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2014年 8月


 2014年 8月 28日 (木)

径が同じだったので、中学生の時買った偏光フィルターが
そのまま使えたのはラッキーだった。
 【 天高く・・・ 】
 あっという間に夏も終わり、ここ数日の北海道はすっかり秋の気配を感じるよ
 うになりました。 朝晩などは窓を開けていると寒いくらいですし、テレビで
 は早くもスタッドレスタイヤのCMが流れ始めています。「天高く馬肥ゆる」
 と言いますが、本当に空が高く感じる季節です。
 
 その秋空を写真に撮ってみました。 じっと見ていると生きているかのように
 動く雲の動きが面白かったので、カメラのインターバル撮影モード(指定した
 時間間隔で指定した枚数が自動的に撮影できる)を使って2秒間隔で720枚
 の写真を撮影し、それを秒速10コマの動画にして見ました。 時間を20倍
 に速くしたことになりますね。

 できた動画が楽しかったので、ついでに音楽もつけてみました。  もちろん
 この映像のためのオリジナルです。 まあ時間をかけずに作ったものですし、
 元々の映像が1分少々の短いものですから、たいしたものではありませんが、
 YouTubeにアップしてみましたので、お暇なときにでもご覧ください。
 (【YouTube】の動画はここをクリック:音が出るのでご注意を。)

 それにしても、今のデジタル一眼レフって、ホントに色々なことができるんで
 すね。 これ、全部の機能使う人、いるのかなあ・・・・?



 2014年 8月 25日 (月)

本文とは関係ないが、先日頂いた北沢食品の「とら豆」
 【 お墓のお引越し 】
 いよいよ夕張の墓所を引き払うことになりまして、明日夕張へ行ってきます。
 この夏はいろいろあったので、二週間に一度は夕張へ行っている感じです。

 いわば「お墓のお引越し」なのですが、正しくは「改葬」と呼ぶそうです。
 これが不慣れな者には・・・まあ普通はそんなにお墓を移転する機会はないの
 で、大抵の人は不慣れでしょうが・・・けっこう面倒なものでした。

 ただ今や必要な書式はすべてインターネットの夕張市の公式ウェブサイトから
 入手できますし、郵送で受け付けていただけますので、直接市役所まで出向く
 必要はありません。 その書類の書き方も、市役所の担当の方が丁寧に教えて
 くださいますので、「苦労した」というほどでもありません。

 今回は母方の墓所をあずかる叔父と話し合って、同日に母方の墓所も改葬する
 ことになりました。 これでもう墓参りで夕張へ行くことはなくなってしまい
 ますが、生まれてこのかた、ほぼ一年に一度行き続けた夕張への墓参りが無く
 なってしまうのは、やはり寂しい限りです。

 今日の午後はネットで専門店を探し出し、祖母が喫っていた刻み煙草を買って
 きました。 本当は「桔梗」が欲しかったのですが、三十数年も前に販売終了
 になっているので、現在唯一の国産銘柄である「こいき(小粋)」を二箱買い
 ました。 明日、煙管とともに墓前に供えたいと思います。



 2014年 8月 22日 (金)
 【 深夜の轟音 】
 20日の午後11時少し前から翌午前2時くらいまで、時ならぬ轟音が数分ずつ何回か響き渡りました。22日道新朝刊に
 よれば、航空自衛隊千歳基地のF-15戦闘機がスクランブル発進したのと、同基地の救難捜索機U-125A(ビジネス
 ジェットの機体を改造したもの)が千歳→利尻→丘珠と病人を救急搬送したのが重なったことによるもののようです。

 私はすぐに何の音か判りましたが、家内や両親には夜遅くに響く雷鳴とも地鳴りとも聞こえる得体のしれない音が、かなり
 不安だったようです。

 ちょうど前日に父と昭和20年7月10日未明の仙台空襲(父はこの頃仙台に住んでいた)の話をしていたのと、17日に
 TVの日曜洋画劇場「少年H」で夜間空襲のシーンを見たばかりで、夜中の爆音に思わず空襲を連想してしまった父は身の
 縮む思いがしたようです。 父は仙台といっても郊外だったので、直接焼夷弾にこそ襲われませんでしたが、火の海と化し
 た地上からの照り返しに浮かぶB-29の爆音には震えが来たといいますから、フラッシュバックが起こるのも無理からぬ
 ことかもしれません。 

 爆音についての記事はごく小さなものでした。冷静に見れば技術的にも統計的にも他の航空機と比較してそれほど危険とも
 思えないオスプレイの飛来についてあれほど大騒ぎをするならば、真夜中に大都市の上を火器を搭載した戦闘機が緊急発進
 しなければいけない事態が現実にあることのほうが、よほど大問題な気もします。(意見には個人差がありましょうが。)

 先日中東から来日した少年が、テレビのインタビューに「日本の空は小鳥が鳴いていて静かだ」と答えていたことがとても
 印象的でした。 私の子供たちの時代にも日本の空は小鳥が飛び交う空であり続けることを心から願いたいと思います。



 2014年 8月 15日 (金)
 【 69年目の夏 】
 今日8月15日はもちろん「終戦の日」。 これで終戦後69年が過ぎました。

 ただ「もちろん」と思っているのは、ある程度以上の年齢の人だけのようで、NHKの番組によれば、20代以下の若者で
 8月15日を「終戦の日」と答えられたのは52%。 若い人の約半分は今日が終戦の日ということを知らないということ
 になります。 中にはどこの国と戦争をしていたかさえ知らない若者がいて愕然とします。

 私の両親はもちろん戦前の生まれですので、二人とも69年前の今日の記憶があります。 特に成人を過ぎていた父は玉音
 放送を聴いた時の言いようのない虚脱感をよく覚えているようです。 私自身は戦後生まれですが、それでも私の世代まで
 は両親や祖父母が直接戦争を経験していますから、身近な人から直接戦争体験を聞いていますが、私の子供の世代になると
 そういう機会もないので、戦争の話もリアリティが感じられないのかもしれません。

 おりしも今年は集団的自衛権の行使について閣議決定がされました。 事の是非については「意見には個人差があります」
 ということになりましょうが、平和はいつの間にか与えられるものではなく、欲して得るものだということだけは忘れては
 いけない気がします。 若い世代の無関心を見るにつけ、つい眉間にシワが寄ってしまう終戦の日であります。



 2014年 8月 7日 (木)

 もう季語には使えないが、わが家の庭の紫陽花。
 地中のPh(ペーハー)で色が変わる・・・んだっけ?
 相変わらず植物の知識は小学生以下である。
 【 暦どおりでは・・・ 】
 今日8月7日は立秋。 暦の上では今日から秋になったことになります。

 「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」は正岡子規で、毎年この日になると必ず
 どこかの新聞や雑誌に引用されますが、今日の北海道は台風くずれの低気圧が
 運んできた膨大な熱エネルギーのおかげで蒸し暑く、空は砂どころか一面厚い
 アスファルトのような雨雲に覆われています。 秋って感じ、しないよなあ。

 そもそも旧暦の中で定めている「二十四節気」は、現在の暦と1カ月近くずれ
 ていますが、最近は温暖化のせいか猛暑が多発するようになって、なおのこと
 季節感がずれてきた感があります。 我が家の庭などアジサイが満開ですし。

 それでもお盆を過ぎれば暑さも一段落。 すぐこの暑さが懐かしくなる季節が
 やって来ます。 そう思えばこの暑さ、楽しめないこともありませんよね。

 最後に同じ正岡子規から一句。 何というかこの句の「寂寥感」が好きです。
 「秋立つや ほろりと落ちし蝉の殻



 2014年 8月 5日 (火)
 【 T先生の思い出 】
 母校・夕張北高校が閉校して20年が過ぎました。

 平成6年3月の閉校時に3人だけ私の在校時からそのままおられる先生がおいででした。 理科のT先生はその中のお一人
 でしたが、先ごろ亡くなられたと伺いました。

 T先生は私の父と登川高校(定時制高校で登川中学校の校舎を使用)で一緒に勤務していたことがあって、車を運転できな
 い父はよくT先生の車に乗せていただいていたものです。 

 昔の国鉄登川線は、久留木付近に踏切がありました。 現在の国道274号は帯広方向に向かって沼ノ沢方面へ向かう分岐
 を過ぎて夕張川を渡ると、そのまま大きく右に曲がりながら緩い上り坂になっていますが、その坂を登りきる辺りの左側が
 その踏切の場所でした。  沢越えしなければならない当時のルートは今よりずっと入り組んだものだったと思います。

 ある日、例によって父がT先生に乗せてもらっているときに、その踏切で先生が全く一時停止をしなかったので「先生、今
 の踏切は止まらないといけないのじゃないか」と尋ねると、先生は平然と「いやあブレーキの調子が良くなくて、あんまり
 止まれないんだよね」と仰ったそうなんです。 父は内心「先生いくらなんでもそれは・・・」と思ったそうですが、今更
 降りるわけにもいかず、そのまま楓までやって来たそうです。

 昔の楓~登川間の道路は今の国道より北側を通っていて、ちょうど石勝線の高架の下くらいのところをピークに小山を超え
 るような地形になっていました。 T先生の車がまさにその頂上を超えたとき、先の夕鉄の停留所にバスが停まっているの
 が見えたそうです。 ブレーキがあまり効かない車に下り坂、しかも間の悪いことに対向車線には母子の歩行者が・・・。
 もはや選択の余地はなく、車はそのままずるずると坂を下ってバスに追突するしかありませんでした。 

 幸いもともと速度を出しておらず、衝突直前にはいくらか減速もしたため、双方の車ともけが人はなく、バス側はほとんど
 壊れませんでしたが、先生の車はラジエータが押しつぶされ盛大に白い湯気が上がって動けなくなったそうです。 ただの
 物損事故で済んだわけですが、気の弱い父には相当怖い体験だったようです。 昭和40年代前半の出来事でした。

 この話には後日談があります。 数年後、私が北高に入学した時にはT先生は理科の担当でした。 細かい経緯は忘れまし
 たが、あれは新校舎が落成した最初の夏・学校祭の頃に私はT先生の車に乗せてもらうことになりました。 私の他はみな
 生徒会の連中で(先生は生徒会の顧問だったんです。)なぜ私がその中にまじったのかは覚えていません。 とにかくあの
 長い坂を下り始めたとたん、先生が「お前たち、しっかり掴まっていろ」と仰るのです。 なぜと問う私たちに先生はこう
 続けました。「物理的に言うとだな、現在この車の制動力と地球の重力は釣り合った状態にある。 即ちこの車はこれ以上
 加速もしない代わり、坂の下まで止まることもできない。 何かあったらぶつかるしかないからな。」・・・。

 一瞬私は親子二代にわたって先生の車で事故に遭うのかと思いましたが、幸いにして脇道から車も出て来ず、無事に下界に
 到着いたしました。 心中では「先生、頼むからブレーキだけは直してくれよー」と思いましたが、それは言葉には出しま
 せんでした。 もうかれこれ40年も前のことになってしまいましたが、あの時のことは今でも忘れられません。

 先生、向こうに車はあるのでしょうか。 もし車を運転なさる機会がおありでしたら、どうかブレーキだけはちゃんと整備
 してくださいませ。  心よりご冥福をお祈り申し上げます。



 2014年 8月 1日 (金)

  生垣の向こうの家は、この後火災で焼失してしまう。
  二十年の歳月はそれなりに永い・・・。
 【 引き出しから一枚 】
 8月になりました。 当初は冷夏と予想されていたこの夏ですが、今シーズン
 の真夏日は昨日まで8日ありまして、これはすでに平年値(1981年~2010年の
 30年間の平均)と同じです。 つまり今日から以降1日でも真夏日があると
 真夏日の日数は平年以上ということになるということで、むしろ暑い夏という
 ことになるでしょう。 全国の天気予報を見ていると最高気温が那覇を上回る
 時もあって、暑さに妙に納得したりしています。

 ちなみに平年値では、札幌は真冬日が45日・降雪量が597cmあるそうで
 寒さも雪もかなりのもの。 以前にも書きましたが、積雪が6mもある場所に
 200万人近くも住んでいる町は、世界でも札幌くらいでしょうね。

 そんな暑さの中、エアコンを掃除したい→机を移動しなければならない→引き
 出しを抜かないといけない・・・という図式で、ついでに引き出しを整理して
 いたら、夕張の実家の畑の写真が出てきました。 日付は1991年8月になって
 いますから23年前になりますね。 先日見てきた荒れ果てた状態と比べると
 大地というのは人の手が入らなくなるとあっという間に原野に還ってしまうん
 だな、と改めて思います。

 それにしても写真というのは、意識して撮ったものより何気なく撮ったものの
 ほうが時間が経って見直したときに感じるものが多いのですね。他にも何枚か
 出てきた写真を見ているもんで、肝心の引き出しの整理が終わらない→机が動
 かせない→エアコンが掃除できない→部屋が涼しくならない・・という悪循環
 に陥っている私です。 







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記