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2012年 8月



 2012年 8月 26日 (日)


写真家の田中正文さんと名城文子さん
 【 沖縄戦に思う 】
 昨日「沖縄戦と北海道」と題した講演会を聴いてきました。  作曲家協会の会員の方が
 プロデュースと音楽担当をされていて、この会のご紹介があったんです。

 理由は判りませんが、沖縄戦の死者約18万人の中で、都道府県別にみれば地元・沖縄の
 次に死者が多かったのが北海道(約1万人)だということは私も聞いたことがありました。
 家族が沖縄戦で戦死したという方が、皆さんの中にもおいでかもしれません。

 講演会では沖縄から従軍看護婦として学徒動員された名城文子さん(82)をお招きしてお話
 を聴きました。 彼女はお父さんは招集されて、お母さんと姉妹は米軍の攻撃によって、
 それぞれみな命を落とされたそうです。 

 お盆の頃でしたか、NHKで「終戦」という番組をやっていました。 終戦前の数カ月、
 当時の日本のトップたちが何をしていたかを探る番組でしたが、その内容は驚くべきもの
 でした。 昭和20年2月のヤルタ会談でソ連が参戦を決めたという情報を、軍は在欧の
 武官から4月頃に入手していたというのです。 しかも、陸軍海軍それぞれがこの情報を
 入手していたにも拘わらず、どちらもその情報を握りつぶし、和平を探っていた外務省は
 軍部の情報収集力を過小評価していて、これを全く知らなかったそうなんです。

 結局和平交渉はならず、軍は負けるとわかっていながら徒に時間を浪費し、沖縄戦・原爆
 の投下・ソ連参戦、という決定的な事態を招くまで何もせずに終わりました。 歴史上の
 出来事に今さら「もしも」を言ってもしょうがありませんが、この情報が生かされていれ
 ば、沖縄戦の18万人・広島の14万人・長崎の7万人・・・失わずに済んだ命を無駄に
 したかと思うとやりきれませんし、米軍基地問題も北方領土問題も無かったかもしれない
 と思うとなおのこと腹立たしい。  

 奇しくも311で現在の日本のリーダーたちの危機管理能力・情報分析力の低さが、戦後
 70年経った今でも全く進歩していないことが露呈しました。 名城さんのような経験を
 されるかたが二度と出ないことを心から祈りたいと思います。




 2012年 8月 19日 (日)



 【 真夏の夕張へ 番外編 】
 今回沼の沢駅周辺の記憶を辿るにあたって、非常に助けられたのが、母が後生大事に取って
 いた「沼の沢・真谷地 50音別電話帳」でした。

 それほど古いものではなさそうです。 小学校の校名はすでに緑小になっており、中学校が
 向陽中のままなのでおそらく昭和61~2年頃のものかと思いますが、それでも商店などの
 正確な屋号を確かめるには随分役に立ちました。 必ずしも地元の人が使っていた呼び方が
 そのまま正確な屋号とは限らないので、この電話帳は数少ない拠り所だったんです。

 本当はこの電話帳には背が付いていたのですが、長年の間に無くなってしまっていて、そこ
 だけは少し残念ですが、中身は欠損もなく全ページ揃っています。 今や貴重な資料です。

 写真は電話帳の表紙部分ですが、ここだけでも懐かしい名前が並んでいます。 昨日もここ
 に書いた「じんじん」や数年前まで営業していた「堀田写真館」、真谷地6区の坂を登った
 辺りにあった「久保商店」の名は地元の人なら必ず覚えておいででしょう。「ウルウ電機」
 や「八幡石材店」など今も営業している店の名もあります。

 電話帳の中には「中村電器」(紅葉山)「三津野電器」「中山洋電」「寿司栄」(清水沢)
 など沼の沢や真谷地以外の商店の名も囲み広告の中に見受けられます。 中学に入学した時
 に学生鞄を買いに行った、本町の「靴と鞄の店・林田」の名に至っては完全に数十年の記憶
 の彼方で、この電話帳を見てようやく思い出しました。 

 当時ちょうど閉山の直前だったはずの「北炭真谷地炭鉱㈱」は、代表番号のほかに経理部・
 技術・鉱務課・労務課・クラブ・資材倉庫・選炭工場・社長宅の各番号がずらりと並んでい
 ますが、炭鉱の組織構成まで垣間見え、初めて「電話帳を見る」のが楽しいと思いました。
 母にはこの電話帳だけは絶対に捨てるな、と言っておこうと思います。




 2012年 8月 18日 (土)


 私のイメージでは壁の色はずっとウグイス色だった気がする佐藤呉服店。
 いつのまにか上層階の窓がモルタルで埋められていた。 
 【 真夏の夕張へ その6 】
 沼の沢駅前の広場(以前は夕鉄バスが沼の沢と真谷地を
 往復していて、ここが転回場だった)の清水沢側の端に
 建つ「佐藤呉服店」とその向こうの沼の沢郵便局です。

 佐藤呉服店は、昔は小学校の向かいにあったのですが、
 昭和40年代前半にここに移転しました。  実は私は
 この建物が完成した時に3階に上がらせてもらったこと
 があります。 当時は反物などの倉庫になっていたので
 すが、ものすごく眺望が良かったので、いつかここから
 写真を撮らせてもらおうと思っていたのですが、いつの
 間にかご覧のとおり窓が埋められていまして、私の望み
 は叶えられなくなってしまいました。 残念・・・・。
 今回訪ねた駅周辺で、こちらの店だけが今も営業を続け
 ています。

 隣の郵便局は、昔からの建物の原型が残っている建物の
 ひとつです。 その向こう隣の「ふじ井菓子店」「島印
 刷所」はつい先年取り壊され今は更地になっています。
 更に向こうに見えるのは「菊地石油店」の建物ですが、
 この建物は昔と同じのように思えます。

 残念ながら写真がありませんが、この辺りは昭和30年
 代後半まで、土手で道路より一段高い地形になっていて
 上に鉄道官舎が何棟か建っていました。 国鉄に勤務し
 ていた祖父も私が生まれる前に住んでいたことがあるそ
 うです。 土手の上には確か駅側から土手に登ってすぐ
 と中ほどの2か所に井戸があって、鉄分の多いこの辺の
 井戸の中では例外的においしい水が湧き出ていました。

 かつての地形や町並みの話を今さらしたところで、回顧
 以外の意味はないかもしれませんが、写真や文章にでも
 残しておかないと、ここに町を築いた先人の努力が全く
 無駄になるような気がしたもので、あえて記憶にあるこ
 とを細かく書いてみました。 時が経てば、こんな文章
 でも記録的な価値が・・・出ることもなさそうね・・。




 2012年 8月 17日 (金)


 私の記憶の中では、この町並みで新しいほうに属する建物なのだけれど・・・・。
 【 真夏の夕張へ その5 】
 昨日の写真ならば左列の奥になりますが、沼の沢駅前の
 信号より清水沢側を写したのが今日の写真です。 

 といっても、今や残っているのはこの建物一棟だけ。 
 軽食喫茶の「じんじん」と、「クレソン」が入っていた
 建物です。 実はこの2店は、どちらも私が高校を卒業
 して夕張を出てから出来た店なので、たまに帰省した時
 に外から看板を眺めるくらいで、一度も足を踏み入れた
 ことがありません。 今やどちらが1階でどちらが2階
 に入っていたのかすら記憶が怪しくなっています。

 この建物の左隣;沼の沢駅から消防番屋に入る道の角は
 「孝寿司」と「シーク理容室」の入った3階建ての建物
 が建っていて、右隣が日通の営業所だったと思います。

 最後に残ったこの建物は、数年ほど前まではカラオケの
 集まりに使われていると聞きましたが、それも今はどう
 なっているのか判りません。

 今回改めて写真を見ていて、Aコープの店舗の向こうに
 大きな木が立っているのに気が付きました。 この場所
 にこんな大きな木があったっけ?と思いましたが、考え
 てみれば私が向陽中に通っていたのは40年ほども前の
 ことになります。 そりゃあ木も伸びるよなあ・・・。



 2012年 8月 16日 (木)

 昨日の写真との位置関係で言えば、ツバメ電器のほぼ正面が洋裁学校だったと思う。
 【 真夏の夕張へ その4 】
 右の写真は昨日の写真の逆側から撮影したものです。
 緑小学校(旧沼の沢小学校)の前から国道に出た地点
 で撮影しました。 

 左端の空き地が皆川薬局のあった場所で、今も残って
 いるのは手前から鮮魚の阿部商店、ツバメ電器商会、
 鈴木呉服店、藤屋百貨店の建物です。 もちろん今は
 建物が残っているだけで、どこも営業していません。
 ツバメ電器は名前からお判りのように、清水沢駅前に
 あったツバメ電器の弟にあたる方(リリーズの叔父、
 ということになりますね)の店でした。

 今は丸藤百貨店の向こうは角までAコープ沼の沢店の
 敷地になっていますが、かつては菓子店と食堂を兼ね
 ていた上林商店、文房具のはら勉強堂(もっと昔には
 パチンコ店だった)、高間商店と3軒の店が並んでい
 ました。 

 皆川薬局には確か私より1つか2つ年長の方がいて、
 この方がえらくギターが上手い方で、向陽中に通って
 いた頃、窓の下を通るとよくギターの音が聞こえてい
 たことを今思い出しました。 この写真を見ていると
 何だか今もギターの音が聞こえるような気がします。



 2012年 8月 15日 (水)
 【 真夏の夕張へ その3 】
 手元にある写真の中で、今回と同じ場所を撮影した写真がないか探してみましたら、一枚だけありました。

 昨日の写真と似たようなアングルで恐縮ですが、91年8月の沼の沢駅周辺を撮影したものです。(写真左)

 郵便局のポストが新しくなり、右の植え込みの向こうの建物がガソリンスタンドに代わり、沼の沢駅の向こうの左列の建物が
 今の写真ではすべて消えていますが、記憶が正しければ、手前から文化服装学院(地元では「洋裁学校」と呼んでいたと思い
 ますが)、中村精肉店、文房具の光井商店、籠谷(こもりや:漢字は自信がありません)理髪店、名前が思い出せないのです
 がクリーニング店、佐藤呉服店旧店舗、魚青果の豊田商店、相沢時計店、阿部商店の倉庫、豊田商店の倉庫、福井電気商会、
 堀田写真館、そして一番踏切側の端に青木商店・・・確かそういう並びだったと思います。

 左の写真で既に「おーやま」の看板はありますが、確かこの年に開店したはずです。 今回の訪問時にただ一店営業していた
 のは郵便局の隣に写っている佐藤呉服店で、他の店舗はすべてシャッターが下りていました。 全く寂しい限りです。 写真
 の枠外ですが、ちょうど「おーやま」開店と前後して真谷地から郵便局の隣に移転してきた藤井菓子店も先年閉店し、その隣
 の島印刷所とともに現在は更地になっています。(つまり郵便局と菊地ガソリンスタンドの間は全部更地になりました。)

 漢詩の『年年歳歳花相似 歳歳年年人不同』は、「人の世は移ろい過ぎても自然は変わらない」という意味だと思いますが、
 二枚の写真で全く変っていないのは、本当に夏空と背景の山々だけですね・・・。
 

   
       1991年8月4日撮影                                 2012年8月9日撮影



 2012年 8月 14日 (火)

 昨年は左側に2棟だけ残っていた建物もなくなり、駅の向こうは真谷地へ
 行く踏切まで完全に何もない。
 【 真夏の夕張へ その2 】
 2か所の墓参りを済ませ、例年通りに「おーやま」で食事を
 済ませ、駅周辺の写真を何枚か撮って来ました。

 この写真は紅葉山方向を向いて撮影したものですが、ご覧の
 とおり左端に写っている沼の沢駅舎の向こう側は、真谷地に
 向かう踏切まで全く建物がなくなりました。 今やこの道も
 れっきとした国道(452号)で、画面中央に写っている人
 は恐らくは拡幅の準備なのでしょう、測量作業の真っ最中で
 ありました。 通行する車もまばらで、正直ここを拡幅する
 必要が本当にあるのか、納得しかねる気分です。

 この日は平日でしたが、道路右側に写っている商店は、駅の
 正面にできたAコープの他は全てシャッタ-が下りたまま。
 人通りというものが全くありません。 
 
 お盆の時期になると必ず写真左の広場に組まれていた盆踊り
 の櫓が立たなくなって、もう何年になるでしょうか。 昔と
 変らぬ青空の下、沼の沢駅前は静かに時が流れています。



 2012年 8月 10日 (金)

 手前下に見えるのがJR石勝線、格子状の法面下が高速道路。

 【 真夏の夕張へ その1 】
 少し早いのですが、お盆の墓参りで夕張に行ってきました。

 ここしばらくは混雑を避けて、13日からのお盆の前の平日に済ませる
 ようにしているのですが、今年は高速が開通したせいか国道274号の
 交通量が減ったような気がしました。 

 ただ紅葉山の道の駅は、平日にもかかわらずなかなか盛況で、駐車場は
 8割以上は埋まっている感じです。 店内も賑わいを見せていて、家内
 も野菜のコーナーで「メイクイーン」を買っていました。 家内いわく
 「近所のスーパーよりおいしそうで値段が安い」んだそうです。夕張の
 中で一番人口が多いのは清水沢/南清水沢地区ですが、市外からの人が
 出入りして活気があるのは紅葉山なんじゃないかと思いました。 

 一方で、残念ながら楓の物産館のほうは以前より駐車場の空きが目立つ
 気がしました。 こちらは少し心配です。

 母方の墓は、急斜面にある墓地の一番上の辺りにありまして、両親には
 急坂を登るのも年々辛くなってきているのですが、今年のように晴天で
 気温が高いと余計にしんどいようです。 それでも何とか無事にお参り
 を済ませてきました。

 帰りに急坂を下りながら正面を見ると、ちょうど向い側の斜面の目線と
 同じ高さのところを高速道路が走っていました。 去年もここに書いた
 気がしますが、母の生家はこの写真の左数百メートルところで高速道路
 の巨大な土盛りの下になっています。 通過する車は思った以上に多く
 静かな谷間にタイヤのパターンノイズだけが響き渡っていました。

 この山深い墓地の周囲ですら少しずつ変りつつあります。 墓下に眠る
 私の祖父は、どんな思いでこの風景を眺めているでしょうか。 



 2012年 8月 6日 (月)

 今年は16人・・・年々少しずつ減ってるなあ・・・。
 【 七夕 】
 町内会の七夕祭りが今日から始まったようで、子供たちが例年どおり
 「♪ローソク出せ出せよ~♪」という例の歌を歌いながらわが家にも
 やって来ました。

 この歌、私が夕張にいた頃に歌った記憶はありません。 今の町だけ
 なのか、はたまた夕張でも今は歌われているのか判りませんが、最初
 は脅迫されているようで物騒な歌詞だなと思いましたが、毎年聞いて
 いるうちにすっかり慣れてしまい、家内はいつもお菓子を買って準備
 しているようです。 聞けば「あそことあそこの家は行けばお菓子が
 もらえる」というリストがちゃんと町内会で作ってあるんだそうで。

 たいしたお金がかかるわけではなし、私の町内でも子供たちの人数は
 どんどん減っているので、せめて年に何回かの行事の時くらい、協力
 して盛り上げないとね。 こんな他愛のないことでも、思い出にして
 もらえればいいなと願う、一日早い北海道の七夕の夜でした。



 2012年 8月 1日 (水)

 240cm×180cmのよしず。
 【 8月 】
 今日から8月です。 
 
 今日はだいぶ涼しくなりましたが、昨日まで道内各地では真夏日が連続していて「節電の夏」
 には厳しい天候が続いていました。 

 わが家も少しでも節電と冷房効果を両立させようと、ホームセンターでよしずを買ってきて、
 居間や自室の窓に立てかけてみました。 これが思った以上に効果的で、壁の温度がてきめん
 に下がり、室温も下げることができました。 よしずに水を撒くと更に効果的なようです。

 わが家では唯一窓用の簡易型エアコンが付いている私の部屋では、室外機部分が日陰になった
 ことでエアコンのコンプレッサーが作動する頻度がだいぶ減りました。よしずなんて江戸時代
 の人の知恵だと思いますが、最新の断熱材よりずっと安く効果的に涼を得ることができます。
 昔の人の智恵は大したもんだと改めて感心してしまいました。

 8月は墓参りで夕張にも行ってこなければなりません。 あまり暑くならないことを祈りたい
 ところです。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記