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2014年 11月


 2014年 11月 29日 (土)

 新富良野プリンスホテル敷地内のカフェ「森の時計」。
 【 富良野へ 】
 家族で富良野へ行ってきました。 家族で出かけるのは1年ぶり、富良野
 へとなると13年ぶり、ということになります。 道内の観光地って案外
 行かないもんですよね。

 この季節の富良野は紅葉は終わってしまっているし、スキーはまだだし、
 観光に関しては目玉がない閑散期です。おかげで宿も飲食店もガラガラ。
 「混んでいないと気分が盛り上がらない」という方もおいででしょうが、
 わが家は全く気にしない、というか空いているのは有難いとしか思わない
 ので、すっかり旅を満喫して参りました。

 ドラマ『優しい時間』の舞台となった『森の時計』にも行ってみました。
 観光シーズンにはカウンター席に座るのに1時間待ちになることもあると
 いうこの店も、午後7時前に行くとお客は1組だけ。 その1組も10分
 ほどで帰ってしまい、あとは貸し切り状態で、マスターと世間話をしたり
 して本当に「優しい時間」を過ごすことができました。

 ドラマを見た人の期待に応えようという姿勢は徹底していて、帰ってから
 ドラマの録画と比べてみると、額縁や窓際のカスミ草の花瓶まで寸分たが
 わず劇中と同じにしてありますし、コーヒーミルを渡され自分で挽いた豆
 でコーヒーを淹れてくれるのも画面の中どおりです。 

 ディズニーランドなどもそうですが、やるなら徹底してやらなきゃという
 ことでしょうかね。



 2014年 11月 22日 (土)

 最後の設問が「この図形と同じものを別の場所に描け」。
 脳にとって四角形が五角形になると急に難しくなるらしい。
 ちなみに別のところに描けず、元の図形に接して線を引き
 始めてしまうのはアルツハイマー症の典型らしい。
 【 角が増えると・・・ 】
 高齢化社会が叫ばれて久しいですが、改めて見渡せば私の周囲も高齢者と
 呼ぶのがふさわしい人が多くなりました。

 父親はまもなく九十に手が届きますし、祖母や伯父伯母となると九十台も
 後半です。 もちろんみんな元気なのは有難いことなのですが、そろそろ
 行動言動は怪しくなりつつあります。

 先日ネットで調べていると、万国共通だという認知症の簡便な検査が掲載
 されたページを見つけました。 医療関係の方は「MMSE」と略記する
 この試験をご存知の方も多いでしょう。(実際の設問はこちら。)

 このテストの結果により
  26点~30点 : 正常
  22点~25点 : 軽度の障害
  21点以下   : 重度の障害
 ということだそうです。 特に「7をひく」とか、四角形から角がひとつ
 増えて五角形を描く、というのは脳にとっては難しいことらしいですよ。
 踏み台昇降のような軽い運動をしながら、7の引き算をするのは認知症の
 予防や軽減に効果がある、とテレビで見た記憶もあります。 何れにしろ
 このMMSE、ちょっと覚えておいて損はないみたいです。

 なお父にこの試験をやらせたら満点でした。 普段から二言目には「俺は
 もうダメだ」と弱音を吐いている割に大丈夫じゃん、全然。
 (だいたい今でもすでに長生きしてる部類なんだからさ・・・。)



 2014年 11月 19日 (水)


   1991年夏撮影の本町・喫茶「木馬」。  この頃はすでに閉店していた。
   奥には「グレース」の看板も見える。 更に奥の画面外右手には「コンパ」が・・・。





  ちょうど「藤の家」の前あたりから見た夕張商工会館。  今は更地になっている。
  右下のシャッターを開けると油をひいた木製床のホールがあった。
  夕張の「ライオンズクラブ」って、ここが事務所だったんだな・・・。

 【 「幸福の黄色いハンカチ」の頃 】
 テレビなどで伝えられている通り、俳優の高倉健さん
 が亡くなりました。 心からご冥福をお祈りします。

 夕張と高倉健さんの縁と言えば、言うまでもなくあの
 「幸福の黄色いハンカチ」です。 公開は1977年
 夕張でのロケは前年の1976年だったと思います。

 前にこの欄で書きましたが、私はロケの時に高倉さん
 を至近距離で見かけたことがあります。 場所は本町
 の喫茶「木馬(右上写真)」の店内で、76年の夏の
 ことでした。 

 大学の夏休みで帰省していた私は、お盆の「黒ダイヤ
 祭り」での吹奏楽演奏のため、毎日本町二丁目十字街
 から坂を登った商工会館(写真右下)のホールを借り
 て練習しておりました。 10日間くらいの集中練習
 だったと記憶しています。

 商工会館は、急坂を挟んで向いが先年閉店したカレー
 蕎麦で有名な「藤の家」、梅が枝通りを挟んで向いが
 喫茶「木馬」という立地です。 ホールは木造で床も
 昔の学校のように油をひいた木製だったので、意外と
 響きは悪くありませんでした。天井高が低いのが難点
 でしたが、ちゃんとステージも備えていました。

 そんな場所ですから、昼食は「藤の家」で蕎麦を食べ
 るか、「木馬」でピラフなどの軽食をとるかでした。
 大体はそれらを交互に食べていたと思います。 

 何日目だったか、先に昼食に出ていた先輩のKさんが
 「木馬に高倉健が来てる!」とちょっと興奮しながら
 戻ってきました。 急いで且つ静かに「木馬」のドア
 を開けてみると、入り口近くのカウンターに高倉さん
 が座っていました。 連れの男性も一人いましたが、
 スタッフの方だったのか、マネージャーだったのか、
 今となっては判りません。 ただ普段は私達のたまり
 場だった「木馬」の中の空気が、その時ばかりは異様
 に緊張していたのを覚えています。 

 あれから38年が過ぎました。 私が実際に高倉さん
 の姿を拝見したのはその時が最初で、そして昨日伝え
 られた訃報によって最後ということになってしまいま
 した。「木馬」は閉店して久しいですし「商工会館」
 もずいぶん前に取り壊され更地になっています。

 映画に登場した場所はずいぶん様変わりしました。
 地形ごと変わってしまった場所もあります。 しかし
 だからこそスクリーンの中の夕張の姿が、より生き生
 きと見える気もするのです。

 創設されたばかりの日本アカデミー賞で最優秀作品賞
 をはじめ8賞を独占した「幸福の黄色いハンカチ」が
 描き出すあの頃の夕張の姿を、名優高倉健さんの記憶
 とともに、永く心にとどめておきたいと思います。



 2014年 11月 17日 (月)
 【 シューパロダム満水 】
 試験湛水(しけんたんすい:完成したダムを満水にして行う試験)中のシューパロダムが、ついに満水になったようです。

 著作権の問題もありますから写真の転載は控えますが、ダムを満水にして強度や漏水のチェック・ダム湖周囲の地盤の確認
 などを行うこの試験、緊急時以外はめったにお目にかかれない水位まで水を溜めるのでダム湖の面積も最大。 今まで長く
 親しんできた建築物もあちこちで水面下になっているようです。 何しろ面積は国内2位という規模ですから。

 先日「夕張の杜コンサート」で紹介されていましたが、上流部を利用し、ラフティング(大型ゴムボートでの急流下り)や
 カヌー体験もできるようになるとのこと。 せっかく出来た広い湖面、寂しがっているばかりではなく観光資源として活用
 されるといいですよね。

 実は私、完全なカナヅチのくせにカヌー歴20年以上。  カナディアンカヌーもファルトボート(組立式のカヤック)も
 持っております。 艇を降ろすポイントを確認して、いつか乗ってみようかな。 



 2014年 11月 11日 (火)

     紅葉山の「道の駅・夕張メロード」にて。
 【 なかなか美味です。 】
 11月も早くも1/3が過ぎ、今日はもう11日なんですね。

 数字の1が4つ並ぶ日ですから、きっと数字関連の記念日か何かになって
 いるんじゃないかと思って調べてみたのですが・・・あるもんですね。

 まず「1111」ネタだと「麺の日」。 これは形を見たまんまですね。
 もうひとひねりしたのが「電気配線の日」。 コンセントの差込口の形に
 見えるからだそうです。 さらにひねった「電池の日」というのもあって
 こちらは「十一月十一日」がプラスマイナスに見えるから、ということで
 すと。 いろいろ考えるものですね。

 話は変わりますが、1日に夕張に行った帰りに、道の駅「夕張メロード」
 で「たんどら」というお菓子を買ってみました。 車好きな私はカタカナ
 の「タンドラ」(トヨタの北米向けトラック)を連想してしまいますが、
 こっちの「たんどら」は多分「石炭どら焼き」からのネーミングなんです
 よね。 名前通り外皮が黒いどら焼きであります。

 実は初めて食べたのですが、これがなかなか美味しい。 皮がしっとりと
 していて食べやすい(口の中の水分をとられちゃうような物もあるので)
 ですし、中身も小豆・かぼちゃ・チョコレート・メロンの4種類あって、
 どれも甘過ぎず美味しいです。 値段はどれも1個185円。 私の両親
 などは「大きすぎる」というくらいボリュームがあります。 ネット販売
 はしてるのかな? みなさんも機会があったら一度ご賞味あれ。



 2014年 11月 8日 (土)

   わが家の庭も冬囲い。 
 【 冬囲いで思い出した・・・ 】
 昨日の立冬も過ぎ、北海道はいよいよ冬に向かって一直線・・という季節になりました。

 我が家の庭も冬囲いの時季(といっても私は全然手伝ってませんが)で、母が毎日少しずつ
 作業を進めていますが、冬囲いに使う縄を見て思い出したことがあります。

 数十年前、北高の現代国語の授業で教科書を朗読しなさいということになりました。それも
 ただ音読するのでなく、噛んだり誤読したりしたら次の人に代わるというルールで、です。
 「誰が一番長く読めるかな」という、まあありがちなシチュエーションですね。

 窓際の前の席から順に読むことになりました。 教材は教科書に抜粋が載っていた横光利一
 の「蠅」です。 ・・・勘のいい方はすでにオチが見えてると思いますが。 そう、トップ
 バッターのI君はタイトルを読む第一声で「なわ」・・・って。 クラス中が大爆笑に包ま
 れたのは言うまでもありません。 いくら何でもまさか最初の一文字で、とはねえ。

 ちなみにこの「蠅」、教科書には最初のほうしか載っていなかったので結末が気になって、
 大学時代に通しで読みました。 物語は一匹の蠅が馬の背にとまるところから始まります。
 馬は乗合馬車用で、馭者の老人は「子供が危篤だから早く出発してくれ」という母親の願い
 にも耳を貸さず、いつも通り蒸しあがった饅頭を食べてから馬車を出します。 他にも駆け
 落ち中の男女やら小金持ちやらを乗せた馬車は、饅頭を食べて居眠りをしてしまった馭者の
 せいで崖下に転落。 後には蠅だけが何事もなかったかのように空を飛んでいた、という話
 だったと思います。(あらすじは私の記憶ですので不正確かもしれません。ご容赦を。)

 今考えれば、この作品を教科書に載せた意図が今一つ不明ですが、教科書に載せるにしては
 ずいぶんやりきれない結末ですよねえ。 「高校生ならそろそろ世の無常さも考えなさい」
 ってことだったのかも知れませんね。

 最後に。 調べてみると「蠅」という漢字の右の部首は「爬虫類の形」で「よじれて飛ぶ」
 という意だそうです。 そうすると「縄」も糸をよじって作るから、なのかな? 解字的な
 観点からいえば、I君の読みも全く離れているわけではない・・・みたいです。



 2014年 11月 1日 (土)


 【 山の姿は変わらねど・・・。 】
 今朝から取り壊した生家の跡地の確認のため夕張に行っていました。

 私が生まれた以降だけを数えても半世紀以上そこにあった家が、ただ
 何もない空き地になってしまったのを眺めるのは、何とも言えず寂し
 い経験でした。 

 予定では家の確認を済ませたら、とんぼ帰りで自宅に戻るはずだった
 のですが、実はちょっとばかりハプニングがありました。

 先日他界した親類の家に、お参りをさせてもらおうと訪ねたところ、
 高齢の一人住まいとなった親類が「ゆうべ家の中で転んて手が痛い」
 というのです。 患部を見るとものすごく腫れていて、どうみても骨
 に異常が及んでいるように思えます。  土曜の午後ですから病院の
 診療は終わっているはずですが、いちおう市立診療所に電話してみま
 した。 

 そこで私が驚いたのは「市立診療所にはレントゲンがない」、という
 事実でした。 「最寄りのレントゲンがある病院は岩見沢です。」と
 のことです。わが家の車で岩見沢まで往復してきたことは言うまでも
 ありません。(親類の手首の骨にはやはりひびが入っていました。)

 この事態を批判するつもりはありません。(重箱の隅をつつくなら、
 「その岩見沢の病院の電話番号を教えてください」と聞いたら「判ら
 ないので消防に聞いてください」と言われたことだけは改善の余地が
 あると思いますが・・) 限られた予算と人員で継続的に医療を行お
 うと思うとこうならざるを得ないのか、という現実を実体験したとい
 うお話です。

 親類の家からは数日前の初雪が残る鬼首山が望めます。  山の姿は
 昔も今も変わりませんが、麓の町の様子は人がいなくなってずいぶん
 変わってしまったようだなあ、と自宅に戻って更地になった我が家の
 ビデオ映像を見ながら、改めて思った次第です。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記