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2010年 8月


 2010年 8月30日 (月)
 【 新記録 】
 今日は全道的に気温が上がり、各地で真夏日を記録しました。 中でも札幌は、記録がある1945年
 以降のこの時期として最高の34.1℃に達し、同時に今シーズンの最高気温の記録も更新しました。
 今夏はこれで17日目の真夏日だそうで、こちらも15年ぶりの記録だそうです。 確か気象台の長期
 予報じゃ今年は冷夏だと言ってた気がするんですが、大ハズレですよねえ。


 「札幌は約10km四方の街なので、大気が1万mあたりまであるとすれば、一辺10kmの立方体と
 考えられる。 その限られた立方体の中で百数十万人からの人間がエネルギーを使い、しかも南西側を
 屏風のように藻岩山や手稲山に遮られている。  これでは気候が変わるのも当然で、熱汚染やヒート
 アイランドといった問題を考慮しなくてはいけない時期に来ているのではないか。」


 これ、最近の新聞記事の引用ではありません。1978年、つまり今から32年も前に私が偶然聴いた
 北大工学部(熱力学)の斎藤武先生の講演の内容です。 熱汚染やヒートアイランドという単語を耳に
 したのもこの時です。 人間がもたらす気候変動の危険は、既にこの頃から指摘されていたんですね。

 あれから30年以上。 あの時代でも既に判っている人には判っていたのに、結局誰も根本的な対策を
 打たないまま、ここまで来ちゃったんだよなあ・・。 上昇し続ける温度計のデジタル表示を見ながら、
 ついそんなことを考えてしまいました。


 そうそう、「暑い日」がらみで先日「へ~」と思った話をひとつ。 英語で「うだるような暑さの日」
 を「dog days」と言うのですが、私は「犬が舌を出してぐったりするくらい暑い日」ということからの
 言い回しだとずっと思っていたんです。 先日見たクイズ番組で、実は「星座の大犬座が天頂に巡って
 来るのが盛夏の頃であるから」というのが理由だと知りました。 こっちも30年以上の勘違いです。
 まあ、こちらは間違って覚えていても地球温暖化ほどの害はありませんけれど・・・。



 2010年 8月27日 (金)
 【 絵文字は好きですか。 】
 姪とメールをやり取りすることがあります。 姪は今の時代の子ですから、文面にはときどき絵文字が
 使ってあることがあります。 私が相手なのできっと遠慮しながら使っているかもしれません。

 私もメールはよく使いますが、絵文字や顔文字は一度も使ったことがありません。 
 昨晩見たNHKの番組によれば、絵文字には文字で表しにくい自分の感情を相手に伝えるための配慮が
 ある、ということだそうですが、私はやはりその部分も文章で表現したいと思っていますので、この先
 もたぶん使わないだろうと思います。 こうなると単なる片意地ですね。 もちろん使う人の雰囲気や
 年齢とのバランスもありますから、今さら私が (^O^)/ やなんてのを文末につけてメールしたら
 さぞや相手の方も不気味だろうと思いますが・・・。(あ、意見には個人差があります、念のため。)

 高校時代に古文で「米洗う 前
蛍が 二つ三つ」という句を習いました。 ここがであることでこの
 蛍はどこかから来て目の前を通り過ぎて行きました、という意味になります。 もしここがだと、蛍
 はどこかから来て今ここに留まっている、になりますし、だったら句を読む前からそこにいたニュア
 ンスになります。 さらにだと、ただ留まっているだけでなく、蛍が何かをしている、という意味に
 なります。 このようにわずか一文字の差で意味を変えてしまうところは、日本語の難しさでもあるの
 ですが、同時に俳句や和歌のような文化も生んだわけで、私も何とか文字だけで自分の伝えたいことを
 表現できる「日本語力」を身につけたいもんだと思うんです。 まあ始終失敗しているんですけど。

 だけど、そうやって文字や文章をひねくりまわしているほうが、そう遠くない将来のボケ防止にもなる
 かな、などとつい考えてしまう自分は・・・やっぱりちょっと嫌だよなあ・・・。



 2010年 8月23日 (月)
 【 作業追い込み 】
 雨のおかげで昨日までの異常な暑さが和らぎ、編曲の作業に集中できるようになりました。 なにしろ
 注意していないと鍵盤の上に汗が滴り落ちてくるので・・・生のピアノと違いシンセサイザーの鍵盤の
 下は電子部品ですから・・・暑さそのもの以上に気が散ってしょうがなかったんです。

 残る「のぞみ小学校(紅葉山)」と「滝の上小学校」は既にメロディ入力とコードを振るところまでは
 終わっていますから、これから一気に作業を詰めたいと思ってます。

 そういえば、この雨のせいか珍しいできごとがありました。 家内に大声で呼ばれて、何事かと思って
 行ってみると、押し入れの戸を開けた所に胴体だけで3cm以上はあろうかという立派なカエルが・・。
 空になったお味噌のパックを使って何とか捕獲に成功し、庭に放しましたが、四半世紀以上住んでいて
 庭でさえカエルを見た記憶はありませんし、周辺に水辺もありません。 我が家は一階が車庫なので、
 窓も地面からはかなり高さがあります。(網戸付きだし。) どこからどうやって入ったのか、未だに
 謎であります。 それにしても家内があんなにカエルが苦手とは知らなかった。 今度めんこくないこ
 とを言ったら、カエルを投げつけてやろう・・・。



 2010年 8月19日 (木)

  空から見た沼ノ沢。 緑小の左上に白く大きく見えるのは「アクリフーズ」の
  夕張工場。  こうして見ると相当大きい工場なんですね。
 【 ゆうこちゃんの橋 】
 緑小学校校歌の編曲が終わりました。 作業予程から4日遅れ。 この前
 の若菜中央小学校が終わった時点で2日遅れだったので、少し遅れが増え
 ましたが、これなら何とかいけそうな気がようやくしてきました。

 さて、先日その緑小学校をGoogle--Earthで眺めていてふと思い出したのが
 右の写真の黄色で囲んだ部分、夕張川に架かる一本の橋のことです。 

 地元で「ゆうこちゃんの橋」と呼ばれているこの橋は、小学生の女の子が
 時の北海道知事に宛てた一本の手紙によって架けられました。 私も正確
 な記憶がありませんが、昭和40年代終わりから昭和50年代初めくらい
 のことだったと思います。

 当時写真の夕張川の左側から沼ノ沢小学校へ通うには、ワイヤーを手繰る
 渡し船に乗らなければなりませんでした。しかし天候や川の水量によって
 は渡し船は危険で、時には紅葉山まで迂回しなければならなかったんです。
 そこで一人の小学生の女の子が当時の知事(確か堂垣内知事だったと思い
 ますが)に「橋をかけてください」と手紙を書きました。 

 これが実現し、夕張川に本当に橋が出来たわけです。 ですから、今でも
 この橋は「ゆうこちゃんの橋」と呼ばれています。 橋が完成した後には
 私も何度か渡ってみましたが、幅こそ狭いものの立派な橋です。

 今思えば堂垣内知事は土木工学を専攻されていたはずなので、関心が向き
 易かったのかもしれません。 この橋が今も通行できる状態かどうか判り
 ませんが、せっかく思い出したので今度折を見て訪ねてみようと思います。



 2010年 8月15日 (日)


  
  
 【 カーキ色のスタインウェイ 】
 スタインウェイといえば、ベーゼンドルファーと並んで世界有数のピアノのメーカーとして
 知られています。 明るく輝きのある音質で、コンサート用として備えているホールも多い
 と思います。

 先日、そのスタインウェイが第二次大戦中、前線慰問用としてカーキ色(日本では国防色と
 呼んでいたくすんだ緑色)のアップライト・ピアノを作ったことを初めて知りました。 
 
 その数2400台。 カーキとかオリーブドラブなどと呼ばれるこの色は、もともと野戦で
 草木などに紛れて発見されにくくするための保護色です。 ですからいくら軍用とはいえ、
 ほとんど屋内でしか使われないピアノをあの色に塗ったところであまり意味はありません。
 
 それでもわざわざピアノをカーキ色にしたのは、その楽器が国策に沿って使われていること
 を強調したかったからではないでしょうか。

 このピアノを使って演奏されたジャズやカントリーは、たぶん人の心を豊かにするために演
 奏されたわけではないでしょう。兵士を鼓舞し、再び戦いへ駆り立てるための音楽・・・。
 音楽としては同じ曲でも、使われ方によっては武器と同じ戦の道具になってしまう。 黒で
 はなくカーキ色に塗られたスタインウェイは、楽器としての中身は同じでも違う目的のため
 に使われるという、そういう事を象徴的に表しているように思えてなりません。

 今日は8月15日。 この日がどういう日かは申し上げるまでもないでしょう。
 願わくば、ピアノがカーキ色に塗られるような未来が決して訪れないことを、心から祈りた
 いと思っています。



 2010年 8月13日 (金)


  9日の欄で紹介しきれなかった
  ツムラ夕張工場の写真。
  4月から見るとずいぶん工事が
  進んでいます。
 
 【 お盆真っ盛り 】
 暑い日が続いております。 それも夏らしい青空と強い日差しではなく古くなったビニールハウスの中
 にいるような濁って淀んだ暑さです。

 家内の家の墓参りがあったり、親戚の出入りもあるのでお盆はどうしても忙しくなってしまいます。 
 明日は子供も東京から帰ってくるので、まだしばらくの間は普段のペースを取り戻せそうにありません。

 校歌のほうは緑小学校の校歌が2/3ほどまで進みましたが、だんだん作業の遅れが大きくなってきて
 います。 なにしろ作業の時間がとれていないので遅れるのは当然なのですが、これから気温も下がり
 環境も良くなるので、一気に遅れを取り戻したいところです。
 
 そうそう、前回(9日)の日記で紹介しきれませんでしたが、「ツムラ」夕張工場の建設工事はだいぶ
 進んだようで、元の地面を一面に掘り下げて大きな建物が姿を現しました。 薬草の栽培が成功すれば
 雇用の創出にも繋がるでしょうし、新しい産物が生まれるかもしれません。 期待したいと思います。



 2010年 8月9日 (月)

  天井が高くいい雰囲気です。



  鹿肉のハンバーグ(¥1600)
  料理だけでなくサーブの水準も
  とっても頑張ってると思います。

 【 ちょっと早目の墓参り 】
 今年はちょっと早目に夕張へ墓参りに行ってまいりました。 かろうじて雨こそ降りませんでしたが、
 かなり蒸したので、きつい坂道の先にある墓に行くあいだに大汗をかきました。 車のエアコンを入れ
 続けているとフロントガラスの下部が冷風で冷え、ガラスの外側が結露しました。 これは湿度が高く
 ないと起きにくい現象で、こんなことからも今日の湿っぽさ加減が実感できます。

 国道274号経由で夕張に入って父方母方2か所の墓所(両親とも夕張生まれなので)を回り、鹿の谷
 まで走りました。 両親が一度見てみたいということで、夕張鹿鳴館の「ミレディ」で昼食を取ろうと
 いう話になったんです。 

 「ミレディ」については、今年の4月24日・26日のこの欄でも書きましたが、今回はウィークデイ
 だったにも関わらず、12時半ごろ到着したときには満席で、「冷房がなくてもよろしければ」と案内
 されたのは、4月24日の欄の一番下の写真の大広間。 私としては願ったりかなったりで、もちろん
 そちらで食事をさせていただきました。 広い部屋を私たちともう一組だけで使うという何とも贅沢な
 ひと時を過ごしました。 昨日作曲家協会の定演で木管5重奏を聞いたばかりなので、ついついここで
 演奏会をやったらいい音が出るだろうな、などと思いながら。 

 この部屋もそうですが、前回から3カ月少ししかたっていませんが古い建物特有のかび臭さがどんどん
 薄れつつあるように感じました。 知人の建築家が「建物だって生き物だ」と言っていたのを思い出し
 ましたが、たとえ文化財的な価値がある建物でも、毎日人が普通に使い、消耗した部分を修繕していく
 ほうが、最終的には建物の寿命が延びるのかな、などと思ったりしました。

 前回は野菜プレートランチでしたが、今回は気になっていた「鹿肉のハンバーグランチ」にしてみまし
 た。 なにしろ鹿肉って一度も食べたことがなかったもので。  食べてみると癖のない味で、ソース
 の味も含めおいしくいただきました。 ただ、おそらく牛肉との合挽きと思うのですが、元々の鹿肉の
 味を知らない私なんぞには逆に「これが鹿肉の味」っていうのが判りづらいかな。 ステーキなんかが
 あれば、それも食べてみたい気がします。 あと前回はポタージュで、今回は冷製で出てきたヤーコン
 のスープ、最高です。 

 帰りに北高(ひまわり)の下の交差点からバス通りの坂を下りた所にあるお店でメロンを買いました。
 店のご主人が「この中ではこの人の作ったのが別格」と指差したメロンには、かつての級友の名が・・。
 思わず「実は同級生です」って言ったら、驚きかつ喜んでいただいて、おかげで大幅値引きしてくれた
 うえにサービス品まで付けてくれました。 Fくん、ありがとう。 あとで君の作ったメロンをゆっく
 り食べさせていただきます。

 
訂正:前回「鹿鳴館は食事の場合は見学料は無料」と書きましたが、正しくは¥200(通常¥500)かかるそうで、この点
    謹んで訂正させていただきます。 確かに前回は「食事していただく場合は結構ですので、ゆっくりご覧ください」
    って言われた気がするんですけど、聞き違えたのかなあ・・・・。



 2010年 8月8日 (日)
 【 消せない記憶 】
 今日は所属する北海道作曲家協会の定期演奏会に行ってまいりました。 今回は私は出品していないの
 で単に聴衆の一人だったのですが、木管楽器主体のプログラムを楽しんでまいりました。

 早目に会場に着いてロビーで開演を待っている間、向かいに座っていた女性とお話しをしました。
 今年80歳だという彼女は、終戦時に樺太(サハリン)に住んでいたそうです。 終戦間際にソ連軍が
 侵攻してくるという知らせを受け、輸送船で積み荷の魚雷などと一緒に命からがら逃げ帰ったそうです。
 ただ警察官だったお父さんは、逃げるのが最後になったためソ連に捕えられ、シベリアの捕虜収容所で
 6年間も抑留された後ようやく解放されたそうで、そうやってようやく日本に戻ったときには、精神的
 なダメージがよほど大きかったせいか、痴呆の老人のような状態だったとおっしゃっていました。

 私の父はこの女性より少し年上ですが、仙台で終戦を迎えました。 本来なら招集されている年代なの
 ですが、理系の学生だったために徴兵が猶予されているうちに終戦になりました。 見るからに鈍そう
 な父ですから、もし招集されていたら絶対に生き残れなかったでしょう。

 そんな父でも、敗戦の殺伐とした混乱の中、北海道に戻る混んだ貨物船の中で気が立ったヤクザの一団
 に取り囲まれ、海に投げ込まれそうになったことがあると言っております。 父達はやはり私の世代な
 どには想像すらできない時代を生きてきたのでしょう。

 戦後65年が経過し、50代の私などはもちろん全く戦争やそれにまつわる体験はありません。 
 しかし私たちの親の世代にとって戦争は現実であり、何年たっても消せない記憶なんだなと、その世代
 の方たちと話すたびに感じます。

 昨日の深夜NHKで、俳優の渡辺謙さんがアメリカに住む原爆被爆者を訪ねる番組を放映していました。
 かの地で造園器具の販売修理会社を営む被爆者の男性は、広島で亡くなった親友二人のために、自分の
 店内に日本時間の時計を掲げ、今でも毎年8月6日8時15分になると祈りを捧げています。

 別に拡声器を使って何万人の集会をしたり、デモでシュプレヒコールを叫ばなくても、こういう人達の
 戦争の記憶に静かに耳を傾け続けることが、本当の反戦につながるんじゃないのかな。 
 最近はそんな風に思ったりしています。



 2010年 8月7日 (土)
 【 地球に優しくない暮らし・・・ 】
 ここしばらく毎日暑い日が続いています。 それも北海道らしくからっとした暑さではなく、蒸し蒸し
 した湿度の高い暑さです。 日照はそれほど強くないのですが、まるで温室の中にいるように妙にギラ
 ギラした感じで、熱気だけが伝わってきます。 

 加えて私の部屋は昨年と比べて、使用している電力が確実に増えていて、これが暑さに追い打ちをかけ
 ているんじゃないかと思うんです。 

 楽器を置いている居室には以前はPCがなかったのですが、昨秋からはLANケーブルを通してPCを
 使い始めました。 このPCが我が家では一番ハイスペックで、何をやっても処理速度が速いものです
 から、ついつい多用してしまいます。 ただこのPC、性能と引換に消費電力も大きくて271W!も
 あって、24インチモニターの52Wと合わせれば323Wにもなります。

 更に数え上げると今春新しくしたモニタースピーカーも大食いで、以前は55W×2だったものが現在
 では150W×2・・・つまり2台で190Wも増えているんです。

 これにシンセサイザーの17Wを加えると消費電力の絶対値は640W! 照明を使う夜間なら更に大
 電力を使います。 これがすべて排熱として部屋に放出されますから、狭い部屋で真夏に電気ストーブ
 を点けているようなもの。 そりゃあ暑くもなりますって・・・。

 というわけで今日の夕方、室温を見ると35℃オーバー・・・。 注意していないと鍵盤に汗が落ちて
 きます。 今年は6月下旬から室温は頻繁に30℃以上になって、さすがに体もバテてきました。こう
 いうのを北海道弁で「がおる」って言いませんでしたっけ? そんなわけで、今夏はだいぶ「がおって」
 います。 扇風機なんかじゃ全くだめで、今年はまもなくお盆を過ぎますから気温も下がるでしょうが、
 来年は本気で冷房を考えないと体も電子機器もがおっちゃうかもしれません。

 電気を使って室温が上がったので、更に電気を使って温度を下げる。 まさに現代の最も悪い生活様
 式の見本みたいですが、ほんと、地球にも体にも優しくない暮らし、してるよなあ・・・・・。



  とにかく暑いです・・・。



  おかげでメロンは甘いですが。


 2010年 8月2日 (月)
 【 一曲完成 】
 若菜中央小学校の校歌編曲がさきほどやっと終わりました。 やはり2日遅れは取り戻せませんでした。
 明日から緑小学校校歌の編曲にかかります。 

 校舎の写真も必要なので、墓参に帰った時にでもまとめて撮ってこようかと思っていますが、天気が悪
 いといい絵にならないので、ここは運任せ。 私はどちらかというと天気にツいていないほうでして、
 ことある毎に雨や曇天に祟られるので、うまくいきますかどうかはかなり?です。

 さあ、また次の編曲の構想を練るとしますか・・・・。



 2010年 8月1日 (日)
 【 ハムスターの気分・・・ 】
 若菜中央小学校の校歌を7月中になんとか仕上げようと月の後半はかなり頑張っていたのですが、結局
 少しだけ(コーダの一部が)残ってしまいました。 それでもほぼ2日遅れくらい、まだ何とか許容の
 範囲内です。 もっともそのせいでこの日記はちょっと間遠になってしまいましたが・・・。
 
 これが終わったらすぐに緑小学校の校歌にかかります。 できたら最終的には以前にやった清水沢小の
 編曲に手を入れたいので、1か月に2曲のペースで曲を仕上げないといけません。 相当大変ですが、
 若菜中央小がこの程度の遅れで済んだので、どうにかいけそうです。

 音楽をコンピュータやシーケンサーに打ち込んだ経験のあるかたならお判りでしょうが、これは何しろ
 ひたすら根気がいる作業でして、スピード感がまったくありません。 どこまでもどこまでも同じ作業
 の繰り返しです。 私は経験ありませんが、レース編みなんかがきっとこんな感じなんでしょうか。 
 私はもう永い間こんなことをしているので少しは慣れていますが、それでも時々全く作業が進んでいな
 いんじゃないかと錯覚することがあります。 まるで籠の中をぐるぐる走るだけのハムスターになった
 ような気分です。

 それでもこの作業、終わってみればかけた時間の分はきっちり形に残ります。 予定通り現存小学校の
 校歌の編曲を終われば、今まで編曲した校歌の数は20校分を越すことになります。 まだ市内全校の
 半分にも足りませんが、3年少しでここまで来れたことで、ようやく最近になって最後までいけそうな
 気がしてきました。 狭い部屋で楽器とモニタースピーカーとPCを使うので、排熱で暖房をかけてい
 るみたいで、夏場はちょっと(かなり?)大変なんですが・・・。

 よく言われるように「継続こそ力なり」です。 もうしばらくは部屋で音符と格闘していこうと改めて
 思っています。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記