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2014年 9月


 2014年 9月 25日 (木)
 【 数字は冷徹 】
 夕張市の人口が1万人を切ったのは、昨年の8月から9月にかけてのことでした。ちょうど一年が過ぎたことになります。

 今年8月末現在の夕張市の人口は9618人。 男性が4487人、女性が5131人となっています。
 例によって推移をグラフにしてみましたが、多少の浮沈はあるにしろ、相変わらずほとんど一定率で人口が減り続けている
 ことが冷徹な事実として見て取れます。 現在の減少率を判りやすく言うなら「毎日一人ずつ人口が減る」というところで
 しょうか。 この数カ月の間に夕張に住む私の親類も、高齢で二人亡くなりましたが、このままだと高齢化による自然減は
 避けられません。 やはり新たな産業を起こして若い家族に移り住んでいただかないと、そう遠くないうちに「市」の体を
 なさなくなってしまいそうです。 状況は・・・厳しいですね。


      




 2014年 9月 13日 (土)
 夕張岳は「蛇紋岩メランジュ」という非常に特異な地形だそうである。
 【 山影に思う 】
 写真の整理を・・・といっても今や画像データの整理なので
 すが・・しておりましたら、車窓から別のものを撮った写真
 に夕張岳が写り込んでいるのに気が付きました。 山の部分
 だけをトリミングしたのが右の写真です。

 一眼レフではなくコンパクトカメラの写真で、しかもかなり
 古い機種で撮ったものですが、このページの挿し絵程度なら
 何とか使えるみたいです。

 撮影点は国道274号線・三川の陸橋の手前あたりですが、
 この距離からでも夕張岳の特徴的なシルエットははっきりと
 判りますね。 シンボルの二つの頂は、実は地質的には全く
 別の質だそうで、前岳は元々の地表の端の部分、本峰は地表
 が切れて顔を出したその下の柔らかい蛇紋岩の上に固い岩塊
 が浮いている状態なんだそうです。 あの峰全体が蛇紋岩の
 海の上に浮いている氷山ということでしょうか。 なんとも
 壮大なスケールの話です。

 夕張岳が今の姿になるのに何年かかったか、何れにしろ人間
 がふもとに作った町の栄枯盛衰に一喜一憂している時間など
 山にとっては一瞬のできごとなのかもしれません。



 2014年 9月 9日 (火)

 改めて姿を見るとやはり寂しい・・・。 
 墓地そのものはむしろ拡張されているようだ。
 【 ひとつ片付く 】
 新しいお墓への「魂入れ」と納骨が終わり、改葬のほうはようやく一段落しました。
 (と思ったら夕張の親戚の不祝儀で、これから出かけなくては・・・こういうことは
  なにか続くもののようです。)

 真谷地の墓地も先日業者の方から連絡があり、墓石の解体と整地が完了したというこ
 とです。 きちんと完了後の写真も送られてきましたが、生まれてから今までずっと
 お参りしてきた場所ですから、何も無くなった姿はやはり寂しいものですね。

 わが家のすぐ後ろに真新しいお墓が建ったなと思ったら、昨年急逝した私と同じ年の
 幼馴染のお墓でした。 もちろん手を合わせてまいりましたが、この墓所には他にも
 親戚や知人がたくさん眠っていて、来年からはなかなかお参りもできそうにないのが
 また残念です。

 何が本当に供養というものか、今回両親などともずいぶん話し合いましたが、色々と
 考えさせられることの多い改葬の顛末でした。



 2014年 9月 8日 (月)
 【 ギリギリ中秋の名月? 】
 今日は十五夜、中秋の名月を眺めようとススキも団子も用意
 して待っていたのですが、今晩は全道的に下り坂の空模様。
 雲量95くらいで、残念ながら月は冴えわたる月光、という
 わけにはいきませんでした。

 それでも辛抱強く待っていますと、午後11時ごろになって
 数分だけ月が顔を出しました。 デジタル一眼レフの露出を
 マニュアルモードにして勘で撮影したのが右の写真です。

 感度ISO200、シャッター速度1/400、絞りf18 で撮りましたが
 思った以上に満月って明るいんですね。 三脚を構える余裕
 はありませんでしたが、シャッター速度がある程度速かった
 ので望遠レンズを使っても何とか映ったみたいです。

 わずか1~2分の名月でしたが、あとは写真で楽しむことに
 いたしましょう。



 2014年 9月 4日 (木) だ  専門書だけにお値段もけっこうなものだった。
 【 毎年恒例 】
 ほぼ年に一度の放送を、毎年欠かさず見ている番組があります。

 琵琶湖の「鳥人間コンテスト」。1977年の第1回(まだ「びっくり日本新記録」
 という番組中のコーナーの一つだった。)からほとんど欠かさず見ています。

 私はもともとヒコーキ好きでしたし、当初は「記録よりもウケ」だったはずが、年々
 真剣なものになっていき、最近はギネス級のハイレベルな戦いになっていて技術的な
 面でも十分楽しめる水準になっていると思います。 

 最初の頃は滑空機部門で100m、途中から加わった動力機で1000mをいつ越せ
 るのだろう、という状態でしたが、今や前者は500m、後者では36km(!)を
 超す素晴らしい数字を記録するようになりました。例えば市販の滑空機は競技に使う
 本格的なものでも滑空比40~60ほど、つまり番組の離陸点(プラットフォーム)
 の高さ10mがあれば、400~600m先まで飛べるのですが、これらは航空機の
 専門家が設計製作し、高級外車並の価格です。 これと同程度の性能の機体を、素人
 が少ない予算で自作しているのですから、凄いとしかいいようがありません。

 実は20年以上前に、私も参加してみたいと真剣に思っていた時期があり、機体設計
 のための本(写真)を買って勉強したりしていました。 結局やめましたけれど。 

 今年は残念なことに途中で天候が悪化し、動力機の長距離部門の競技が中止になって
 しまいましたが、また来年を楽しみにしていたいと思います。



 2014年 9月 3日 (水)
 この建物を見られるのもあとわずかである。
 【 さよなら郵便局 】
 先日母から聞きつけた時には「本当かな?」と思っていたので
 すが、どうやら本当のようです。 沼の沢郵便局の移転。

 今や藤井菓子店もなくなり、沼の沢駅から踏切側の建物も全て
 更地になっているので、国道の駅側の建物は佐藤呉服店とこの
 郵便局だけになっていました。 

 その郵便局が老朽化のため旧緑小学校の中に移転が検討されて
 いるようです。 今の建物は・・・多分取り壊すのでしょう。

 かつてこのあたりは道路より一段高い土手になっていて、上に
 は国鉄の官舎が何棟か建っておりました。 駅の側から階段を
 登ると井戸があったりして、土手の上のスペースは子供心には
 ずいぶん広く感じだものです。

 それが昭和30年代の最後だったか、40年代の頭だったか、
 今のバス通りの舗装工事と前後して道路と同じ高さまで削り取
 られて今の姿になりました。 鉄道官舎は沼ノ沢の三部に新た
 に二階建ての建物が二棟建てられました。 現在ある郵便局の
 建物もその頃建てられましたから、ほぼ50年が経ったことに
 なります。

 私が最後に郵便局に入ったのはいつだったか・・・小学生の時
 にお年玉を通帳に入れたのが最後だった気がします。 当時は
 定額預金利率が「10年で倍」と言われていたことも思い出し
 ました。(ちなみに元本が2倍になる年数を簡便に計算するに
 は、72を利率の%の数字で割ればOK。 つまり今なら国債
 ですら元金が倍になるのに約120年かる計算に・・・)

 ともあれ郵便局も今や民間企業、新しく建て直す予算はないの
 かもしれませんが、これで街並みがまた寂しくなることだけは
 確かですね。



 2014年 9月 1日 (月)
 【 秋来る 】
 9月になりました。 今日あたりはまだ夏の名残を感じさせる天気ですが、北海道はこれから短い秋が過ぎてあっという間
 に冬がやってきます。 このページも例年どおり今日からは背景色を枯葉をイメージしたこの色に変えてお届けします。

 二十四節気で言えば今月は9月8日が白露(はくろ)、23日が秋分です。 白露は「草の葉に白い露が結ぶころ」という
 意味ですが、旧暦ベースのため現代の季節感とは一箇月前倒しでずれて感じる二十四節気も、本州に比べて秋の早い北海道
 ではこの時季だけ季節感とぴったり合う気がしますね。

 先月のお墓の改葬に続き、今月はいよいよ生家を取り壊しますので、確認もあって、また夕張に行くことになりそうです。
 お墓も新しい墓所への「魂入れ」はまだですので、今月全般は何となく気ぜわしい日々が続きそうな気配です。 

 手がけている曲も数曲あるのですが、そんなわけでなかなか完成に至りません。 東高校の校歌の編曲などは既に着手して
 半年以上が過ぎているのですが・・・・公開の予定があるわけでもないし期限があるわけでもありませんが、どこかで一気
 呵成に作らないと頭の中の曲想もリセットされてしまうので、雪が降る前には仕上なくちゃ、などと思ったりしています。







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音風景・夕張

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