ムソルグスキー作曲のピアノ組曲「展覧会の絵」は、原曲よりもラヴェル
がオーケストラ編曲したもののほうが有名です。 原曲と聴き比べても、
多彩な曲想は、ピアノ一台よりも大編成のオーケストラによって生きてく
るという印象はあります。
「展覧会の絵」はムソルグスキーの友人である画家で建築家のハルトマン
の絵にインスピレーションを得て作られた曲です。 ラヴェル編曲版なら
トランペット・ソロで演奏される「プロムナード」から始まる組曲の最後
はオーケストラのテュッティ(総ての楽器が鳴る)による「キエフの大門」
で締めくくられます。 大径のゴングまで使う壮大なエンディングです。
「キエフの大門」に相当する門は実はキエフに実在しません。 あくまで
右写真のハルトマンの絵がモチーフのようです。
改めてキエフ市内の画像を見てみると、壮麗な建物がいくつもあります。
歴史的価値がある建物も多い美しい街です。
そのキエフはご承知のように、いま戦禍に巻き込まれています。 暴挙と
しか言いようのない愚行です。 ムソルグスキーはロシア人、しかも陸軍
士官学校出の将校(教科書に載っている彼の肖像画は亡くなる直前に病院
のガウンを着て描かれたもので、実際の彼はエリート然としたカッコイイ
人だったようです)でしたが、果たしてこの事態を望んだでしょうか。
今日は2月26日。 86年前の「二・二六事件」は陸軍のクーデターで
すが、実は海軍も動き出していました。 翌27日には東京湾に集結した
海軍第一艦隊は、旗艦「長門」以下、主砲の照準を反乱軍が占拠する都内
各地に合わせていたそうです。 実際には発砲しなかったものの「多少の
犠牲はやむなし」としたこの作戦、大口径の戦艦の主砲を直接標的が視認
できない遠距離から市街地目がけて打ち込むわけでしょ。 周辺の犠牲者
が「多少」で済むわけない、と誰でも思いませんか・・・。
いつの時代でもどこの国でも民間人に犠牲が出ない戦闘などあり得ない。
為政者も軍人も、人の命を損失率でしか見ていないのでしょうね。
さきほどラヴェル版「展覧会の絵」を全曲聴きました。「キエフの大門」
が奏でる輝きに満ちた未来が、どうか彼の地に訪れますように。
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