もいて、今よりずっと活気がある
 様子が伺えます。 沼ノ沢の現在の人口は当時の半分で
 すから、桁違いに減少した他地区からみれば人が残って
 いるほうなのですが、真谷地の人口減は打撃でしょう。
 真谷地は袋小路で出入りには必ず沼ノ沢を通り、商業も
 その人の流れに依存していましたから。

 それにしても恐らく億単位のお金がかかるはずの、この
 道路拡幅工事。 地元の建設業の方々に多少お金が回る
 にしろ本当に必要?って、やっぱり思ってしまいます。
 どうせならもう少し別のものにお金をかけた方が・・。



 2010年4月28日 (水)
 【 夕張訪問記 夕張中とツムラ 】
 開校したばかりの夕張中学校にも行ってまいりました。 3月まで
 清水沢中学校として使われていた校舎ですが、実は清陵町の旧校舎
 の時代から一度も来たことがなく、地図で場所を確認しながら伺い
 ました。 ちょうど南清水沢駅の信号から山側に上った高台に位置
 する校舎は、立派に改装されておりました。
 時代の違いを感じたのはセキュリティに対する備えの厳重さで、玄
 関で来意を告げ、内側からリモートでロックを開けてもらわないと
 立ち入りができません。(家内に聞けば札幌あたりでも、かなり前
 からこのようになっているとか) ちょっと複雑な気持ちです。
 校歌のCDをお渡しかたがた校長先生にお話も伺って参りましたが
 現在180数名の生徒数も、今の小学校4年生くらいからは一学年
 に30人台しかいないので、この先は減少せざるを得ないだろうと
 のこと。 夕張の未来、ほんとに大丈夫か不安です。
 
 帰りは274号線を通りましたが途中の沼の沢では「夕張ツムラ」
 の工事が進んでおりました。 生薬加工場や低温保存庫など総面積
 にして8000uの建物が11月までには完成する予定だそうで、現在
 は鬼首山を背に重機が忙しく動き回っておりました。
 
 この間よ〜く思い出してみたのですが、この場所、小さい頃に家族
 でイチゴ狩りに来たことがあります。 かれこれ45年くらい前の
 話ですけれど。 この写真で見ると土は黒っぽい感じですが、記憶
 にあるこの畑は、もう少し白っぽい砂地だった印象が残ってます。
 日較差が大きく朝露がいっぱいつくような気候が、漢方の薬草には
 向いているのでしょうか。 子供の私には、イチゴ畑の脇の伸びす
 ぎてしまったアスパラが大樹林のように見えましたっけ。 半世紀
 近くの時間って、こんなものなんだなあ・・・。



 2010年4月26日 (月)
 【 夕張訪問記 夕張鹿鳴館 その2 】
 ここはだいぶ以前、名前が「鹿の谷倶楽部」から「夕張鹿鳴館」に
 変った頃に見に来たことがあります。 当時確か入館料\400だった
 記憶がありますが、その時は立ち入り禁止区域が多すぎて、料金ほ
 どの価値がないような気がしました。
 
 今回訪ねてみると、ほとんど全館が見学可能になっていました。
 延べ床面積は1400u(424坪)ですから、かなり見応えがあります。
 まだ床材が弱い箇所もありますが、トイレなどはウォシュレット付
 の現代的なものになっていますし、ステンドガラスなど見どころも
 増えていますので、以前ご覧になった方でも、ぜひもう一度ご覧に
 なったほうがいいと思います。 もちろん昭和天皇がご宿泊された
 部屋など、大半の部屋は元のまま残されており、歴史的価値は充分
 維持されています。

 館内の平面図です。 中央の少し色が濃く表されているのが本館の
 部分で、図の右斜め上に二翼伸びた棟のうち、右側の棟の中ほどが
 レストランです。 玄関は図の下の中央あたりで、一番左の少し色
 が薄く描いてある部分が、宿泊棟として現在も改修工事が進んでい
 る別館です。 フランス流に言えば「オーベルジュ」、つまり宿泊
 が可能なレストランを目指しているということでしょうか。 道内
 だと洞爺湖サミットの時にファーストレディ達の昼食会に使われた
 真狩村の「マッカリーナ」も宿泊設備を持っていますが、確かにこ
 れからは画一化されたホテルだけじゃなく、こういう施設があって
 もいいかもしれませんね。 

 オーベルジュとしてどんなものになるのか、あとは中途半端なもの
 に終わらず、大向こうを唸らせる本格派を期待したいところです。

 最初に「以前より観覧範囲が拡がった」と書きましたが、右の写真
 の部屋も以前は足を踏み入れられなかった部分です。 上の平面図
 だと一番右の少し色が薄く描かれた部分になりますが、ここは地形
 が一段高くなっているので、階段を上ります。 元々所蔵していた
 のか、新たに蒐集したのか確認しませんでしたが、ステンドグラス
 のランプがたくさん並べられています。 かなりの数です。
 
 夕張鹿鳴館は2007年11月に経済産業省から「近代化産業遺産」に認
 定されました。 今回改めて見ても、それが納得できるだけの歴史
 的価値があると思いました。 レストランの味も素晴らしいので、
 ぜひ皆さんも一度足を運んでいただいたら、と思います。
 なおレストラン利用の場合は入館料の\500はかかりません。 レス
 トランの営業は11:00〜15:00&17:00〜21:00、火曜定休です。



 2010年4月24日 (土)
 【 夕張訪問記 夕張鹿鳴館 その1 】
 以前から気になっていた「夕張鹿鳴館」のレストラン「ミレディ」
 に行ってみました。 今年は異様に寒い4月ですが、それにしても
 1週間後にはGWが始まるというのに、この残雪の量は驚きです。

 教会側にある駐車場から鹿鳴館の玄関までは、順路長で70mほど
 あると思いますが、未舗装で多少足場が悪くなってます。 ここは
 風情から言えば、白くて細かい玉砂利なんぞを敷き詰めて頂けると
 ベストかなあ。 道路は勝手に手を加えられないのかもしれません
 が、泥道のまんまはイカんですよ。  
 私が北高に通っていた頃のこの辺りは板塀や生け垣に囲まれて近寄
 りがたい印象があったのですが、今改めて見てもかなり豪壮な建築
 だと思います。 パンフレットによれば敷地面積は85330u。
 札幌ドームの1.5倍もあるそうです。  

 入口で食事をしたい旨を告げると、係の女性がレストラン入口まで
 案内してくれました。 廊下を右に左に進みますから、初めて来た
 人には確かに案内が必要かもしれません。 「ミレディ」は想像し
 ていたより小じんまりしていましたが、なかなか落ち着ける雰囲気
 の作りだと思いました。 窓の外は残雪でしたが、新緑の頃などは
 もっといい感じかもしれません。 お昼だったので「野菜プレート
 ランチ」(\2300)を注文しましたが、スープ・メインディッシュ・
 パンorライス・デザート・コーヒーのどれも本格的な味でした。
 野菜は全て道産品、中でもヤーコンとほうれん草は夕張産だそうで
 最初に出てきたポタージュに使ってあるヤーコンは沼の沢で作った
 ものだそうです。 色々な野菜が出てきますが、スパイスやハーブ
 を変えて色々な味付けで出てくる(右のスープはオレガノを使って
 いた・・と思う)ので飽きさせません。 お見事です。

 ライスとデザートのアイスクリームは「黒千石(くろせんごく)」
 という小粒の大豆(小豆ではない)を使ったそうでこれがまた○。
 調べたらポリフェノールやイソフラボンも豊富な食材だそうです。
 大失敗だったのは、食べるのに夢中でメインディッシュの写真を撮
 り忘れたこと。 また今度撮ってきます・・。 館内にはちゃんと
 売店もありまして、ミレディで使っていた自家製パンや、シューク
 リームなども売っています。 シュークリームを買ってみましたが
 カスタードクリームがみっしり詰まっていて、おいしかったです。
 通常レストランで使用している部屋は、たぶん30席前後ですが、
 団体での会食には右の写真の部屋を使って対応できるそうで、こち
 らは広いだけでなく天井も高く、弦楽四重奏などのコンサートでも
 開いたら楽器の音がよく響くだろうなあという立派な部屋でした。
 《 以下次回へ続く 》



 2010年4月22日 (木)
 【 夕張中学校 校歌公開 】
 日帰りで今年初めて夕張へ行って来ました。 新しく誕生した夕張中学校にも伺ってまいりました。
 
 CD−Rにした校歌も学校にお渡ししたところで、HPでも校歌を公開しようと思います。
 TOPページに新生・夕張中の校歌を追加いたしましたので聞いてみてください。 もちろん全く
 新しい校歌ですからどなたも馴染みはないでしょうが、少しでも親しみを持っていただければ、と
 願っています。 なお開校式で歌われた原曲は夕張市の公式HPで聞くことができます。 聴き較
 べていただくのもおもしろいかもしれません。

 また、今回は駆け足で夕張市内あちこちをまわって来ました。 かねてから一度は行ってみようと
 思っていた「夕張鹿鳴館」のレストラン「ミレディ」にも行ってまいりました。 今日はここまで
 にしておきますが、次回から数回に分けてここでご紹介したいと思います。 お楽しみに。
 


 2010年4月20日 (火)
 【 もうひとりの作曲家 】
 音楽を作るには、それなりの集中力が必要です。 曲を作っている最中には他の音が聞こえるのを
 嫌う人は多いです。 私自身は比較的雑音に無頓着なほうだと思っていて、スタジオの中のように
 外界と遮断されて無音でなくても一向にかまいません。 ただ一般の騒音ではなく他の音楽が聞こ
 えてくるのは、やはり気になります。

 騒音の話で横道にそれますが、前に東京・名古屋・仙台の三都市で、どのような職場が騒音が高い
 か、騒音計で測ってみたそうです。 みなさん、どんな職場が一番騒音が高かったと思いますか。
 工場や空港や駅など騒音の高そうなイメージの職場を抜いてトップだったのは「幼稚園」。 人間
 の、特に子供の声はバカにならないボリュームだということですね。
 
 さて話を戻しましょう。 音楽、特にメロディを考えている時に一番困るのが、我が家のもう一人
 の作曲家、家内の鼻歌です。 いや、正確には「歌」ですらないのですが・・。

 例えばこの間も昼食のスープ(もちろんインスタントですよ)の味は何がいい、と聞くので「オニ
 オンスープにして」と答えたんですが、普通に「オニオンね。」と復唱すればいいものを、彼女の
 場合は「♪オ〜ニオ〜ン♪」とかなんとか、とにかく楽譜にしにくい何ともいえない節回しをつけ
 るんですね。

 まずいことに、これがまた妙にキャッチーな旋律で耳に残る・・・。 で、曲を作っていて旋律に
 苦労していると、これが耳の中でぐるぐるぐるぐる鳴り始め、どうにも邪魔でしょうがないんです。
 「♪オ〜ニオ〜ン♪オ〜ニオ〜ン♪オ〜ニオ〜ン♪・・・・」そりゃあもうイライラするさ。

 妙な節をつけるんじゃない、って言うと更におもしろがって節をつける家内。 子供か、あんたは。
 まあ最近の上海の作曲家よりは家内のほうが新しい旋律を考える才能があるのかもしれませんが、
 大概にしといてもらいたいと思ってるんですよ、ほんとに。



 2010年4月18日 (日)
駐車場も完備されてます。
 【 カレーと加齢 】
 ちょっと前の話になりますが、話題になっていたカレーラーメンの店というのに行ってみました。

 再三書きましたが、私は本来は蕎麦好きなのですが、一方で珍しいもの新しいものに滅法弱いという
 ところがあり、買い物に出たついでに家内と行ってみたわけです。

 最初は「ラーメンにカレー?」って思いましたが、食べてみると意外にフツーの食べ物という感じが
 しました。 考えてみれば、カップラーメンには昔からカレー味があるわけですから、そんなに変な
 組み合わせでもなかったんですね。

 最初に食券を買うシステムの店なのですが、トッピングも選べるので、どうせのこととチーズを入れ
 てみました。 これも意外とイケると思いました。 結論としてはなかなかおいしかったんです。

 ただ。 結構ボリュームのあるこのメニュー、おいしく食べたには食べたのですが、その後ほとんど
 午後一杯お腹がもたれ大変でした。 カレーを食べるには加齢が過ぎたのか・・などとヘタな駄洒落
 を頭に浮かべたりしたんですが、ほんと、こういう料理が思ったほど食べられなくなったなあと痛感
 した次第です。 ちなみにファミレスの「ドリンクバー」じゃないけど、幾らかのプラスで「ライス
 食べ放題」もあるので、加齢してない方でもこちらなら確実にお腹いっぱいになるでしょう。

 この手のことに興味のあるかたはネットで検索してみてはいかがでしょうか。



 2010年4月15日 (木)
 【 近々HPに追加します。 】
 4月4日に開校した「夕張中学校」の校歌。 通常は卒業生の方からのリクエストで編曲してきたの
 ですが、こちらはHPとは別ルートからのご依頼で既に編曲済みでした。 せっかくですので新しく
 誕生した学校へのエールの気持ちも込めて、近々公開したいと思っています。

 すでに作曲をされた深井尚子先生(北海道教育大学岩見沢校准教授)にはお許しをいただきました。
 作詞をされた土屋義次先生のご承諾が得られしだい、HPでお聴きいただこうと思います。

 実はもうひとつ弦楽四重奏バージョンも編曲してあるのですが、とりあえずはフルオーケストラ版を
 お聴きいただく予定です。  編曲した本人としては弦楽バージョンも結構気に入っているんですが
 こちらはいずれ機会があれば、ということで。 いずれにしろHPでの公開時には改めてアナウンス
 を申し上げますのでよろしくお願いします。
 


 2010年4月12日 (月)
現在メインに使っているモニター。
大口径ではありませんが、均整
が取れた音だと思ってます。
 【 メートル原器 】
 小学校の時、メートル原器というものの存在を教えられました。 1mの長さの基準になる金属製の
 定規のようなものですが、世界中の長さの基準となるものです。余談になりますがインチ/フィート
 は確かイギリスの国王(誰だったか忘れました)の親指の幅/足の大きさ(だからフィートなわけね)
 が基準だったと思いますが、では「メートル」は何を基準にしたかご存じでしょうか? 

 答えは「地球の大きさ」。 フランスのダンケルクからスペインのバルセロナ(経度が同じ都市なん
 です)の距離を測ると同時に六分儀で緯度の差を測定して赤道から北極までの距離を算出し、その距
 離の百万分の1を1mとしたそうです。 地球の経線の長さが基準だったんですね。

 さて、音にもメートル原器にあたるものがあります。 国際基準音という音で、ピアノの鍵盤の中央
 にあるラの音(Aの音)の高さ、周波数で言うと440Hzの音がそれです。 オーケストラの演奏の前
 にオーボエがチューニングのために鳴らす音もこの高さの音です。もっともオーケストラのピッチは
 時代とともに上がっていて、バロック時代には415Hzくらいだったのが、現代では442Hzに合わ
 せるオーケストラが多いようで、約300年で半音以上も高くなったことになります。 

 あの有名なストラディバリウスも、作られた当時(ほぼバッハと同時代)は今よりずっと弦の張りが
 弱かったはずで、そういう弦の張りで最も良い響きが得られるように作ったんじゃないでしょうか。
 そう考えれば、現代の強い弦の張力を最初から想定した、ストラディバリウスに替わる新しい名器が
 そろそろ登場してもいいんじゃないか、という気もしますね。

 私のように機械相手に音楽を作っていますと、極端な話、時間さえかければどんな音でも作れてしま
 うのですが、一方で自分が作った音を作った時と違う環境でイメージ通りに再生するのは非常に難し
 いことです。 たとえば校歌にしても、CDにして違うスピーカーで聞くと全然違う音になってしま
 う場合がほとんどです。 自分が楽器を持って演奏しに行かない限り、これは避けられないんですね。

 そこで頼るのがモニターと呼んでいるスピーカーです。 できるだけ原音(元の音声信号)を忠実に
 再現してくれるモニターを使えば、再生機により生ずる響きの差を最小限にとどめることができます。
 モニターはいわば音作りのメートル原器ということになりましょうか。

 モニターの選定は非常に難しいのですが、試行錯誤の末、現在はフランス・FOCAL社のCMS50 というも
 のを使っています。 アルミ系合金の鋳物でできた躯体に80w+50wの2アンプ・2スピーカー
 の構成で、音の解像度・定位性もよく、鳴りに周波数による変な差が少ないので、とりあえず満足の
 いく状態ですが、まあこれは求め出すときりがないんですよね。 メートル発祥の地であるフランス
 のスピーカーというのは、偶然にしろちょっとおもしろい符合だと思ってます。



 2010年4月10日 (土)
 【 時代 】
 昨晩テレビのスイッチを入れたら、どこかのドラマのエンド・クレジットの部分が流れていました。
 バックの音楽は帯広出身の中島みゆきさん:「時代」です。

 よく「演歌は日本人の心」とか言われますが、正直いって私には今一つピンときません。 根っから
 が天邪鬼のせいかも知れませんが、共感が無いものは無いのですからしょうがない。 もちろん演歌
 を否定するつもりは毛頭ありませんが、「日本人の心」とまで言われると、強制的に一くくりにしな
 いでくれ、とつい言いたくなってしまいます。 ラフマニノフだろうがミルト・ジャクソンだろうが
 AKB48だろうが、素直に自分の感性に従えばそれでいいですよね。

 おそらく私の中で演歌に一番近い位置にあると思っているのが松任谷(荒井)由美さんと中島みゆき
 さんです。 それには10代の頃付き合っていたガールフレンドが彼女たちを好きだった、という極
 めて受動的な引き金もありますが、若い頃にメロディや歌詞に直感的な共感を得られたから、という
 点で、やはり私にとっては彼女たちの歌が演歌のオルタナティブなんです。 

 中でも「時代」は、中島さんの最高傑作だと思っていまして、特に2番の歌詞「たとえ今夜は倒れて
 も/きっと信じてドアを出る/たとえ今日は果てしもなく/冷たい雨が降っていても」の部分なんか
 は、初めてこの曲を聴いた頃の私の、父親の年齢になってしまった今でも、じーんと来るものがあり
 ます。 もちろん余人の解するところではないでしょうけれど。 

 今晩は久しぶりにCDでも出してきて、「時代」を聴きながらしみじみしてみようかな。 
 おじさんだって、たまにはそういう時間を過ごすのもいいですよね。



 2010年4月6日 (火)
 【 夕張40’s(フォーティーズ) その8 】
 最近何の脈絡もなくふと思い出したのが、「ホテルほんちょう」のことでした。
 屋号の正しい表記が漢字で「本町」だったのか、平仮名で「ほんちょう」だったのか定かではありま
 せんが、いまやネットで検索しても見つからないので、とりあえず記憶に従って仮名表示にしておき
 ましょう。 本町2丁目のマキタ電機と同じ並び、もう少し「おかむら」側に寄ったあたりにあった
 ホテルです。

 今でこそ夕張には「シューパロ」と「レースイ」の二大ホテルがありますが、昭和40年代にはまだ
 ホテルと呼べるような宿はなくて、この「ホテルほんちょう」は中では一番立派だった気がします。
 
 もちろん私は泊ったことはないので、客室の様子など知る由もありませんが、ホテルの一階にあった
 「グリルほんちょう」には何度か入ったことがあります。 昭和40年代の建築といえば当時非常に
 もてはやされた「新建材」と呼ばれるメラミン化粧合板が多用され、夕張の我が家もあちこちこれが
 使われていたものですが、「グリルほんちょう」もそんな雰囲気の内装だった気がします。

 「ホテルほんちょう」がいつまで存在したのか、ちょっと記憶にありません。 宿泊ができた施設で
 もうひとつ思い出すのは峠の下の「山楽荘」ですが、どちらが後まで残っていたのか、営業していた
 時代としてはたぶん似たような頃だったんじゃないかと思います。「山楽荘」は今も廃墟のまま建物
 が残っていますが、昔は確か自動車教習所の路上教習の折返し点になっていましたよね。
 
 考えてみれば「ホテルほんちょう」も「山楽荘」も、夕張に勢いが残っていた頃の建物。 まだ明日
 は今日より必ず良くなると信じていた時代でした。 みぞれのなか見に行った北高の合格発表の帰り、
 合格祝いだと中学の同級生たちみんなで食べた「グリルほんちょう」のスパゲティ・ミートソースの
 味が(今にして思えば業務用の出来合いのソースの味だと思うんですが)、近頃の本格的な"パスタ"
 とやらの味よりずっと懐かしく思える今日この頃です。



 2010年4月4日 (日)
   新生「夕張中学校」校章
 【 開校式 】
 本日4月4日、新しく「夕張中学校」が開校しました。 道内にお住まいの方なら、午後からテレビ
 各局でニュースが流れましたので、ご覧になった方も多いでしょう。

 詳しくは夕張市の公式HP「開校・閉校情報」をご覧いただければと思いますが、夕張中学校はおそ
 らく夕張で誕生する最後の中学校になるでしょう。全校生徒数180名強ということは1学年あたり
 約60名。 今や夕張市全部を集めても子供たちの数はそれだけしかいないのですね。

 ですからこの学校に集う生徒のみなさんは夕張市の未来の全てです。 財政再生計画が終わる頃には
 私など生きているかどうかも怪しいもんですが、今中学生のみなさんは30歳前後。 ちょうどこれ
 からという年齢です。 生徒のみなさん、ほんとに夕張を頼みますよ。



 2010年4月1日 (木)
 【 神の領域 】
 今日から4月、今年もあっという間に1/4が過ぎたことになります。 本当に早いものですね。

 数日前の「NHKスペシャル」で「人体"製造"〜再生医療の衝撃〜」というのを見ました。ちょうど
 今日4月1日の深夜に(正確には2日の0時15分から)再放送がありますから、興味のあるかたは
 ぜひご覧いただきたいのですが、それは凄いもんです。 ここまでやっていいのか、という感じ。

 怪我で指を切断した人の受傷部に粉を降りかけると切断された指が再生して生えてくるんですね。
 もうここまでくるとホラー映画。  細胞には幹細胞といって特定の細胞に指示通り変身するものが
 あるそうで、それがその粉の正体だそうです。 

 もともと人間は一個の卵(らん)が分化(細胞分裂)してできていますから、最初の卵の胚(はい)
 には全ての細胞に分化し得る情報が埋め込まれています。 だんだん分裂して体の各部の細胞に変化
 していく段階で、徐々に情報も絞られ、その部分にしか変身しない細胞になっていきます。 完全に
 大人になったあとは、その細胞は同じ細胞のコピーしか作れなくなり、なおかつコピー回数に上限が
 定められるのだそうです。 何だか10回しかコピーできない地デジの録画みたいですが、規定のコ
 ピー回数を超えるとその細胞は再生されません。 これが「老化」という現象の実態だと、これは前
 に別の番組で見た気がします。

 ですから、できるだけ最初の卵に近い段階の細胞を取り出せば、体の各部の再生が可能、という理屈
 になります。 幹細胞というのはそういう理論に基づくもののようです。 そのうちに切断された首
 も生えるようになったりしてね・・・。

 番組では豚の胎児の肝臓を切除し、ヒトの肝臓の幹細胞を植え付けて培養して大きくしてから、生体
 肝移植に利用する研究も紹介されてました。 ヒトと豚の肝臓は、大きさも機能も非常に似ているの
 でこういうことが可能なんだそうです。  でも、ここまで来ると本当に人間が手を加えていい領域
 なのか、生命への倫理観が問われるような気がしないでもありません。

 いずれ「死」というものへの厳粛さは、真剣に考えなきゃいけない気がしています。


 PS:死の話で思い出しましたが、先月29日に歌手のしばたはつみさんが亡くなりました。
    急性の心筋梗塞だそうですが、まだ57歳。 しばたさんはマツダ・コスモのCMソングを
    歌っていましたよね。 歌が上手い人だったので残念です。
 






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