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2013年 8月


 2013年 8月 26日 (月)
 【 釘 】
 夕張市のHPの資料統計のページで公開されている夕張市の人口は、2013年7月末現在で10034人。 このペース
 ですと8月末~9月末には夕張市の人口はついに1万人の大台を割り込みそうです・・・・と、ここまではこの欄でも再三
 書いてきました。

 ただ、いざその時が近づいてきますと今度はどうしても気になることが出てきました。 それは、このニュースをまたぞろ
 メディアが「財政破綻の結果、最高の負担・最低のサービスとなった市政を住民が見限って、人口流出が加速している」と
 いう切り口でしか伝えないのではないか、ということです。 

 もちろん、それが事実でないことも既にこの欄で何度か書きました。 それでもこの手の「報道」は後を絶ちません。 
 今回もまた同じように伝えられるかと思うと、何とも腹立たしい。 そこでしつこいのは百も承知の上で、もう一度この
 問題を数字で冷静に確認しておこうと思います。

 まず下の2枚のグラフをご覧ください。 上は1945年(昭和20年)から2012年(平成24年)までの夕張市の総人口の推移
 を表したもの、下は夕張から最後の炭鉱がなくなった1990年以降2011年までの人口の減少率(ある年の人口に対してその
 翌年の人口が何%減ったか)を表したものです。


   


   


 まず、上のグラフで明らかなことは、1990年に夕張最後の炭鉱である三菱南大夕張鉱が閉山して以降、夕張の人口はほぼ一定
 のペースで減少しているということです。 財政破綻する16年も前から人口の流失はずっと同じ勢いで続いているんです。
 「いや同じ人数だけ減っているのなら、2万人の~%と1万人の~%では重さが違う」という主張もあるかと思いますので、
 念のため人口の何%が1年で減ったのかを数字にしたのが下のグラフです。  1990年以降の人口減少率は平均で-3.11%、
 これは昨年の全道の平均人口減少率-0.47%と較べてはるかに高いですが、財政破綻で数値が変化したわけではありません。
 どちらのグラフにも2006年に変曲点はない、つまり夕張市の人口減少は非常に大きな問題ですが、それは財政破綻とは関係が
 なく、悪化も改善もされていないということです。(むしろ下のグラフを見ていると時間の経過とともに減少率が-3%前後
 の定率に収斂している気がしますが)

 ですから最後にもう一度思い切り釘を刺しておきます。 夕張市の人口流失は炭鉱の閉山という産業構造の変化:平たく言え
 ば雇用が無くなったこと・・・が主因であって、財政破綻が原因ではありません。 メディアの方々、人口が1万人を割った
 ときには、くれぐれも明確な根拠のある「報道」をお願いしますよ。 ・・・まあこれ、「糠に釘」かもしれないけどね。



 2013年 8月 23日 (金)

 内浦湾を挟んで対岸の駒ケ岳(約50km先)まではっきり見える。
 30数年前に初めて来た時はもっと遠くまで見えた気がした。
 【 岬の風景 】
 この前完成した曲を何とかスライドショーにしてみようと
 思ったのですが、かなりの枚数の写真が必要になりますし
 著作権も考えると、これは自分で改めて写真を撮るしかな
 いという結論に達しました。

 実は地元以外に住む者にとって、夏の室蘭周辺の、それも
 海岸近くの夏の景色を撮るというのは、意外と難しいこと
 なんです。

 まず春から初夏にかけて、だんだん気温が高くなってくる
 時期には、海水温が気温に追いつかないため、晴れて気温
 が上がり始めると同時に必ず霧が出ます。 苫小牧や釧路
 など太平洋側の地域はどこも同じ傾向にありますが、朝の
 うち晴れていても日中にはガスで真っ白になるんですね。

 これは海水温が上昇し、気温のほうはピークを過ぎたお盆
 の頃まで続きます。 お盆を過ぎると海水温が下がるより
 前に気温が下がり始めるので晴れやすいのですが、今度は
 すぐに雲が高くなりススキが出始めて、秋の景色になって
 しまいます。 だから夏の青空の海の写真は中々撮影でき
 ません。 地元に住んでいればその期間内でもいい天気に
 巡りあえるかもしれませんが、地方からだと天気が良さそ
 うと思って出かけても現地に着いた頃には一面の霧・・・
 なんてことが多いんです。 

 そんなわけで8月の最初から、天気図や衛星画像、地球岬
 の灯台にあるライブカメラ映像などを見比べながら機会を
 窺っていたのですが、昨日やっと室蘭に行ってきました。
 行く途中の高速道路では、横転事故の直後の現場を通過、
 周囲が一斉に急ブレーキをかけ(なにしろ乗用車がこちら
 側に腹を向けた形で走行車線全部と追越車線の1/4ほど
 を塞いでいたので)冷や汗をかきましたが、何とか無事に
 往復してきました。

 天気は雲量がやや多く絶好とは言えませんでしたが、右の
 写真のとおり何とかそれらしい写真を撮れました。 今日
 の室蘭はもう曇天のようですし、多分この次の晴れの日に
 は周囲は秋の景色になってしまうと思うので、今年は昨日
 が最後のチャンスだったかもしれません。 

 それにしても道央道室蘭ICと白鳥大橋ができたおかげで
 この周辺へのアクセスはずいぶん良くなりました。地球岬
 にも大型観光バスで外国人の団体が来てましたが、観光地
 が道路のルートに一喜一憂するのも無理ないよなあ・・。



 2013年 8月 18日 (日)
 【 清水沢発電所 】
 HTBの北海道ローカルの番組に「壇密古画(だんみつのいにしえ)」という番組があります。 木曜1:20~(水曜深夜)
 という放送枠ですし、番組タイトルにもなっているタレントさんがそういう路線の方なので、そちらのジャンルの番組かと
 思いきや彼女はナレーションを務めるだけでお色気はゼロ、北海道内の産業遺産や廃墟を訪ねる大マジメな番組です。 

 8月15日放送のこの番組で、清水沢発電所が取り上げられました。 ここは出不精かつ子供へのサービス精神が全く欠落
 していた私の父が、小さい頃私を自転車で連れて行ってくれた唯一の場所です。 確か母の知人もここに勤務されていたと
 思いますが、そういう比較的身近に感じているこの場所を動画で見るのは初めてです。このHPのトップページのスライド
 にも一枚だけ写真がありますが、ここだけをテレビでまとめて見ることはめったにないでしょう。 遅い時間の放送ですの
 で録画して見ましたが、周囲の景色ともども懐かしく見ることができました。 

 番組の伝えるところによれば、清水沢発電所は早ければ来年にも完全に取り壊され、その姿を消すそうです。 これでまた
 ひとつ昔の夕張が消え去ることになるのは寂しい限りですね。

 なおテレビ局の御先棒を担ぐわけではありませんが、見逃した方や北海道以外にお住まいで番組を見られない方にも、最近
 は「オンデマンド」という手があって、インターネットで番組を見ることができます。  有料(¥210、正味10分の番組に
 してはちょっと高い・・)にはなりますが、興味のある方は利用されてみてはいかがでしょう。
 (この程度でも「ステマ(ステルス・マーケティング)」って非難されちゃうのかな・・局からお金はもらってませんよ。)



 2013年 8月 15日 (木)
 【 終戦の日 】
 今日は68回目の終戦の日です。本州は猛暑が続いていますが、68年前の今日も全国的に晴れの暑い日だったようです。

 私の父は仙台で終戦を迎えました。 同級生に仙台市の助役の息子がいて、彼はすでに8月の初めから「日本は近く無条件
 降伏する」という話を掴んできていたらしいですが、血気盛んな級友たちとそのことで大論戦になったと話していました。
 「にわかには誰も信じられなかったし、簡単にそれを認められる空気でもなかったのだ」と父は話していましたが、玉音放
 送が流れた時は「やっぱりあいつの言った通りだったか」と思ったそうです。

 大伯父は終戦前後、富良野駅の駅長をしていましたが、終戦の少し前(おそらく7月14~15日だと思う)、駅が空襲に
 遭ったそうです。 ちょうど昼休みで、駅に隣接する官舎に帰って食事をとっていたところ、空襲警報が鳴ったと思ったら
 防空壕に避難する時間もなく艦載機が襲ってきました。 大伯父は妻の手をとって押し入れに逃げ込みました。 逃げ込む
 時に左右どちらの戸を開けようか一瞬迷ったそうですが、逃げ込んだ直後、選ばなかったほうは戦闘機の機関銃弾が貫通し
 たそうです。「戦争での生死なんて僅かな差でしかないんだよ」とは大伯父の言葉ですが、何とも言いようがありません。

 さきほどその大伯父の墓にお参りしてきました。 大伯父が鬼籍に入ったのは随分前ですが、戦争を実際に経験した世代の
 人たちの声は年月とともに遠ざかりつつありますし、それと反比例するように昨今は正直どうみても「品性に欠ける」とし
 か思えない隣国たちの挑発のおかげで、何となく「いざとなったら戦いもやむなし」という空気が醸成されているような気
 がしてなりません。

 先日、駅のホームと電車の間に挟まった女性を、駅員と居合わせた乗客が数十人で力を合わせ電車を押して隙間を広げ救助
 したというニュースが伝えられ、世界中で反響を呼びました。 この誇るべき日本人の結束力が、二度と戦いのために使わ
 れないことを、終戦の日にあたって改めて心から祈りたいと思います。



 2013年 8月 11日 (日)

南清水沢に向かって沼の沢駅を走り去る気動車。 無人駅になってからでも
かなりの年月が過ぎたが、おかげで写真撮影にも入場券は不要である。
 【 墓参り(2) 】
 墓参りのあと、いつものように「おーやま」で昼食を食べてい
 ると、ちょうど沼の沢駅に夕張行の気動車が入ってきました。

 下り「列車」と言いたいところなのですが、今やワンマンカー
 でしかも一両だけですから、もはや「列」をなしていません。
 
(注;鉄道用語としては一両だけでも「列車」が正解 )

 時刻表を見ると、時間帯によっては一時間に一本に満たない数
 の便しかありません。 それでも数人のお客をホームから乗せ
 た気動車は、妙に静まり返った夏の日差しのもと、ゆっくりと
 駅を出て行きました。

 かつて真谷地線への分岐や新鉱の積出し用引込線など、多くの
 レールが走っていた駅の構内はすっかり夏草に覆われ、新鉱の
 巨大な選炭機があった場所には、冷凍食品会社の工場が建って
 います。 

 列車を見送ったあとのホームには、今が盛りとばかりに虫の声
 だけが賑やかに響きわたっていましたが、それが却って静けさ
 を際立たせる気がする、そんな故郷の夏でした。



 2013年 8月 9日 (金)


 【 墓参り(1) 】
 昨日、少し早目ですが年に一度の墓参りに行ってきました。 気温は少し高かったですが強い日差し
 もなく足元の地面も乾燥していて、ここ数年では一番楽な墓参りでした。

 父方の墓は、私が生まれたあと祖父が亡くなって建てたものですが、母方の墓は私が生まれる前から
 あったもので、母は私がお腹にいる時も欠かさずお盆に来ていたそうです。 私自身も小さい頃から
 墓参りを欠かしたことはありませんが、ということは私は自分の年の数より多く母方の墓に来ている
 ということになりましょうか。

 母方の墓は、墓所の中でも一番奥まった高い位置にあります。 いまや熊が出没しても不思議はない
 くらいの環境で、改めて写真で見ると墓の周囲の木の幹も私の小さい頃の記憶よりも二回りほど太く
 なった気がします。 ここに来るたびに「空気がおいしい」と実感しますが、最近はそれも度を越し
 て、だんだん原始の森に帰っていっている感じすらしています。 

 ここ数年、そろそろお墓を移そうかなどと話したりしているのですが、都市や近郊の霊園や納骨堂
 は便利だし合理的なんだけど、あの無機質さはどんなものだろうなあ・・・・いろいろ悩んでいる
 今日この頃です。



 2013年 8月 5日 (月)


 【 ローソク出せよ 】
 同じ町内の子供たちが例の「ローソク出せよ・・・」の歌を歌いながら、わが家
 にやってきました。 

 もちろんこれも町内会の毎年の公式行事のひとつで、ちゃんと事前に連絡が来て
 家内もお菓子などを準備しています。 もはや行われる日付だけでなく時刻まで
 おおよそのスケジューリングが決まっているのは何とも今様といいますか、いか
 にも管理社会的な感じがしないでもありません。 まあ子供たちが単純に楽しん
 でくれればそれでいいのですが。

 ところでこの風習、私が小さい頃の夕張では無かった気がします。 私は隧南の
 住人ですが、隧北や南部・大夕張のほうではやっていたんでしょうか。 機会が
 あったら友人に聞いてみたいと思っています。



 2013年 8月 1日 (木)

 本州からほぼふた月遅れで季節感がないけれど、今が盛りの
 わが家の紫陽花。

 【 お盆ってこう書くの? 】
 月初めからちょっとすっきりしない空模様ですが、今日から8月になり
 ました。

 春先に低温が続いたので、揺り戻しでこの夏は猛暑なのかと身構えてい
 たのですが、今のところそれほどでもありません。 まあ昨年もお盆を
 過ぎてからの暑さが異常だったので、まだ油断は禁物ですが。

 8月はお盆がありますから、どうしても人の出入りも多くなり、気ぜわ
 しくなりがちです。 墓参りで夕張にも行ってこなくてはなりません。
 夕張市内の墓所はどこでもそうですが、たいていが山の斜面にありまし
 て、わが家の墓所も父方母方とも坂の上です。 父などは足腰が弱って
 きているので、もう限度かもしれません。

 お盆は確か正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」だったと思いますが、
 改めてWikipedia で調べてみたらサンスクリット語の表記が記載されて
 いました。「」と書くのだそうです。 もちろん全く読めませ
 んが、たぶん発音はそのまま「ura-bon-e」に近いのでしょう。 外国語
 というのはどんな言葉もそれぞれ面白いですよね。

 ご先祖の霊をお迎えするこの期間、多少慌しいけれど年に一度しか会わ
 ない親戚や友人と顔を合わせるのも供養の一つなのかもしれません。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記