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2013年 6月


 2013年 6月 28日 (金)
 【 東高校歌 】
 夕張市内にあった全日制高校のうち、まだ編曲していなかった夕張東高校の校歌の編曲に着手しました。 

 もっとも編曲の依頼があったわけではありませんから、完成してもHPで公開の予定はないのですが、北・南(夕張)・工業
 ・緑ヶ丘実業とすでに東高以外の高校校歌は編曲を済ませているので、気分的に「やり残し」感が強かったんです。

 市内の高校としては、定時制高校として真谷地高校と登川高校がありますが、残念ながら私の持っている資料には歌詞だけ
 は載っているものの楽譜がありません。 登川高校は昭和46年3月末に閉校するまで、私の父が清中と掛け持ちで教鞭を
 とっていたのですが、父に校歌はどんなだったかと尋ねると「覚えていない」と言われてしまいました。 そんなわけです
 から、今のままではこの2校の校歌の編曲はちょっと難しいかもしれません・・・。

 他に制作中の曲もありますし、コンサートに向けて楽譜を書かなくてはいけない曲もあるので、編曲が完成するのはだいぶ
 先になりそうですが、残るは中学校・小学校だけ。 今後は「校名一覧」の上から順番に編曲を進めていこうかと思ってい
 ます。 メールによる編曲のご依頼も引き続きお受けしておりますので、そちらもよろしくお願いします。



 2013年 6月 20日 (木)

 古本屋を巡らなくてもネットで検索して
 自宅から注文をし、届けてもらえる。 
 確かにこういう点では便利な世の中だ。

 【 40年来の疑問が 】
 探し物は探すのをやめた時見つかる、というのはフォークソングの歌詞にもありますが、
 長年心の隅に引っ掛かっていたことが偶然解決するということは確かにあるものです。

 私の場合のそれは昼食を取りながら見るともなしに見ていた(正確には音だけ聞いていた)
 TV番組で紹介されていた本のあらすじでした。  つい数日前のことです。

 中学校の時、国語の先生が何かで休んだことがありました。 代わりに来たのは社会科の
 S先生です。 先生は「社会の授業に振り替えてもいいのだが、今日は何か話を聞かせよ
 う」と仰って、ある弓の名人の話を語り始めました。(S先生は向陽中で一緒だった父が
 賀状だけはやり取りしているそうで、今でもお元気だそうです。)

 大略はこんな話です。「昔中国に弓の名手と呼ばれる男がいた。 彼は国一の名人という
 師に弟子入りし更に腕を磨こうとした。 師はまず機織り機の下で目瞬きをしないでいら
 れるようになれと言い、男は毎日機織り機の下に寝た。 ついに彼は全く目瞬きをしない
 ようになった。 次に師は髪の毛で蚤(のみ)を縛って窓辺に吊るし、部屋の向こう側から
 毎日見詰めよ、と言った。 男は毎日毎日その蚤をじっと見続けた。 やがて男の目には
 蚤が犬くらいの大きさに見えるようになり、ついには象の大きさに見えるようになった。
 そこで男が弓を手にとって矢を射ると、矢は見事に蚤の心臓を射抜いた。 こうして男は
 国一の弓の名人に・・・いや、まだ国一ではない。 師がいるからだ。 ある日、野原の
 真ん中で師と出あった彼は、師に向かって矢を放つ。 弟子の殺気を感じていた師も矢で
 応戦する。 二人の放った矢は二人の中間で互いにぶつかり地面に落ちる。 最後に一本
 弟子に多く残った矢も師が枝で落として勝負はつかない。 しかし師は弟子にこう言う。
 『私を倒してもお前は国一ではないぞ。 あの山の頂上に住む老師こそが一番なのだ。』
 男が老師に会いに山に登ると、そこには飄々とした老人が弓も矢も持たずにいた。 男が
 本当にあなたは弓の名人なのかと問うと、老人は揺れる岩の上に素手で立つや、天空に向
 かって矢を射る仕草だけをした。 すると碧空から見えない矢に射抜かれた鳥が岩の上に
 落ちてきた。 感服した男は老人に弟子入りを願い出る。 そうして何年の時が過ぎたか
 男が山から下りてきた。 周囲はさぞや凄い弓の名人になったのだろうと噂するが、男は
 一向に弓を手に取ろうとしない。 ついに男はそれから一度も弓を手にすることなく一生
 を終えたのだった。」

 とまあこんな話でした。 40数年前にたった一度だけ聞いたこの話の出典が一体どこか
 らだったのか、私はずっと気になっていました。 しかし調べる機会もないまま、今まで
 長い時間が過ぎてしまいました。 今回TVのおかげで、実はこの話が中島敦という作家
 の「名人伝」という短編だったということが、ようやく判明したんです。

 Amazonで中古本を購入して改めて読んでみると、私の覚えていた内容が原典と違っていた
 のは、じっと見つめていたのが蚤ではなく虱(しらみ)だったこと、また大きく見えた例え
 が象ではなく馬だったことくらいで、後はほぼ記憶通りでした。 若い頃の興味を持った
 ものに対する記憶というのは、かなり正確なもののようです。

 長年の疑問がこれでようやく解決し、何だか晴れ晴れした気分です。 さて、この寓話の
 主意というのは、小説の中にも登場する通り「至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、
 至射は射ること無し」に尽きると思いますが、小説の中で主人公がまさに40年かかって
 到達したこの境地、この話を聞いてから同じ40年を現実に生きてきた私が得られたかと
 いえば・・・まあ少なくともこんなことを長々と書いている時点で「至言は言を去り」の
 くだりは絶対に無理だな・・・。



 2013年 6月 16日 (日)
 【 続報 ついにその日が 】
 夕張市のHPに5月末時点での市の人口が載りました。 10087人だそうです。

 今年1月22日のこの欄で、夕張市の人口は今年の7~8月には1万人を切るのではないかと書きました。 5カ月たった
 いまの数字を入れたグラフは下のようになります。

   

 グラフの内容について改めて言うまでもないと思いますが、人口減少率に変化はないといっていいでしょう。 
 グラフ通りだと7月中に、今年になってからの月平均減少率25人から計算すれば9月中に、夕張市の総人口は1万人を割る
 ことになる可能性が高いと思います。 数字は冷徹なもので何の情緒もありませんが、このグラフは見ていて何とも切ない。
 1月にも書いたように1万が9999になったからといって何かが急に変わるものでもありませんが、往時を知る私たちにはまた
 一段階段を下りてしまったような気持がしているところです。



 2013年 6月 14日 (金)

 調べると1981年のCMだった。 彼女は1964年生まれだそうだから
 この当時は17歳、いまは・・・・・計算しないどこう。

 【 アイドル 】
 Idle(アイドル):いくつかあるこの単語の意味の中でいちばん多く
 使われるているのは「偶像」という意味でしょうか。 テレビを席巻
 して最近は7万人を集めて選挙までやってしまう某グループなんかは
 現代のアイドルの代表でありましょう。 本物の国政選挙でもこうは
 集まらないんじゃないかとつい思ってしまうところが悲しい。

 NHKのドラマに登場している小泉今日子さんは、役中ではアイドル
 になり損ねた母親役ですが、現実の彼女は80年代のトップアイドル
 でしたから何だか皮肉な役まわりです。

 ドラマの後半では女優役で薬師丸ひろ子さんが登場するそうですが、
 彼女もまた同時期を代表するアイドルでした。 私は正直アイドルと
 いうものにあまり関心がありませんが、薬師丸さんには、そんな私で
 すら強烈に印象づけられた映像があります。 

 それが写真のナショナルのTechnics(テクニクス)というオーディオ
 機器シリーズのCMで、この写真は古い雑誌の中の広告ですが、当時
 はTVのCMでしたからもちろん動画でした。 ヘッドホンをかけた
 彼女がひと筋の涙を流すだけのCMですが、これにはやられた・・。
 今でも薬師丸さんと聞いて私が最初に連想するのは、この写真の彼女
 です。

 鈴木夕張市長のツイッターで知りましたが、その薬師丸ひろ子さんが
 先日夕張を訪れたたそうです。 NHKの「鶴瓶の家族に乾杯!」の
 ロケだそうで、放送は8月26日(前編)と9月2日(後編)の二回
 いずれも午後8時からだそうです。 忘れずに録画しよ・・・。



 2013年 6月 7日 (金)

 もうちょっと大きな会場でも良かったかな・・・

 【 コンサート 】
 7日の道新夕刊にも紹介記事が載りましたので、ご存知の方もおいでかもしれませ
 んが、私の所属する北海道作曲家協会では、明日6月8日(土)、札幌市中央区の
 「エリエールスクエア札幌渡辺淳一文学館」で「第1回北海道の作曲家展」という
 コンサートを開きます。 これは「一般公募した曲を演奏する」という初の試みで
 北海道作曲家協会が2年間かけて準備を進めてきたものです。

 ですからこの欄でももっと前からどんどん宣伝したかったところなのですが・・・
 会場に選んだ渡辺淳一文学館は定数82席、うんと詰め込んでぎりぎり100席と
 いう規模なので、実は早い時点で席が埋まってしまいまして。 宣伝したところで
 もう席が無くなってしまいました・・・。

 このコンサートは毎年1回定例化しよういうことになっていますので、来年6月に
 開催予定の次回は、もっと早い時期に宣伝しますので、ぜひご来場いただければと
 思っています。



 2013年 6月 5日 (水)

マルチヘリコプター&カメラ。
ヘリと聞いて想像する一般的な形のものより、ずっと
小さいサイズでもより安定した飛行が可能らしい。

 【 おもちゃとは言えない 】
 だいぶ前の映画に「飛べ!フェニックス」という映画がありました。 1965年制作
 ですから相当古い映画ですが、2004年に原題の「Flight of Phoenix」でリメイク
 されていて日本のテレビでも放映されていますので、そちらをご覧になった方々も
 おいでかもしれません。

 何日か前の新聞で夕張の清水沢で、農薬散布などに使う業務用のラジコンヘリコプ
 ターの整備がシーズンに向けて進められているという記事を読みました。ラジコン
 といっても長さが2.5m以上ありますから、子供のおもちゃとは全く別物です。

 冒頭に「飛べ!フェニックス」のことを書いたのは、砂漠に墜落した双発貨物機の
 乗員乗客が壊れた貨物機の部品を寄せ集め、単発の飛行機を作って脱出を試みる、
 というストーリー展開のこの映画のなかで、ラジコン飛行機は大きなキーワードに
 なっているからです。 単発機を作って砂漠を脱出しようと言い出した航空機設計
 者が実はラジコンの模型飛行機の設計者で、それが発覚したときには他の乗客たち
 と激しい争いになるわけです。

 私が印象的だったのは、この技術者の主張で彼は全く悪びれもせずこう言います。
 「実際の航空機は操縦者が調整して飛ばしているが、模型飛行機は誰もいなくても
  安定して飛ぶ。 だから航空機としては模型機のほうが優秀なのだ。」と・・。
 この点に関しては私もまったくその通りだと思います。 現代の業務用ヘリも姿勢
 制御などは高度に自動化されていて、「本物」より飛行の安定性は高いかもしれま
 せん。 新聞記事にあったヘリ用保管&整備基地も、この先もっと規模が大きくな
 るかもしれませんね。

 初回の放送時から気が付いていたのですが、NHKの連続ドラマ「あまちゃん」の
 主題歌の映像もラジコン機によっています。 注意して見ていると、画面が上下に
 ふらつく箇所があって(水平線まわりを見ていると判りやすい)それと気がつくの
 ですが、本物のヘリではあんなに列車に近づいたり川面すれすれを飛んだりするこ
 とは危険でとてもできませんよね。 「あまちゃん」では「マルチコプター」とい
 う6ローターの特殊なヘリを使っているそうですが、こうなるとラジコンとはいえ
 もはや子供のおもちゃの域ではありません。 

 清水沢の保管庫も本格的に基地化すれば何かの形で未来に繋がるかも知れません。



 2013年 6月 1日 (土)

少しばかり時季外れになってしまったが(といっても
まだ先週の話だ )、移動途中に撮った今年の桜。

 【 なんだか多忙・・・? 】
 異様に寒かった春が終わり、北海道も一昨日あたりから急に暖かくなりました。 

 先月後半はやたらと忙しく、途中所属する北海道作曲家協会の総会があったりして
 いちおう役員をしている関係上、書類やらウェブぺージへの対応やらでバタバタと
 しているうちに、あっという間に6月を迎えてしまいました。

 先月24日でしたか、夕張メロンの今年の初競りのニュースを見ました。 改めて
 この欄を見返すと、昨年は5月17日が初競りだったので一週間遅れということに
 なります。 感覚の上だけでなく実際にも寒い春だった、ということでしょうか。
 肝心の今年のメロンは、2玉160万円!という史上3番目に高い値段で落札され
 たそうで、これがアベノミクスとやらの効果かどうか、いずれにしても景気のいい
 話で嬉しいことです。

 これから夏にかけて気温は高めに推移するそうです。 もちろん限度はありますが
 夏は夏らしくカッと暑いほうが好きです。 いろいろ晴れ晴れとした日々が続くと
 いいなあ・・・・。







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音風景・夕張

ユーパロ谷 気まぐれ日記