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2012年 3月


 2012年 3月 29日 (木)
 【 おすな はしるな ものいうな 】
 震災から一年以上が過ぎましたが、あれ以来有感地震の数が北海道でも増えたような気がします。 27日にも岩手で震度5弱
 を記録した地震がありましたが、わが家でもゆっくりとした揺れを感じました。 地震は夜で私は入浴中、じっとしているしか
 ありませんでしたが、もっと大きな揺れの時に入浴中だと逃げるのに躊躇するだろうなあと思ったりしました。

 強い地震が来たら、家の中ではどこに逃げるか、という話も家族でしてみました。 二階にいた場合はとりあえずそのまま内壁
 に背中を付けてじっとしているのが一番じゃないかという結論になりましたが、一階にいた場合はどこが安全なのか。 何しろ
 二階にはピアノや本棚をはじめ重量物が多いので、倒壊して一階がつぶれた時を想定すればなかなか難しいのです。 最終的に
 玄関ドアの近くが一番よさそうだという話になりましたが、専門家が考えて正しいかどうかはともかく、平時から頭の中でだけ
 でも災害時の対応をシミュレートしておくことは大事なことではないでしょうか。

 その一昨日夜の地震の時ですが、人間妙な時に妙なことを思い出すもので・・・夕張の私の小学校では二階の非常階段が音楽室
 にありました。 一般的な非常階段はたいてい途中に踊り場がありますが、この非常階段は地面まで一直線に伸びていて、屋根
 もあるニス塗りの木製の立派なものでした。 5年生6年生の教室は二階だったので、避難訓練でもこの階段から地上に降りて
 いたものですが、私が27日の夜、湯船の中で地震に揺られながら思い出していたのは、この非常階段の入り口に書いてあった
 標語のことでした。

 それが今日のこの欄のタイトル:「おすな はしるな ものいうな」です。 
 平仮名の縦書きで紙に書いてあったこの標語はもちろん「押すな 走るな もの言うな」という意味ですが、入学して初めて目に
 したときは、全部平仮名のこの標語が何かの呪文のように感じたものでした。  今の音楽で言えばさしずめラップに乗りそう
 じゃありませんか。 ちゃんと韻も踏んでるし。 

 幸いにもこの非常階段が実際に使われることは閉校まで一度もなかったはずです。 火災もなく、最大の危機だったはずの十勝
 沖地震の際にも避難が必要なほどの被害はありませんでしたし、そもそも全校生徒が遠足で校舎にいなかったのですから。

 「備えあれば憂いなし」と言いますが、あの呪文のような標語が役に立ったのが訓練の時だけで本当によかった、と今になって
 思っている次第です。



 2012年 3月 26日 (月)
 【 春近づかず 】
 今月初めに訪れた京都ではすでに梅が咲いていたのですが、この数日の北海道は「なごり雪」どころか高速道路が吹雪で閉鎖に
 なるほどの真冬っぷりで、なかなか春らしさが感じられません。 今年は春の訪れが遅いのかもしれません。

 我が家の近くのスーパーで不定期に鹿の谷の「うさぎ屋」のシナモンドーナツを売っていたのですが、最近は名も味も浸透して
 きたのか、ほとんど毎月一度は売るようになってきまして、昨日も家内が買ってきてお茶うけにしています。

 さて少し先ですが、「夕張 再生への道筋〜市長時代に果たせなかった想いを胸に」と題した講演と対談が行われるそうです。
 4月22日(日)14:00~、場所は札幌市教育文化会館で、藤倉肇夕張市議(前夕張市長)と森啓NPO法人自治体政策研究所理事長に
 よる会で、参加費は1,000円とのことです。 マスコミが伝えるだけでない夕張の姿もたくさんあるはずと常々思っているので、
 重なる用事がなければ私もぜひ聞きに行きたいと思っています。 札幌周辺のみなさんも足を運ばれてはいかがでしょうか。



 2012年 3月 23日 (金)
 【 いろいろあと少し 】
 3月も残り1週間あまり、冬も年度も残りはあと少しになりました。

 昨日までの数日、北海道は全道的に雪模様でなかなか雪が減りません。 夕張市のHPにある「広報ゆうばり3月号」によると
 この冬は積雪量の記録を更新し(過去最高は平成17年本町市役所前の172cmだったが、今年は220cm)降雪量も過去最高値を更新
 しそうだとのことです。 美術館が倒壊したり積雪による被害も多大でしたが、それだけの雪だったんですね。 こういう情報
 に限らず「広報ゆうばり」は、夕張市内のことを色々伝えてくれます。 夕張から遠く離れてお住まいの方も、折りに触れご覧
 になってはいかがかと思います。

 そうそう、このHPのアクセス数も、49800ほど。 あと少しで5万の大台です。 別にそれで区切りをつける訳でもない
 のですが、やはり幾許かの思いもないではありません。 実際に何月何日に達するのか、自分自身でちょっとした賭けをしたり
 しています。



 2012年 3月 20日 (火)

 かつての真谷地郵便局の向かいにある道田商店。  酒類や乾物などを
 置いていたと思う。 
 【 雪景色その5 】
 今日は春分の日なのですが、北海道は強い冬型の気圧配置の下で
 ほぼ全道的に真冬日。 ご紹介する雪景色も違和感なく見ること
 ができる一日です。 とはいえさすがに雪景色の写真もそろそろ
 お終いにしようと思っているのですが。

 ずっと引きの写真ばかりでしたので、最後に一枚だけ、アップの
 写真を載せましょう。 真谷地郵便局前の道田商店の看板です。

 3区のアパートに住んでいた伯父は酒が好きで、炭鉱では事務職
 だった彼は、一番方と同じく午後三時過ぎには帰って来るので、
 ステテコ姿で日本酒をコップでちびちびやりながらラジオを聴い
 ていたものでした。 

 この道田商店は、写真では「サッポロビール」の看板しか見えま
 せんが、昔は「北の錦」の看板も掲げてあった記憶があります。
 伯父は「北の誉」ではなく「北の錦」が好きで、あのオレンジ色
 のラベルの一升瓶がいつもアパートにあった気がします。

 伯父は2年前に亡くなりましたが、この写真を見て彼の姿を思い
 出しました。今度墓前に「北の錦」を供えることにしましょう。



 2012年 3月 19日 (月)

 同じく2001年1月28日の真谷地市街。  元の真谷地線の線路側の山に少し
 登って撮影した。  左端のカマボコ形の夕鉄バス車庫は今は取り壊された。
 車庫の右上に割烹「常盤」の漆喰の壁も見えるが、これも今は残っていない。
 
 【 雪景色その4 】
 雪景色の4日目も真谷地市街の風景の続きです。

 昨日の写真は真谷地市街の沼の沢側の外れから撮影しましたが、
 今日のものは市街のちょうど逆の端からの撮影です。 スキーを
 履いて、元の真谷地線の向こう側の山に少し登って撮りました。

 昨日少し触れた夕鉄バスの車庫が、画面の左端に写っています。
 この頃はもう使っていなかったはずで、現在はもう取り壊されて
 残っていません。 バス通りは昔はこの車庫の建っていたあたり
 でクランクして線路側に寄ってから画面の左の先にあった炭鉱の
 事務所に向かっていました。 

 画面が左に切れたすぐ外には3区のアパートが2棟建っていまし
 たが、この写真の撮影時点では確か取り壊されていたような気が
 します。 向こう側の山のすぐ下は真谷地川で、真谷地では4区
 と真谷地小学校だけが川の向こうで、あとは大半がこの写真手前
 側にありました。 

 真谷地炭鉱は、北炭系列のヤマとしては一番最後まで残っていて
 1987年に閉山しましたが、地形的に一番奥になる1区2区は昭和
 40年代からすでに人が減り始めていて、そのせいか真谷地小学校
 ではその頃には校庭に熊の足跡があったりしました。 右の写真
 を撮っている時には、キツネがゆうゆうと道路を歩いていました
 から、人口もそれだけ減っていたということになるでしょう。
 
 私が小さい頃の写真のあたりは、蒸気機関車の煤煙で周囲の雪も
 黒ずんでいましたが、最近は雪も純白です。 祖母が「洗濯物が
 汚れる」と嘆いていたあの頃ですが、夕張の雪は煤で黒くなけれ
 ば、やっぱりダメなんですね・・・・。



 2012年 3月 18日 (日)

 2001年1月28日の真谷地市街。   画面左枠外に消防署があり、
 右手前の建物が郵便局だったが、すでにこの頃にはポストも撤去されている。
 郵便局の手前を右に行くと、かつては吊り橋があって橋の向こう側の右に
 4区の風呂(北炭の公衆浴場)があった。 
 【 雪景色その3 】
 雪景色の3日目は真谷地市街の風景です。

 真谷地は撮影時にすでに閉山後十数年が過ぎ、祖父の亡くなった
 後もずっと市街に住んでいた祖母も、この頃には真谷地をを引き
 払っていたので、この時期から急に写真が少なくなっています。

 写真はバス通りですが、真谷地市街はバス通りの左右に1本ずつ
 並行して道路があり、特に右の通りはかつては飲食街で、寿司屋
 や割烹風の建物もあり、夕方になって白熱灯の街灯が灯るとたく
 さんの人で日中よりも賑わっていた記憶があります。

 今は数十人が暮らすだけの集落になってしまいましたが、かつて
 の真谷地市街は沼の沢よりも人出が多くて活気に満ちていたもの
 でした。 確かパチンコ店もあったと思います。

 バス通りは今は元の炭鉱事務所の下の踏切(このHPのトップの
 スライドショーの最後の写真:夕張駅の一枚前、に写ってます)
 に向かってまっすぐに伸びていますが、昭和30年代の後半まで
 は、市街の3区側の外れで左にクランクして線路わきを通ってい
 ました。 あとになって出来た夕鉄バスの車庫がちょうどかつて
 のクランク部分の道路の上に作られていたはずです。
 
 その頃は、一番方が明けてひと風呂浴びたあとの人たちが、一杯
 ひっかけにぞろぞろと線路わきの道を市街へと歩いてきたもので
 した。 人が誰も写っていないこの写真の印象とは、全く違いま
 すが・・・。

 実は真谷地の雪景色は、私もこの写真以来見ていません。 今も
 この街は変らずそこに在るのでしょうか。



 2012年 3月 17日 (土)

 同じく撮影は2001年1月28日。 ここも今は取り壊され更地となっている。
 研修所の左隣・旧保育園の屋根の向こうに見えるのが、地区のシンボル
 「鬼首山」である。
 【 雪景色その2 】
 昨日に引き続き11年前の雪景色の写真をお届けします。

 今日の写真は沼の沢小学校/緑小学校前にあった「研修所」です。
 正確には「青年研修所」だったと思うのですが、地元では省略し
 て、ただ「研修所」と呼ばれていました。

 明確な記憶はありませんが、昭和40年代初めに出来た建物だと
 思います。 ご覧のように総二階建ての建物で、特に二階は広間
 になっていましたから、沼の沢地区では貴重な集会スペースで、
 冠婚葬祭に使われることもあったと記憶しています。

 写真向かって左の平屋の建物は元々保育園でしたが、閉園後には
 こちらも集会所代わりに使われていました。 こちらは今もある
 はずですが、研修所の方は一昨年夏に緑小学校の校舎の写真撮影
 に出向いた時にはすでに取り壊され、更地になっていました。

 夕張市の公式HPの資料によれば、沼の沢地区の2月末の人口は
 959人。 往時の半分以下になりました。  保育園と夕張市
 農業研修センターが写真左・徒歩数分の場所に出来たので、この
 研修所も役目は終えた、ということでしょうか。 老朽化も進み
 利用する人も減ったので取り壊したのでしょうが、懐かしい建物
 が消えていくのはやはり寂しいですね。



 2012年 3月 16日 (金)

 撮影は2001年1月28日。 今から11年前である。
 【 雪景色その1 】
 もう今年の冬も終わり、という季節にはちょっと合いませんが、
 パソコンのデータ整理をしていたら、沼の沢駅周辺の冬の写真が
 何枚か出てきました。

 今から11年前の写真ですが、沼の沢駅の少し紅葉山寄りのところ
 から清水沢方面に向いて撮影した写真です。 右列の建物は手前
 が肉屋さん、奥が洋裁学校(昔は壁の色が茶色だった気がします)
 でしたが、すでに取り壊され今は更地になって、この位置からも
 沼の沢駅が見通せるようになりました。そういえばこの洋裁学校
 の建物だけは一度も足を踏み入れたことがありません。

 左列は速度標識の手前に皆川薬局があったのですが、この時点で
 すでにありません。 2010年4月29日のこの欄の写真・・・今から
 ちょうど40年前のものですが、左手前が皆川薬局です。 

 この写真で一番左に写っているのは魚屋の阿部商店、その向こう
 がツバメ電器(リリーズのお父さんとは兄弟)ですが、この頃でも
 閉店して数年が過ぎていたはずです。 

 右の写真の撮影日は日曜日ですから、なおのこと人通りが少ない
 のかもしれませんが、沼の沢の駅前も年々活気が無くなっていく
 感じがします。 この道路は拡幅工事が予定されているんですが
 これだけ人がいないくなってなお、道路を広げる必要があるんで
 しょうか。 このままだだっ広い道路が出来上がったなら、この
 雪景色がますます殺風景に感じられるような気もしています。 



 2012年 3月 11日 (日)
 【 311 】
 東北大震災から今日で一年が過ぎました。 私の部屋でも経験したことのない長さで揺れが続き、遠方で大事が起こったことは
 地震発生と同時に想像できましたが、死者行方不明者1万9千人以上という大惨事は悪いほうに想像以上でした。

 NHKで追悼式を中継していましたが、地震発生時刻の14時46分から1分間の黙祷があり我が家でも黙祷を捧げました。 今日
 はテレビでも特別番組ばかりで、例によって作為的に劇的効果を演出するものも数多くあり辟易しました。 黙祷についてさえ
 それら演出の延長ではという意見を耳にしましたが、私は素直に手を合わせたいという気持ちに従うことにしました。

 夕張の財政破綻もそうですが、マスコミが飽きて取り上げなくなった先に本当の苦難が待っています。 一年という節目の
 今日だけでなく、地元の方々の不安・不自由は毎日続いているでしょう。 個人でできることは知れていますが積算すれば
 力になるかもしれません。 小さなことからまた実行に移そうかなと思ったりしています。



 2012年 3月 8日 (木)

 雨の京都・大覚寺の回廊を巡る。 日常の手入れだけでも大変だと思う広さだが
 人はまばらで、おかげでゆっくり見ることができた。  やはり京都は団体で来る
 ところではないような気がする。

 【 40年くらいじゃ 】
 というわけで東京の用事を無事に済ませて帰ってまいりました。
 ほとんど一週間北海道を離れましたが、新千歳空港の雪がその間
 にだいぶ減っていました。 この時季の一週間は変化が大きいで
 すね。

 行程的にはかなり無理があったのですが、一泊だけ京都に観光に
 出かけてきました。 高校の修学旅行以来、ほとんど40年ぶり
 の京都でしたが、普段の行いが悪いせいか、ずっと雨にたたられ
 少し残念でした。 それでも雨の京都をそれなりに楽しむことが
 できました。 京都は40年くらいじゃ変りませんよね。

 前回は見られなかった金閣・銀閣・龍安寺などを見られたほか、
 南禅寺と琵琶湖疏水、大覚寺など一度行ってみたいと思っていた
 ところも駆け足ながら見てきました。 龍安寺の石庭も雨の日の
 開門直後だったせいかゆっくり見られましたし(ここは修学旅行
 のような団体で来るところではないと思っていたので)、南禅寺
 の三門も奥にある明治23年竣工という琵琶湖疏水のアーチ橋も
 予想以上に素晴らしかったですが、最も期待値を上回ったのは、
 映画やドラマでも時々使われる「大覚寺(だいかくじ)」でした。
 どこまでも続く回廊と広い石庭、入母屋の大屋根は圧倒的な規模
 でした。 北海道も札幌あたりなら文化施設なども充実して大概
 のものはありますが、歴史だけは持ち合わせていません。 そう
 いう意味では京都は北海道とは対極にある街かもしれませんね。



 2012年 3月 1日 (木)

 【 弥生の空は 】
 4年に一度の2月29日が過ぎ今日から3月です。 作家の赤川次郎さんは確か2月29日
 生まれだったと思うのですが、誕生日のお祝いなんかはどうするんでしょうね。

 弥生の空、といえば少し霞んだ青空をイメージしますが、今日は残念ながらどんよりとした
 冬の曇り空。 北海道の本格的な春はまだ少し先のようです。

 さて実は明日から数日間東京へ行くことになりました。 本州はもう春が、と思っていたら
 逆に関東はここ数日大雪のようで、なかなか思うようになりません。 何か向こうで季節を
 感じられるものを見つけられればいいのですが。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記