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2011年 2月


 2011年 2月 26日 (土)  


例年通りの光景。 見比べると来てる除雪車も同じだ。
 
 【 もうすぐ春が Ⅱ 】
 この3日ほど風邪をすっかりこじらせて寝込んでしまいました。 ようやく体調も戻り
 今日から動き始めたところです。 でもまだ喉が・・・。

 寝ている間に2日がかりで除雪があって、家の周りはすっかり雪が減りました。
 今朝はまた雪でしたが5cmほどで済んだので、まだまだ除雪の効果は残っていて人も
 車もだいぶ往来がしやすくなった感じがします。

 そうそう、ただ今「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2011」が開催中です。
 まだ日程は残っておりまして、スケジュールなどの詳細は公式HPのほうでご覧になれ
 ます。 みなさんぜひおいで下さい。 (私は病み上がりなので残念ながら家で静かに
 していなくちゃ。) この映画祭が終わると夕張もいよいよ本格的に春だなあ・・。



 2011年 2月 23日 (水)  

家の周囲はまだまだ背丈より高い雪の壁に囲まれて・・。


偶然隣にこんな車が・・。 昨今色々気を使うだろうな。
 
 【 もうすぐ春が 】
 節分には真冬のさなかだった周囲の景色も、だいぶ春を感じられるようになって
 きました。 まもなく町内会の除雪(年に1回約100万円をかけて町内会費で
 業者を呼んでいるんです)があるので、右の写真の雪壁も無くなって春が一気に
 近づくことでしょう。 どっちかというともう少し早い時期に雪を持って行って
 ほしいんですけどね。 今日などは暖気で雪がザクザクになってしまい、小路を
 歩くのも車で走るのも大変です。 春になれば消えてなくなるのはわかっている
 ものに100万円は勿体ない気もしますが、こればかりは雪国の宿命で致しかた
 ありません。
 
 昨日用事があって出かけた折にふと隣を見ると「学校給食運搬車」と書いた車が
 並んでいました。 先日来ニュースになっているように、岩見沢で1000人を越す
 児童が給食で食中毒を起こしたばかりですので、こういう業者の方もかなり神経
 を使っているだろうなあと思います。 今まで町で給食を運ぶ車を見かけたこと
 など一度もないのに、あまりにもタイムリーなこの出会い、思わずシャッターを
 押してしまったのが右下の一枚です。


 さて、このページの右上にあるアクセスカウンターは今39600を超えています。
 この調子ですとあと10日ちょっとで40000の大台に達すると思います。 最近の
 ペースとしては年間で約11000回、つまり単純計算ですと1年で今の夕張の全人口
 に相当する数の人にこのHPをご覧頂いていることになりますが、HPを開いて
 いる当人といたしましては、これは望外の数字で感謝に堪えません。 まだまだ
 当分は続けていこうと思ってますので、どうか今後ともよろしくお願いします。

 冒頭にも書いたとおり、雪は時が来ればいやでも消えて必ず春が来るのですが、
 夕張の春は黙って待っているだけでは来そうにありません。 4月には市の今後
 に拘わる市長選があるのですが、どうなるんでしょう。 町の将来を遠い先まで
 真剣に見据えていただけるのならどなたが市長でも構わないとは思うのですが、
 今年の春はちょっとばかり不安・・・かな・・。



 2011年 2月 20日 (日)  

サムネイルにしてありますので
写真をクリックすると拡大できます。
 
 【 演奏会のお知らせ 】
 このHPを通じて知り合った、北高の合唱部にいらした先輩から合唱部OBの演奏会のご案内をいただき
 ました。 開催日は5月8日と少し先ですが、せっかくですのでご紹介させていただこうと思います。

【第9回 夕張北高等学校合唱部 OB演奏会 】
 日時   2011年5月8日(日) 開場15:30、開演16:00
 会場   札幌市教育文化会館大ホール(札幌市中央区北1条西13丁目
 入場料  1000円(全席自由)
 
 その他の詳細は右のリーフレットをご覧ください。 写真をクリックすると大きくなります。
 
 なおチケット取扱いは、大丸・4プラ・教文の各プレイガイドで行っているそうです。
 GWの最終日でお休みの方も多いでしょう。 みなさんぜひ足をお運びになってみて下さいませ。



 2011年 2月19日 (土)
 【 音の遺伝? 】
 音楽をやっているので耳が敏感なんです、などと言うつもりはさらさら無いのですが・・・。 

 すごく苦手な音というのがあります。 これは誰しもおありで例えばチョークを黒板に浅い角度でこすった時に出るキーッという音な
 んかは、大半の方にとって鳥肌が立つほど不快な音だと思うんですね。 似たような系統の音で、名刺のプラスチックケースのフタで
 ガラステーブルの天板をこすった時の音も嫌な音として同意していただけるでしょう。(若い頃、3日連続で真夜中にイタズラ電話が
 かかって来まして、3日目にさすがに頭にきて受話器を近づけながらテーブルを名刺のケースで思い切りこすり上げたら、それっきり
 二度とかかって来ませんでした。)

 ただ私の場合、これは他の人はそれほど嫌わないんじゃないかという音で苦手なものがありまして、料理の中華鍋を金属の「おたま」
 でこするときの音が「勘弁してください」ってくらい苦手です。 ですからTVの料理番組で中華料理を作っているときは要注意で、
 間違って聞いてしまうと、寒気がしばらく取れません。

 先日、これがすっかり子供に遺伝してしまっていることが判りました。 家内が平気で炒め物をしている台所から逃げ出すわ、TVの
 料理番組で中華料理を作り始めると、親子して「消音」ボタンを押すわ、大騒ぎしています。 また同じ質の音ですが、冬には除雪の
 際にスコップの先で乾いたコンクリートを掻いてしまうと二人して「あ゛ー!」って絶叫したりしています。

 こういう感性に属するものは、いったいどうして親子で同じになっちゃうんでしょうねえ。 「遺伝」とはちょっと違う気もするんで
 すけれど、全くもって不思議だわ・・・。



 2011年 2月18日 (金)
 【 開校 】
 昨日、4月に行われる予定の「ゆうばり小学校」の開校式のご案内が手元に届きました。

 まだ少し先のことですが、せっかくお招きいただいたので出席させていただこうと思っています。 場所は現在の清水沢小学校ですが
 昨秋写真を撮影しに行った時にはちょうど工事中で写真が撮れませんでしたので、一緒に写真も撮影しておこうかな。

 新しく学校が誕生するのは楽しみなようでもありますが、その前に6校の本当の閉校が待っていることを思うと気分は少し複雑です。
 もちろん後戻りはできません。 あとは子供たちが一箇所に集まることが、何というか一つの「はずみ」になってくれることを心から
 祈りたいと思っています。



 2011年 2月17日 (木)
 【 早春賦? 】
 外出先のBGMで偶然「早春賦」(注:クリックすると音が出ます)を耳にしました。 ちょうど天気も良くて一気に雪解けが進んで
 いたので、タイムリーといいますかまさに今時季の歌ですよね。
 
 でも私はこの歌にはちょっと恥ずかしい思い出があるんです。 実は長いこと歌詞を間違えて覚えていたんですね。

 この歌は小学校の音楽の教科書に出ていたんですが、譜面の中に書いてあった歌詞は全部ひらがなだったんです。 かなだけで書くと
 頭のフレーズの歌詞は「はるはなのみのかぜのさむさや」となりますが、これを小学生の私は「春花の実の風の寒さや」と読んでしま
 いました。 もちろんこれは大間違いで、正解は「春は名のみの風の寒さや」です。 しかし音楽の時間にけっこう大きな声で歌って
 いたにも拘わらず(「は」をwaでなくhaと発音してるのに)先生にも級友にも指摘されないまま、大学に入りグリークラブで小学校以
 来初めて歌詞を漢字で見直したときには・・・そりゃあ恥ずかしかったです。 グリーの練習でも最初の1回はhaで歌っちゃったし。

 同じ唱歌でよく「ふるさと」の「うさぎおいし」を「兎追いし」でなく「兎美味し」と勘違いしていた、という話は私も耳にしていて
 内心「それはないでしょうよ」と思っていたのですが、何のことはない、私のも同じ類の間違いですよね。 
 
 うちの家内がこれまた抜群に覚え間違いの多いお人で、それも「そう来るか」ってくらい見事に聞き間違ってくれるんですが、あまり
 笑っているとそのうち必ず何倍かで我が身に返ってくるので、程々にしておこうっと・・・。
 


 2011年 2月15日 (火)
 【 曲データの差替え 】
 これは校歌も含めすべての曲に対してそうなのですが、どんなに真剣に曲を作っても時間が経つと必ず直したいところが出てきます。
 もちろん決して最初に手を抜いて作ったわけではありませんし、特に校歌などは力の入れように差が出ないよう最大限の努力はしてい
 るつもりなんです。

 それでも音楽というのはきりがないもので、特に私の場合はいわば機械相手の音楽ですから手間をかければかけるほど確実に音は良く
 なります。 問題は完壁に近づけば近づくほど僅かの向上でも時間がかかるようになることで、感覚的には50%の出来を90%まで
 引き上げるのと、90%の出来を95%にするのとが同じくらいの労力という感じでしょうか。 ほとんど自己満足に過ぎないほどの
 僅かな変化のために何日も費やすことさえあって、仕上がりが進めば進むほど作業の効率はどんどん悪くなります。 逆説的に言えば
 無限に時間がかけられない以上、音楽はどこまでいっても所詮は妥協の産物でしかないともいえますね。
 
 ですからHPで流している曲も、直したいところだらけです。 改めて聴くとイライラするので一旦アップしたら自分ではできるだけ
 聴かないようにしているくらいです。 

 それでも聴かなければならない場合もありまして、例えば「緑の谷遥か」なんかは朗読劇で使っていますから否応なく聴くわけです。
 実はこの曲、最初に琴似で上演した時からずっと気になっていまして、全体的に音が曇っているし、メロディも沈んでいるし、打楽器
 は前に出過ぎているし・・・とにかく気になっていたのですが、手を付け始めるとえらく時間がかかりそうで、今まで先延ばしにして
 いたんです。

 今回ようやくこの「緑の谷遥か」に手を入れました。 16分音符の「喰い」や管楽器の音の消え加減、果ては一音ごとのピッチ調整
 までとにかく色々やりまして、案の定かなり時間がかかりましたが、おそらく大半の人には「どこも変ってないじゃん」って言われる
 類の変化だと思います。 テンポも少し早めましたが、最後のフェルマータを長くしたので、演奏としては1秒短くなっただけです。
 まあとにかく「百聞は一見にしかず」、いや「百言は一聞にしかず」ですね、お暇な時に聴いてみてくださいませ。 →【曲へ】



 2011年 2月 14日 (月)  


家内撮影の札幌雪まつりの1コマ。
似ているかどうかはビミョーだけど
今年はどこでもこの人なのね・・。
 
 【 2月14日の思い出 】
 昨日で雪まつりも閉幕し今日は早くもバレンタインデー(おじさんには縁遠い日だこと。)、今年の冬も
 そろそろ終盤戦に入ろうとしています。  雪まつりの期間中にはたいてい一度くらいは用事で大通会場
 の近辺に行くので、昨年なんかもそのついでに少しだけ雪像を見たのですが、今年は縁が無かったらしく
 とうとう最後まで全く見ず終いでした。 

 さて夕張北高時代、2月14日はバレンタインというよりは、ある行事の日でした。 バレンタインデー
 という習慣は、ちょうど私の世代あたりから一般的になっていましたが、北高の学生達にとってこの日は
 それより「予餞会」の日としての印象が強かったんじゃないかと思います。
 
 「予餞会」などと言われても、たぶん今の若い人は「?」と思うでしょう。 こんな古めかしい呼び方が
 北高でも最後まで使われていたかどうか判りませんが、要は卒業生の送別会のことであります。 卒業の
 前に「予め餞(はなむけ)をする会」という意味だと知ったのは実は私も卒業後のことでした。 だって
 普通「よせんかい」という単語の音だけ聞いて思い浮かべるのは「予選会」ですよね? この期に及んで
 何の予選だ、って思ってましたもん。

 また3年生にとっては、この日以降は自宅学習になってしまうので、次にクラス全員が顔を合わせるのは
 卒業式でしたから、そういう意味では確かに餞にふさわしい日だったかもしれません。  私大の入試は
 この時期すでに始まっていましたが、当時はセンター試験どころか、その前の共通一次試験制度すらまだ
 存在せず、雛祭り前後に国立一期校の試験が、さらに一期校の合格発表後の3月下旬に国立二期校の試験
 が控えていました。 私大でもまだこれからが試験という学校も残っていましたから、受験生にとっては
 まさに最後の追い込みの時期。 予餞会はそういう緊迫した日々の中で貴重な気分転換の日だったかもし
 れません。 どっちにしろ私はチョコレートには昔から縁がなかったことですし・・。

 私が3年生、つまり送られる側になった最後の2月14日、本来なら客席でのんびりしているはすだった
 私は、吹奏学部の下級生に人出不足と泣きつかれ自分の予選会で指揮をしていました。  もちろん本番
 だけで指揮はできないので、親には補習と偽り毎日せっせと音楽室に通って、です。  案の定といいま
 すか因果応報といいますか、希望した学校の試験にはことごとく落ち続け、最後の最後でやっと1校だけ
 引っ掛かったような有様です。 もっとも真面目に勉強していたところで希望通りの学校に合格できた
 かどうかは甚だ怪しいので、特に後悔もしていませんが。 まあ人生って大体がこんなもんですよね。

 ちなみに私の大学の合格発表は4月1日の午前7時。 発表の日付は遅いくせに、発表時刻だけはやけに
 早い時間で、しかもよりによってエイプリル・フール・・・。 真谷地にいた伯母に朝早く電話で合格を
 伝えたところ、「あんた、ウソでしょ。」と言って最後まで信じてもらえませんでしたっけ。

 そんなこんな、いろいろ思い出すことの多い今日の日であります。



 2011年 2月12日 (土)
 【 最後の校歌 】
 最近いろいろと用事があって、なかなか時間が思うようになりません。 仕事も雑用も重なるときは、ほんとに重なるものですね。

 しばらく前から編曲を進めていた「ゆうばり小学校」の校歌の編曲がやっと終わりました。 この4月に開校予定のこの学校の校歌が
 おそらく夕張で誕生する最後の校歌になるでしょう。 こちらは4月の開校後にHPでお聴きいただくことになると思います。

 他にも制作中の曲があるので、しばらくの間はそれで一杯になりそうです。 こういう場合、忙しいのを喜んでいいやら悲しんでいい
 やら微妙なところですが、まあ「小人閑居して不善を為す」といいますから私なんぞはこのくらいで、いいところかも。



 2011年 2月 6日 (日)  


四つ葉のクローバー。
なんかいいこと、あるといいね。
 
 【 30日ちょっと 】
 学校は三学期が始まりましたが、統合を控えた夕張の6つの小学校ではこれが最後の学期です。

 夕張市のHPから緑小学校(沼の沢小と真谷地西小の統合校)の「学校便り」を見たのですが、三学期の
 登校日数は45日だそうですから、もう残り30日を切りますね。 2月8日には体験学習ということで
 ゆうばり小・夕張中へバスで登校してみるのだそうです。 本町と滝の上や登川だと、どちらが遠いのか
 判りませんが、いずれにせよ冬は大変だろうなあ・・・。 バス停の整備改善は進めているようですが、
 バスは冬には定時運行というわけにはいかないでしょうからねえ。
 
 夕張小学校(旭小と第一小の統合校)の学校便りには、「児童数15名」とありました。 さらに旭小は
 丁未小と福住小と第二小の統合校で、その第二小はかつては児童数二千を超す全道一のマンモス校だった
 小学校でした。 つまり今や往時の4校分を合わせた全児童数が15人、ということになります。
 
 手元の資料によりますと、全市の小学校の児童数は昭和34年のピーク時には20406人に達したそう
 です。  全人口は十分の一に減りましたが、小学生の数は百分の一近くまで減ったことになりますか。
 確かにお盆などに夕張に帰っても、子供の遊ぶ姿をついぞ見かけなくなりました。

 そういう意味では、通学は大変になりましたが、子供たちにとっては今回の統合で仲間の数が増えてよい
 のかもしれません。 大変なことがあったら、代わりになんかいいこともなくっちゃね。



 2011年 2月 4日 (金)  


 これは鉢植えを販売していた「プリムラ」。  (¥250)
 私のことだから春の花じゃないのかもしれませんが・・。
 
 【 どこかに春が 】
 昨日は節分、そして今日は立春です。 二十四節気の中では四立(立春・立夏・
 立秋・立冬)のひとつとして農耕を営む上では重要な日だったそうです。 
 
 二十四節気はもともと陰暦による暦と実際の気候周期とのずれを修正するために
 生まれたものですから、そういう意味では気候と噛み合っていないといけないの
 ですが、いかんせん発祥が中国の黄河流域だそうで日本、特に北国の北海道では
 節気の呼称と現実の季節感がぜんぜん合いません。 今日から春ですよ、と言わ
 れても道路の両側が背丈ほどの雪壁になっている状態ではピンと来ませんよね。
 
 では周りでどこか春らしい所がないものかと、先日「百合が原公園」にある温室
 に行ってみました。 家内がここでは今ちょうど柑橘類が盛りらしいと聞き込ん
 できたからです。

 温室の中は15~16℃ほどに保たれ、夏の暑さとまではいきませんが、北海道
 なら4月の中旬ほどの暖かさになっていました。 自慢じゃありませんが、私は
 植物には全く疎い(この言葉を口にしたおかげで苦労している御仁もおいでのよ
 うですが)もので、子供が小さい頃家の菜園に植えてあった人参も茄子も判らな
 くて子供にまで思い切り笑われたものです。 いや全くお恥ずかしい・・・。

 ですから、どこまで温室の植物を楽しめたか、植物の一般常識がもう少し普通の
 方ならもっと楽しめたんじゃないか、まああまり自信は無いのですが、それでも
 本人はそれなりに楽しんだつもりになれました。 一応少し早い春を感じること
 ができたかなと思います。  入館料も¥130と安いですから、お近くの方は
 一度ご覧になってはいかがでしょう。

 で、撮影してきた中の一枚が右のプリムラの写真です。 なお申し上げるまでも
 ありませんが、花の名がプリムラと判ったのは解説のプレートがあったからで、
 決して知っていたわけじゃありません、念のため。 (威張るなって・・。)



 2011年 2月 1日 (火)  石炭の用途別需要量推移(一番上の線が合計トン数)



(注1)経済産業省資源エネルギー庁HP掲載の石炭の需要量の推移です。
 夕張の人口が最も増えた1960年は63110t、グラフ右端の2003年は
 168140tですから、石炭の需要は減るどころか約3倍に増えています。
 市の人口は1/11になりましたが・・・・。
 【 まずは良かった。 】
 あっというまに今日から2月、本当に早いものです。

 すこし前に新聞にも載りましたが、夕張の石炭博物館が、新年度から
 大がかりな修繕を行って存続する方向が明らかにされました。 

 石炭博物館の位置づけもこれまでの「観光施設」から「文化施設」と
 されるようで、私は以前から石炭博物館は夕張の歴史そのもので守る
 べきものと思っていまして、そのうち民間に売り渡されやしないかと
 ずっと心配していたので、このニュースは大変嬉しいことだと思って
 います。

 それにしても今や博物館にしか残っていない炭都夕張のかつての姿。
 夕張から炭鉱が全て消えて20年以上経ちますが、石炭の需要自体は
 減るどころか年々増え続けている現実
(注1)を見るにつけ、何か割り
 きれない気分になるのは私だけでしょうか。

 前にも書きましたが、石炭が国内に無いというなら諦めもつきますが
 かなりの埋蔵量が残っているわけですから、輸入だけに頼るのは何と
 しても勿体ない。 

 今の政府を見ている限り、残念ながら長期的に未来を見据える力があ
 るとばとても思えないので、レアアースのような不測の事態が起きた
 際にも慌てないよう、少しでも炭鉱の記録や技術を残しておくのは、
 地元の努力によるしかないのかな、なんて思ったりもしています。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記