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2014年 12月


 2014年 12月 29日 (月)


 わが家は人力で積み上げるのは難しいくらいの積雪量になった。
   
 【 年の瀬 】
 今年もいよいよ残すところあと二日と少しになりました。

 昨日から少し落ち着きましたが、この冬は暖冬傾向という当初の予報が
 外れて、寒さも雪も厳しい日が続いています。

 雪はその無垢を象徴するような色彩や、無音で降り積もる様などから、
 絵画や詩歌で取り上げられるときには、ロマンティックに描かれる場合
 がほとんどです。

 手元の啄木の詩集にある「雪の夜」(「小樽にて」という連作の一つ)
 という詩もこう始まっています。

   音なくともる燈火の
   光ほのかに筆凍る
   師走なかばの夜はふけて
   戸外は雪のつもるらむ


 小樽の冬のイベントとして定着した「雪あかりの路」が、この詩を意識
 したかどうか定かではありませんが、イメージとしてはまさにこの詩の
 とおり。 やっぱりロマンティックですよね。

 で、現実はというと我が家の庭は現在こうなっておりまして、ロマンの
 かけらもありません。 
菜園のスペースに積み上げた雪が限度に達する
 と一旦雪を奥に移して・・を毎年繰り返すのですが、ふつうこの作業は
 雪が増える1月の中旬から始まります。 今年は一昨日に雪を移さなけ
 ればなりませんでした。 地元の人間には雪は「仇敵」ですよねえ。 

 今年も駄文を書き連ねてまいりましたが、年内の更新は、たぶん今日が
 最後です。 今年もお付き合い下さいましてありがとうございました。
 みなさん、よいお年をお迎えください。



 2014年 12月 24日 (水)

  
   
 【 クリスマスイブ 】
 身内に不祝儀があって数日間家を留守にしていたりで、この欄も更新が
 滞ってしまいましたが、今日はクリスマスイブ。 今年もいよいよ残り
 1週間となりました。 時間の経過が年々加速する気がします・・・。

 テレビを見ていたら、エンドロールに船舶が使う「国際信号旗」が出て
 いました。 帆船時代から現在までマストに掲げて海上での通信に使用
 していたものです。

 おもしろいので私もやってみました。
 お時間に余裕のある方はこちらを見て平文に直してみてくださいませ。



 2014年 12月 13日 (土)


  ざっと年間1万アクセスってこと?
   
 【 44年を遡る 】
 おかげさまで、このHPのアクセス数がまもなく70000を迎えます。 さきほどカウンター
 を確かめたら「69873」、調べてみるとこの数字は、1970年(昭和45年)の夕張市の
 人口:69871人とほぼ同じです。 数字上は当時の夕張市民全員に一度は見ていただいた、
 という勘定になりましょうか。 毎度ご覧いただいている皆様には改めて御礼申し上げます。

 この数字を今年1月1日時点での道内各市町村人口(住民基本台帳ベース)と比較すると、単一
 市町村で一番近いのは恵庭市の68893人です。 空知では岩見沢市が87284人ですから
 当時の夕張よりは少し多いかな。 驚いたのは稚内を含む宗谷支庁が全部足しても69528人
 しかいないこと。 ピークを過ぎたとはいえ、70年当時の夕張では、まだまだ狭い谷間に人が
 ひしめいていたんだなということが改めてわかりました。

 夕張市の人口は11月末で9461人。 近隣の栗山町や長沼町は人口1万人を超えているので
 隣町より小さい「市」ということになります。 起死回生の一策・・・が簡単に見つかるくらい
 なら、とうの昔にやっとるわ、ということは私も充分判っておりますが、それでも来年こそ故郷
 の再生が進展することを、師走に入って願っているところであります。



 2014年 12月 9日 (火)



「風と共に去りぬ」のオリビア・デ・ハビランドは
このデ・ハビランドの一族だったと思う。

   
 【 またひとつ昭和が・・ 】
 道新にも記事が載りましたが、札幌狸小路の「中川ライター店」が来月末で閉店するそうです。

 私たちはプラモデル世代ですので、「中川ライター店」は名前通りの喫煙具の専門店としてでは
 なく模型店、特に飛行機関係の模型が豊富だったイメージがあります。天井から吊り下げられた
 大型の飛行機の模型がその印象を強くしていました。

 私の祖父もここの常連で、それはヘビースモーカーだったこともありますが、幼い私を喜ばせよ
 うと(半分は自分が好きだっただけかもしれませんが)、アルコールで作動する蒸気機関の模型
 を買ってきたこともあります。 真谷地を引き払うときに祖父の家をずいぶん探したのですが、
 この模型はとうとう見つかりませんでした。  記憶を辿れば真鍮でできたボイラーがあって、
 今思えばあれはワットの蒸気機関を模したものではなかったかと思うのですが、フライホイール
 や機構学の教科書に必ず出てくる「ワッツリンク機構」を備えた相当本格的な物でした。 見つ
 けられなかったことはとても残念です。

 私自身は小学校の3・4年のあたりから、夏休みや冬休みになるとこの店に来ては飛行機のプラ
 モデルなんかを買っていました。 今も残る「タミヤ」のほか、「ハセガワ」「レベル」などと
 いう飛行機の模型を得意とするメーカーがあって、「ホーカー・シドレー」やら「ユンカース」
 「メッサーシュミット」などの戦闘機から「二式大艇」「アルバトロス」など大型の飛行艇まで
 ずいぶん作った気がします。(「アルバトロス」は、先日TVで映画「エクスペンダブルズ」を
 見たら、スタローンが乗っていて思わず「おぉ!」と声が出そうになりました。)

 閉店の話を聞いて、久しぶりに狸小路に足を運びました。 ウグイス色にペイントされた入口の
 木製のドアも、バルサ製の大型の飛行機模型が吊るされた店内も、昔と全く変わっていません。
 まるで数十年前にタイムスリップしたかのようでした。 数十年前は小中学生の姿も多かったの
 ですが、今や客層も私自身と並行して高齢化したようで、店内がオジさんばかりになったのが、
 唯一昔と違うところです。

 昭和元年生まれだという店主に「子供の頃から来ていた」と告げると「残念だがもう限界です」
 と話されていました。 やむを得ないこととはいえ、記憶の中の昭和がまたひとつ消えるようで
 とても寂しく思っています。

 記念にプラモデルをひとつ買い求めました。 「タミヤ」の「デ・ハビランド・モスキート」、
 大戦中に並外れた高速を利してバトル・オブ・ブリテンを戦った全木製の双発戦闘機の1/72模型
 です。 あの時代にあえて全木製という、イギリスの木工職人の伝統にかける意地を見るような
 飛行機が、113年の歴史を閉じる店から最後に買うひと品として相応しい気がしたもので。

 この最後のプラモデル、きっと組み立てずにとっておくことになるでしょう。



 2014年 12月 7日 (日)
 【 他にも出演者が 】
 いつもここを読んで下さっている方には、頷いていただけるかもしれませんが・・・。
 新聞記事に「夕張」の二文字があると、つい読んでしまいます。 テレビ欄でも「夕張~」とあると一応は見てみます。 見られない
 場合は録画します。 いや最近はむしろ、中でいつ夕張が登場するか判らないニュースなどは録画して早送りで見るほうが多いかな。

 何日か前にも、夕方の番組で高倉健さんと道内の映画ロケ地の思い出を紹介するコーナーがあったので、録画しておいて先程ようやく
 見ました。 先日『幸福の黄色いハンカチ』に、ほんの一瞬だけ私が映っているという話をしましたが、この録画で本町の「吉野家」
 のご主人が映画に登場していることを知りました。 もちろん私のように偶然写り込んだわけではなく、ちゃんと登場しています。

 映画が始まって1時間17、8分あたり、健さんが妻の妊娠を知り、お祝いの酒を手に乗用車(510系ブルーバード)の助手席から
 降りてくるシーンがありますが、この車を運転しているのが、本町の蕎麦店「吉野家」のご主人なんだそうです。 この1カットだけ
 のために3時間車の中にいたそうですから、かなり本格的な登場ですね。 私はこの場面、車だけは印象に残っていたのですが、そう
 いう裏話は今回初めて知りました。 あの有名な某映画評論家の台詞ではないですが、いやあ映画ってホントに面白いですね。



 2014年 12月 4日 (木)


「花とシネマのドリームランド(北稜中跡)」にて。
今はこの背後に吉永小百合さんの桜がある。

   
 【 ぶどうのなみだ 】
 もう上映期間は終わってしまいましたが、少し前に映画『ぶどうのなみだ』を見てきました。

 大半が岩見沢のワイナリーでのロケで撮られているこの映画、「ピノ・ノワール」という種類の
 葡萄でワイン造りに挑む、難聴でオーケストラの指揮者を諦めた過去を持つ男と、キャンパーに
 乗って現れた謎の旅人の女性が織りなす物語です。

 この映画を見てみようと思ったのは、舞台が北海道だった(劇中では「空知」としか出てきませ
 んがロケ地は岩見沢ICの近く)こと、映画CMで使われた「カヴァレリア・ルスティカーナ」
 間奏曲が好きだったこともありますが、例の女性の旅人が乗ってくるキャンピング・トレーラー
 に興味を惹かれたからです。

 実はもう15年ほど前になりますが、同型車を私も持っておりました。 実際に映画を見て確か
 めてみましたが年式は私のほうが古いものの、やはり同じ車でした。 乗用車と比べればかなり
 希少な車ですし、外国映画ではともかく邦画にこの車が登場するのはたぶん最初で最後かもしれ
 ないので、これはスクリーンで見ておこうと思ったのです。

 今は休止中の石炭の歴史村のキャンプ場をはじめ、財政破たん前の夕張にはキャンパー好適地が
 けっこうありまして、夕張に帰って曲を作っていたこともありました。 今は閉鎖となっている
 「花とシネマのドリームランド」なんかも絶好の場所だったんですが残念です。 まあ当時から
 ほとんどお客さんが来ていなくて、逆にそれがこちらにとって都合がよかったわけですから、閉
 鎖はやむを得ないところですけれど。 

 実際にその土地に住んで毎日暮らしていると、まわりの景色など改めては見ないものですよね。
 「旅人」だからこそ新鮮に映る景色もあるわけで、私もこの頃に夕張を再発見した気がします。
 おかげで、谷底から夕闇に沈んでいく歴史村の大観覧車と紅葉の高松の家々、雪解け水を湛えた
 早春のシューパロ湖の静謐な夜明け・・・今ではもう見ることができない風景をたくさん見るこ
 とができました。 思い出すに落涙を禁じ得ません。

 『ぶどうのなみだ』とは、収穫前の葡萄の実に結ぶ朝露のしずくのことだそうです。 つまり、
 この涙は何れ生まれ来るワインへの前奏です。

 願わくばこの数年故郷が流した涙がいつか実を結び、芳醇なワインとならんことを。
 (今日はちょっとキザだったな・・・)



 2014年 12月 1日 (月)
 【 映画初出演?? 】
 とうとう今年も師走を迎えました。 今のところ周囲には全く雪がありませんが、北海道の先11月の降雪量は平年の僅か35%で、
 これは記録が残っているこの54年間で5番目に少ないそうです。  私たちは楽ですが、スキー場は苦労してるみたいですね。

 さて前々から思っていたことがひとつあります。 それは先日テレビでも放映された『幸福の黄色いハンカチ』についてのことなんで
 すが、どうも私、この映画に出演(?)していると思うんです。

 何しろ一瞬なので、今まではDVDも録画も持っておらず(古いアナログ放送の録画では不鮮明過ぎて・・。)確認できていなかった
 のですが、今回デジタルリマスター版がノーカットで放映されたので、しっかり録画して確かめてみたのです。

 で、目をつけていたシーンをコマ送りにしてじっくり見たのですが・・・・やっぱり私だと思うんですよね。 

 問題のシーンはラスト近く、車で主人公たち3人が夕張市内を走るところで、栄橋(昨年雪で倒壊した美術館=元ボーリング場が左手
 に見える)
2丁目十字街(カレー蕎麦の「藤の家」の看板が見える)拓銀夕張支店や一茶庵(手打ち蕎麦)のある踏切三津野
 楽器がある上の通り
炭鉱病院前の踏切を渡る・・と進む場面なんですが、その炭鉱病院前の踏切を車で渡るカットで生協の店舗の前
 に立っているのが私ではないかと思うんです。 黒っぽいシャツに白のジーンズの人物ですね。 カット後半で親子連れが通り過ぎた
 直後をよく見ると、サングラスもかけているように見えます。(その場面の画像もお見せしたいのですが著作権がありますのでね。)

 この間も書きましたが、当時私は吹奏楽の練習のため毎日夕張駅(もちろん旧駅舎)から本町の商工会館まで歩いていました。 ある
 日、件の踏切まで来ますと炭鉱病院の角のあたりに映画のクルーがいて、メガホンで周囲の通行人に何か叫んでいるところでした。 
 何となく踏切を向こうに渡ると撮影の邪魔をするような気がして、ほんの数分ですが店先に立ち止っていた記憶があります。 赤い車
 が通り過ぎた記憶は全くありませんが、その時は濃紺のシャツを腕まくりし、白のベルボトムのジーンズに踵が高めの靴とサングラス
 という服装だったはずなので、映像と私の記憶はピッタリ合致するんです。 

 まあ40年近く前の記憶ですから、信頼度は?でこれ以上確認のしようもありませんが、とりあえず自分の中では「アカデミー賞作品
 に出演した」という整理にしておこうと思います。 こういうの、言ったもん勝ちだしね・・・。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記