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2013年 3月


 2013年 3月 26日 (火)

    本日(3月26日)のわが家の前の風景。 本州以南の方は驚くと思うけど・・・。
 【 まだ春は・・・ 】
 今年はほんとうにどうなってるんでしょうか、春の彼岸も
 過ぎたというのに、わが家の周囲はまだ人の背丈より高い
 雪に埋もれています。

 右の写真はほんの数分前に撮影したものですが、東京など
 はもう桜が満開だというのに、北海道はまだこんなです。
 ちなみに画面中央に写っている軽自動車は意外に背が高く
 全高が1.7m以上ありますから、周囲の雪の高さの見当が
 つきますよね。

 彼岸の日の深夜には、わが家の横の道にロータリー除雪車
 が来ました。 30年近くここに住んでいますが、3月末
 にロータリー除雪車が作業をするのは初めてです。 今朝
 もまだ5cmほどの積雪があって「もう勘弁してくれ」と
 いう感じです。

 さすがに気温はだいぶ高くなりましたし、日差しも強さを
 増して雪の減る速さは増しています。  言うまでもなく
 春が来ないことなどないのですが、いつも4月の第一週の
 終わりにやっているタイヤ交換は、今年は無理だなあ。



 2013年 3月 18日 (月)

    ゲネプロの際の写真(本番演奏時はもちろん撮影禁止)
 【 コンサートに行く 】
 16日(土)、所属する北海道作曲家協会関連のコンサート
 に行ってまいりました。

 札幌フルート協会主催のコンサートですが、作曲家協会も
 曲を提供していまして、私も協会HPの管理などを担当し
 ている関係上、"取材"かたがた聴きに伺った次第です。

 全国的にもフルートだけのオーケストラというのは、そう
 多くないので、新作曲を聴くことはもちろん、普段めった
 にお目にかからない楽器を間近に見られるいい機会でもあ
 ります。

 ピッコロや普通のフルート、せいぜいアルトフルートまで
 なら、まだ目にすることもありますが、「バスフルート」
 や「コントラバスフルート」となるとほとんどの方は見た
 ことがないと思います。

 今日の写真中で、右から2番目の女性が演奏しているのが
 バスフルート(C調)で、普通のフルートの2オクターブ下
 の音が出ます。 バスフルートでも右から4番目の女性が
 演奏しているのは更に5度低い(F調)、そして最も低い音
 が出るのが左側の男性が立って演奏している数字の「4」
 の字のような形のコントラバスフルート(C調)で、これは
 普通のフルートの3オクターブ下の音が出ます。

 さすがにこれだけ音域の広い楽器が集まると、フルートだ
 けの編成でも分厚い和音が広がり、素晴らしい迫力です。
 今回は事前にご紹介するのを忘れてしまいましたが、次回
 以降もコンサートは続くと思いますので、ぜひ一度おいで
 いただければと思います。



 2013年 3月 15日 (金)

     町内会で同じ業者に排雪を依頼しているせいか
     ここ数年、同じ機械が除雪に来ている。

 【 春は名のみの 】
 いつまでも寒くて雪の中だなと思っていたら、11日午前9時の
 時点での札幌の積雪:130cmは、昭和21年以来67年ぶり
 の記録だそうで・・・、どうりで春が来ないわけです。

 そんな様子ですから、当初の予定からほぼ2週間遅れで始まった
 わが家の周りの排雪作業も、右の写真のような予想外の雪の壁に
 阻まれ、日程内で終わりきれませんでした。 他の町内会の除雪
 日程との兼ね合いもあるため続きはまた数日後ですって。 全く
 いつになったら春が来るのやら。排雪さえ済めば今度こそ春が、
 と思っていたんですけれどね。

 もっとも隣の町内会などは、わが家より少し早く排雪作業が済ん
 だせいで、もうすっかり雪に埋もれた状態に戻ってしまっている
 ので、排雪が遅れたのが幸か不幸かは微妙なところかも。

 週間予報を見ると、まだ来週は雪交じりの天候が続くようです。

 私の世代だと音楽の教科書に必ず出ていた「早春賦」の歌詞は、
「春は名のみの風の寒さや」 ですが、あれはウグイスが梅の枝で
 鳴くのはもう少し先かな、という風情。 作詞の吉丸一昌さんも
 まさか2mの雪壁を400psの除雪車が切り崩して春を待つ情景
 は・・・想定外でしょうね、きっと。



 2013年 3月 11日 (月)

     先月6日のテレビの画面。 右下の津波注意報の画面は、
     どの放送局でも長時間表示され続けた。

 【 優先順位 】
 今日は3月11日。 おそらくオンタイムで経験した私たちには
 その時日本のどこに住んでいたかに関わらず、決して忘れること
 がないであろう「東北大震災」の起こった日です。 改めてこの
 震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、未だに行方不明の方々
 の消息が少しでも早く判明することを願っています

 震災以降、安全について色々な点が見直されました。 携帯電話
 やテレビの緊急地震速報や津波警報の改善もその一つで、先月の
 十勝地方の地震(震度5強)の際に、携帯電話の警報音に驚いた人
 も多かったのではないでしょうか。(私もその中の一人です。)

 2月6日ソロモン諸島沖で起きたM8の地震による津波注意報も
 レスポンスや危険度の表現については、以前よりかなり工夫して
 いるなあと思いました。 緊急度を優先するあまり震災の恐怖を
 甦らせるという指摘もあったようですが、そういうことも含め、
 今後も改善が進めば、より多くの命が救われるでしょう。

 ただ疑問を感じる点もまだまだあります。  例えば写真にある
 ような注意報の表示が民報各局ではCMになった途端に画面から
 消えることなどもそうです。 これなどは完全に媒体として本来
 の使命を忘れているとしか思えません。 伝えるべき情報の優先
 順位として、CMと地震の警報とどちらが重要かは、議論の余地
 すらありません。

 そもそも人の生命に関わる緊急性があるからこそ、画面に表示し
 ているわけですよね? ならば「警報表示がCMにかぶった」と
 いって文句を言う広告主がいたなら、企業としての見識を疑いま
 すし、先日の例で後日放送予定の自社番組の番宣の画面で警報を
 消した局があったに至っては、もう呆れるしかありません。これ
 がこの「ギョーカイ」の常識なんでしょうか。

 精神論でなく、細かい現実的な改善の積み重ねで救える命が必ず
 あります。 どうか良識と常識を見失わないでほしいものです。



 2013年 3月 8日 (金)

      知人から借りた車と同型のトヨタ・ランドクルーザー。
      ボディカラーはこれじゃなかったけど。

 【 ホワイト・アウト (4)
 吹雪はピークを越しつつありました。 降雪は数十mは視界がきく程度
 まで回復していましたし、風もまだかなりの強風には違いありませんが
 もう息ができないほどではありません。

 豆腐屋さんの家で重機が到着するまでの1時間を費やし、現場に戻って
 みると、予定より早く重機が着いていて除雪トラックも大型トラックも
 既に雪の中から牽き出されていました。 私の車は、邪魔していた大型
 トラックがよけられたため、ウィンチのワイヤーが届くようになって、
 割と簡単に牽き出すことができました。 重機はさらに私の車より先で
 立ち往生している大型冷凍トラックの救出作業を始めましたが、私たち
 はその作業を見届けずに豆腐屋さんに戻りました。

 猛吹雪が一段落したとはいえ、路面にはまだかなりの積雪が残っていま
 したし、時刻は夜の12時近くになっています。 豆腐屋さんは「今日
 これから乗用車で札幌まで戻るのは無理だから、あきらめて家に泊って
 いけ」と言ってくれまして私も一旦はお言葉に甘えようと思いました。

 ところが、奥さんが私のぶんの布団を敷き始めたころ、事態はもう一度
 急転回します。 ずっと電源が入っていたご主人のアマチュア無線機に
 彼の友人の声が飛び込んできたのです。 実は私もこの時の経験が元で
 後年アマチュア無線の免許を取ることになるのですが、今思えばあれは
 たぶん430MHz帯にだけ設置されているレピーター(無線の自動中継器)
 の、それも藻岩山山頂に設置されたそれからの電波だったと思います。
 切迫した無線の内容は「江別~恵庭線を仕事で走っていて雪で動けなく
 なった。 まもなく乗っているライトバンの燃料が切れヒーターも止ま
 りそうだ」というものでした。  言うまでもなく当時はまだ携帯電話
 などない時代です。

 無線を受けたご主人はすぐに近所の別の友人に電話をかけ、二台で救出
 に向かうことになったのですが、そこから「国道274号を北広島まで
 走り江別に向かうから、4輪駆動車2台の後をついて北広島まで行けば
 その先は普通の乗用車でも札幌まで帰れるのじゃないか」ということに
 話が進んで行きました。 大急ぎで着替えるとすぐに出発です。

 2台の4輪駆動車は互いに進路を左右にずらし新雪の上に4本の轍を作
 りながら時折現れる吹き溜まりを蹴散らして進んでいきます。 私も何
 とかその後に続き江別~恵庭線の分岐まで辿りつくことができました。
 豆腐屋のご主人と友人の車はクラクションで合図しただけで、そのまま
 交差点を右折して吹雪の中に走り去って行きました。 国道274号も
 ここまで来れば交通量が多いせいか、路面の積雪もそれほど多くありま
 せん。 これなら何とか札幌まで自力で走れそうです。

 吹雪はだいぶ収まってきていましたが、実は家に帰りつく前には、まだ
 もう一つだけ試練が待ち受けていました。 南郷通りと交差するあたり
 で、左側のワイパーだけが急に動かなくなってしまったんです。 多少
 好転したとはいえ、まだまだ強い吹雪の中を片方のワイパーだけで走る
 ことはできません。 私はちょうどあったガソリンスタンド(もちろん
 夜中なので営業していない)の屋根の下に入り、修理を始めました。

 時刻は午前2時過ぎ。 原因はあまりの雪の負荷に、2本のワイパーを
 平行に動かすためのリンクが樹脂のボール(球面関節)の部分で外れてし
 まったことでした。 修理に約1時間・・・これでようやく自分の家に
 帰ることができました。 家に着いて時計を見るともう午前5時近く。
 前日の夕方家を出てからほとんど12時間のドライブはこれでようやく
 終わりを告げたのです。

 このようにして私は何とか無事にこの記録的な猛吹雪から逃れることが
 できましたが、特に三川の町まで歩いた50分間の恐怖は、今でも忘れ
 られません。 みなさんも吹雪の日は、国道や幹線道路を走るだけだか
 らといって決して油断されないよう、最後に申し添えたいと思います。


 え、結納はどうなったのか?って。 帰って来て2時間だけ眠った私は
 知人に電話して豆腐屋さんのより更に一回り大きなランドクルーザーを
 借り、3時間かかって夕張まで行って両親を連れ帰りました。 しかし
 夕張の家までの最後の50mは、この車ですら踏み入れませんでした。
 だって車のボンネットよりも高い雪の海になっていましたから・・・。
 本来なら午前中に行う筈の結納は午後になってしまいましたが、日程は
 何とか変更せずに済ませることができましたよ。 そうそう「困った時
 はお互い様だ」(数時間前にあの母娘に私も同じ台詞を言いましたね)
 と決してお礼を受け取ろうとしなかった豆腐屋さんには、もちろん後日
 あらためてお礼に伺ったことは言うまでもありません。 

 27年が経った今でも決して忘れない猛吹雪の日の思い出であります。



 2013年 3月 7日 (木)

           国道を除雪する開発局の除雪トラック
 【 ホワイト・アウト (3)
 猛吹雪の夜の9時半過ぎ、私は全く見ず知らずの豆腐店のドアを叩きま
 した。 出てきたのは40台後半と思しきがっしりした体格の男性で、
 経緯を話してウィンチで車を牽き出してもらえないか、と頼む私の話を
 玄関の三和土(たたき)の上で一通り聞くと、ゆっくり頷きました。

 「わかった。 だがとりあえず一回家に上がりなさい。 あんた、顔色
 悪いよ。」 

 背広の上にスウェードのハーフコート、帽子もマフラーもなく、足元は
 冬用の革靴を履いただけで、合計1時間半以上も猛吹雪にさらされ続け
 た私の顔色は、自分では判りませんでしたが血の気も失せ相当悪かった
 んだと思います。 「まず着換えなさい」と中学生だという息子さんの
 ジャージを貸してくれ、ストーブの前に座らされ、「今はこれしかない
 けれど」と言いながらカップラーメンを食べさせてくれました。

 そんなこんなで1時間ほどが過ぎて私の体も温まったのを見計らって、
 彼は「さあ、車の所に行こうか」とランドクルーザーのエンジンをかけ
 ました。 これも息子さんの長靴とスキーウェアを貸してもらった私は
 助手席で場所を伝えます。 

 現場に戻ると状況はさらに悪くなっていました。 私の車の手前でもう
 一台大型トラックが立ち往生してしまって、ウィンチのワイヤーが届か
 ないんです。何とか少しでもランドクルーザーを私の車に近づけようと
 悪戦苦闘しているところに開発局のプラウ付き除雪トラックがやって来
 ました。「地獄に仏」とはこのことで、黄色回転灯が近づいて来るのを
 見た時は助かったと思いました。 ところが・・・

 まずは手前の大型トラックを雪から牽き出そうということで、除雪車の
 プラウ(前部の排雪板)のフレームにかけて後退でトラックを牽き出そう
 としました。 しかし大きなプラウが邪魔で、ワイヤーを適正な角度で
 張ることができません。 斜めに引っ張ったせいか除雪トラックが全力
 で後退した途端、大音響と共に牽引ワイヤーは切断してしまいました。

 これは除雪トラックを何とか方向転換して前進で牽かないとダメだ、と
 いうことになり、除雪トラックは相変わらずの猛吹雪のなか、自分自身
 で除雪してまず道幅を拡げ、何度も切り返して方向転換を試みました。
 しかし悪いことは重なるもの、何度目かの切り返しで後輪が雪に沈んだ
 除雪トラックは、道を塞ぐ形でそのまま動けなくなってしまいました。

 「あとは重機を使うしかない。」 開発局の無線で重機を呼びましたが
 到着には1時間近くかかるそうです。 私たちは私の車の周囲の雪を最
 低限だけ除雪してから、いったん豆腐店まで戻ることになりました。

                          【次回に続く】



 2013年 3月 6日 (水)

           機械式ウインチ装備のトヨタ・ランドクルーザー 
 【 ホワイト・アウト (2)
 女性二人を降ろして国道234号を横切り、三川の町並みが途切れる頃
 には吹雪は激しさを増していました。 建物が途切れて風を遮るものが
 なくなったせいなのか、はたまた時間の経過で天候が悪化したせいか、
 猛烈な風と雪に直面している本人にとっては原因探求は無意味です。

 国道274号を川端に向かって、234号から4~500mも進んだで
 しょうか。 車はついに路面の吹き溜まりに足をとられて止まってしま
 いました。 外へ出ると吹雪に霞みながらも、20mほど先に長距離便
 の3軸の大型冷凍トラックが同じように動けなくなっています。 大径
 のタイヤで後ろ2軸を駆動するトラックが進めないなら、私の車が夕張
 に辿りつけるはずもありません。 ついに私は夕張まで行くことを断念
 しました。 こうなったら一刻も早く札幌に戻らなくては・・・。

 ギヤを後退に入れますが、ラリー用のものに更に増しピンを打った競技
 用のスパイクタイヤは空しく回転するだけで、車はびくともしません。
 吹雪はますます激しく、私の車は見る間に降り積もる雪に埋もれていき
 ました。 私は急いでトランクからスコップとスノーヘルパーを取出す
 と、車の左側面の雪を取り除きタイヤの下にヘルパーを噛ませました。
 今度は右側に回り5分ほどで右車輪にもヘルパーをかけました。 とこ
 ろが、もう一度左を確認すると車の左はすっかり雪に埋もれています。
 しかも手を付けていない前面は、雪がボンネット近くの高さまで達して
 います。 私は車を乗り捨てる決心をしました。

 三川の町の端までなら多分300mほど。  私は車のワイパーだけを
 止め、あとはエンジンもかけたまま、ヘッドライトもハザードも点けた
 ままにして猛吹雪の中をもと来た方向に歩きだしました。 

 吹雪はあらゆる方向から襲ってきました。 視界は風が弱くなった一瞬
 だけ街灯がかすかに見える程度、あとは完全にホワイト・アウトです。
 何より息ができません。 猛烈な風は呼吸することを許してくれないん
 です。 しゃがんで口の周りを両手で覆い、何度か深呼吸して肺に息を
 ため、風が少しだけ弱まった時を狙って数歩だけ前に進む、息が続かな
 くなるとまたしゃがんで息をためて・・・300mが10kmほどにも
 感じました。 本気で「これはだめかもしれない」と覚悟しました。

 町外れの交番の前に辿りついたときには心底よかったと思いました。
 これで死なずには済んだと。 時計を見ると午後9時半近く。 車の所
 から50分以上もかかっています。 体力は消耗し切っていましたが、
 しかしそうやって辿りついた交番は、パトロールの最中か無人でした。

 ふと見ると交番の道路向かいに豆腐店の看板があって、店の前に機械式
 のウィンチを備えたランドクルーザーが停まっています。 私には三川
 の町には誰も知り合いはいませんが、この際はそんなことを言っている
 場合ではありません。 私は背広にハーフコートという服装を雪まみれ
 にしたまま、見ず知らずの豆腐屋さんのドアを叩いたのでした。

                          【次回に続く】



 2013年 3月 5日 (火)

           今月2日午後6時の天気図 
 【 ホワイト・アウト (1)
 3月になったというのに暴風雪が北海道を襲いました。 初春の大嵐は
 道央~道東で9名の命を奪いました。 

 今回の暴風雪で犠牲になった方々は、どなたも山奥に出かけたわけでも
 何でもありません。 みなさん道路を乗用車で走っていたり徒歩で帰宅
 する途中に被害に遭われています。 激しい吹雪は想像以上に怖いとい
 うことを改めて認識された方もおいででしょう。

 実は私自身も国道を普通に走っていて、猛烈な吹雪で命の危険を感じた
 ことが一度だけあります。 今から27年前の1月のことです。 少し
 長くなりますが、何回かに分けてその時の話をしてみたいと思います。


 その日、私は家内との結納を翌日に控え、両親を迎えるため夕張の実家
 に向かっていました。 当時住んでいた札幌市豊平区の家を出る時には
 両親から電話で「天気が悪いから無理をするな」と言われていたのです
 が、スタートである結納からミソをつけたくなかった私は「いくら天気
 が悪いといっても国道や幹線道路を走っているぶんには大丈夫」と完全
 にタカをくくっていました。 

 家を出たのは午後の5時過ぎ。 道路はすでに渋滞で、国道274号の
 長沼の長い直線の終わり:今のマオイの「道の駅」のあたりに達する頃
 には7時半を廻っていました。 吹雪は時間が経つにつれ激しさを増し
 視界は悪く、スピードは時速30kmを出すのが精一杯。 そんな調子で
 ようやく三川の町まであと1キロのあたりまで来た時です。

 突然目の前に人影が飛び出して来ました。 小学校3~4年生の女の子
 を連れた母親らしき女性です。「近くの脇道で車が雪で動けなくなった
 ので、三川まで乗せてくれないか」といいます。 その頃はもう強風で
 息もできないほどでしたので、「とにかくお乗りなさい」ということで
 三川の踏切(当時は旧道で、室蘭線の踏切を渡って右折し、三川駅前で
 左折して国道234号を横切っていた)を越したあたりまで二人を乗せ
 ました。  礼を言う彼女たちに私は「こんな時はお互い様ですよ」と
 言ったものですが、まさかすぐ後に今度は自分が助けられる側になろう
 とは、この時点ではまだ想像もしていませんでした。
                          【次回に続く】



 2013年 3月 1日 (金)
 【 これでも温暖化?? 】
 今日から3月・・・のはずですが、今年の冬は本当に厳しくて窓の外にはまだ春の気配はありません。 今日も道内は日本海側
 を中心に大荒れ、場所によっては猛吹雪の予報が出ています。

 雪を捨てるスペースに比較的余裕のあるはずの我が家の周囲も、例年と較べて倍近くにも感じる雪の処理には苦労しています。
 暖房や給湯に使う灯油の使用量も多くて、ガソリンも灯油も値上がりの昨今、家計を圧迫している実感がありますね。

 今年はこんなに寒い冬ですが、これでも本当に「地球温暖化」なんだろうか? そう思ったもので手元の理科年表で最近の平均
 気温を調べ
てみました。 1971年か2009年までのデータが載っていましたので、東京と札幌のデータを抜き出してみたのが下の
 グラフです。 確かに年によってばらつきはありますが、やはり全体的には暖かくなっていることがわかります。 例えば札幌
 は1986
年以前には16年間で7回、平均気温が7℃台だった年がありますが、その後1987年以降2009年までの23年間では一回
 も7℃台に下がったことはありません。 傾向としては東京も同じ。 データはウソをつかないってことですが、気候の振れ幅
 が大きくなるのも温暖化の特徴だそうです。 そう思えば猛烈な吹雪や真冬の雷もより不気味に感じる気がしますね・・・。

              








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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記