音風景・夕張 日記TOP




2021年08月


 2021年08月28日(土)
 
  
  


 
Google の旅 ③ 】
前回に続く「Google-Earth」の旅:3回目は
 真谷地市街です。

 偶然ですがちょうど30年前、1991年8月に
 私が撮影した写真があったので、比較をして
 みました。 写真上が1991年8月、下が現在
 のストリートビューです。

 現在といっても、ストリートビューのほうは
 おそらく6~7年ほど前の写真(衛星画像と
 違ってストリートビューは撮影日時が非公開
 なんです)だと思いますので、いまはもっと
 寂しい風景になっているかもしれません。

 真谷地炭鉱が閉山したのは1987年ですから、
 この頃すでに人口は急激に減っていたはずで
 商店街のシャッターが下りているのがお盆の
 期間だったからなのか、閉店していたのか、
 今となっては判りませんが、それでも明らか
 に建物の数が今より多いのが判ります。

 1991年のほうには画面の奥に4階建ての三区
 のアパートも写っていますし、手前には郵便
 局のポストも見えます。 当時はバス停の名
 もまだ「郵便局前」で、利用者もそれなりに
 いたと思います。

 比較すると下の写真では建物がずいぶん取壊
 されて櫛の歯が抜けるようにまばらになって
 います。 小さい頃はお盆に花火を買ったり
 三区のアパートに住んでいた伯父が日本酒党
 だったので「北の錦」を買ったり、子供に用
 はなかったけれど割烹も寿司屋も天ぷら屋も
 パチンコ屋もあって、大概のものは真谷地の
 中で手に入ったものでした。

 現在、真谷地は市街から奥に人は住んでいま
 せん。 夕張市のHPによれば、7月末での
 真谷地の総人口は126人です。

 真谷地鉱の技師だった私の母方の祖父は、昭
 和35年にこの世を去りましたが、この年は
 夕張市の人口が最多となった年。つまり祖父
 は真谷地の最盛期を見ながら亡くなったこと
 になります。

 この写真、あの世の祖父が見たら、何と言う
 か・・まさか60年後の姿は想像すらつかな
 かったと思います。 この写真だって、更に
 30年後に同じ構図で撮影したらどうなって
 いるか。 むしろ想像したくないかな・・。
 



 2021年08月21日(土)

 
  
  
Google の旅 ② 】
だいぶ間が空きましたが「Google-Earth」の
 ストリートビューを使って夕張市内を巡る旅
 の二回目をお届けします。 今回は真谷地編
 です。

 ストリートビューでは周囲360°を見回す
 ことも仰角を変えることもできますが、もち
 ろん全てのアングルの写真を撮影しているわ
 けではありません。違う方向を向いたカメラ
 数台で同時に撮影し、合成して全方向の映像
 を見られるようにしています。 だから多く
 の映像は合成で、継ぎ目がわかります。

 ただ稀にですが撮影した元画像の構図と、こ
 ちらが求める構図が同じということがあって
 この時は継ぎ目のない1枚の写真を、かなり
 高精細な画質で見ることができます。

 今回の真谷地の写真も継ぎ目が無く、かなり
 細かいところまで写り込んでいて、おかげで
 忘れていた風景が甦りました。

 場所は真谷地の市街の入り口付近。 5区へ
 向かう踏切や生協を過ぎ、市街へ向け下り坂
 をほぼ下りたあたりです。 キーポイントは
 黄色で囲んだところ、錆びた鉄柱のような物
 が写っていますね。 漫然と見ていると緑に
 紛れて見落としそうですが。

 これ、たぶん駅の階段の手すりです。

 かつて真谷地線に客車もあったころ、市街の
 駅が写真の左手の土手の上にありました。
 私も母方の祖父の家に行くときに、市街駅で
 下りてこの階段を使っていました。私の記憶
 では、幅の広いコンクリートの階段の中央に
 手すりがあったと思います。

 写真の右外、少し低くなった場所には現在は
 五区に移っている朋心寺があり、祖父の葬儀
 もここで行いました。 昔は六区の墓地の上
 の方にあった火葬場まで歩く長い葬列を写し
 た写真がどこかに残ってるはずです。

 ストリートビューの中で偶然これを見つけた
 時はとても懐かしい気がしましたし、色々な
 記憶が甦りました。時間を遡ることは理論上
 できませんが、半世紀以上が過ぎても人間が
 生活した痕跡というものはどこかに残ってる
 ものなんですねえ。
 



 2021年08月15日(日)

 
  B-29のエンジンはライト社製の「サイクロン」 
  あのライト兄弟の興した会社のエンジンだ。
  広島や長崎に原爆を落としたのもB-29・・・
  空を飛ぶという人類の夢をかなえた技術も
  使われようによっては悪夢を生むのだ。
【 76年 】
言うまでもなく、今日8月15日は終戦の日。もう76年が過ぎました。

 父はこの日を仙台で迎えました。 仙台の旧制高校に在学中だった父は、
 市の中心部から少し離れた高台の学生寮で玉音放送を聴きました。

 終戦前月の昭和20年7月9日、夜遅くから繰り返された空襲警報が全て
 空振りに終わってほっとした後の日付が変わって7月10日0時03分、
 再びの空襲警報と実際の爆撃がほとんど同時に始まりました。 B-29の
 編隊123機が2時間半にわたり仙台市の中心部に1万発を超える焼夷弾
 を投下して焼き払ったのです。 火の海と化した地上の照り返しで、暗闇
 の中でも紅々と輝くB-29の機体がはっきりと見えたそうです。

 父の学生寮は高台で中心部から距離もあったので、爆撃の被害はなかった
 のですが、7月13日の朝、今度は艦載機が仙台を襲いました。 この時
 は寮の裏手の山にある対空用の高射砲陣地も標的となったため、艦載機の
 機銃掃射もすぐ近くで行われました。 たぶん身の危険はこの時のほうが
 より差し迫って感じられたと思います。

 おそらくその13日の昼からだったと思われますが、既に帝大に進学して
 いた寮の先輩が父を訪ねてきました。 八雲町出身の彼は自分はこれから
 北海道に帰るから、君も一緒に帰ろうと誘いに来たのです。 たて続けに
 米軍機に襲われた仙台より北海道に戻った方が安全だ、と先輩は考えたの
 でしょう。

 父もすっかり帰る気になり二人で一緒に仙台駅まで行きました。 しかし
 当時切符は既に配給制で買うことが出来ず、やむなく父は帰るのを諦めて
 仙台駅で先輩を見送ったそうです。

 米軍艦載機多数が青函連絡船12隻を一斉に攻撃、10隻が撃沈され2隻
 が大破したのは翌7月14日のことでした。 目撃者の話によれば、海に
 飛び込んだ生存者にも、米軍機が容赦なく機銃掃射を浴びせたそうです。
 医学部に進学していた先輩は帰らぬ人となり、危険と思えた仙台に残った
 父は生き残りました。 終戦のわずか一か月前の話です。

 95歳となった父は、人生で一番強く記憶に残っている日として、76年
 前の今日を挙げています。 それは父が若く、感性が瑞々しかったことも
 少しはあるでしょうが、多くは私たちの世代が経験したことのない苛烈な
 記憶と結びついているからでしょう。 人生で一番忘れられない一日が、
 こんな日でありませんように・・今日は心からそう祈りたいと思います。




 2021年08月10日(火)  
【 ようやくワクチン 】
道内はいきなり気温が下がり、今日の日中の最高気温は18℃台。涼しい
 どころか半袖じゃ寒いくらいです。 極端なんだよなあ。

 そんな中、予約していたコロナ感染症のワクチン接種を受けてきました。
 大規模接種会場をインターネットで予約して、モデルナ製ワクチンを接種
 してもらいました。 ようやく1回目の接種が終わりました。

 写真でお判りのように、大規模接種会場というだけあって、並べた椅子の
 数は半端じゃありません。市内で今日1回目の接種を受けた人は9247人、
 1回接種が済んだ人は12歳以上の対象者全員の45.7%だそうです。

 注射そのものは、針を刺したのは判りましたが痛みというほどではなく、
 発熱や腕の痛みも今のところありません。 これは明日以降に出てくるの
 かも知れませんが。

 コロナ禍を収束させるには予防薬と治療薬の両方が欠かせません。 今は
 とにかく接種を進めるしか手はありません。いくら「~宣言」や「要請」
 を繰り返したところで、それは感染を遅らせる効果しかありません。

 今さら言ってもしょうがありませんが、昨年春の経済産業省の補正予算
 見ますと、GOTOキャンペーンの予算額は1兆6794億円。同じく厚生労働省
 のHPにあるワクチンの開発状況によればワクチン開発に関わる製薬会社
 の中で最も国からの助成が多い塩野義製薬の助成額は223億円・・・。
 あの「アベノマスク」ですら260億円使ってるのに・・・どう考えても
 税金の使いどころが間違ってますよねえ。

 とりあえずオリンピックは終わりましたが、この感染症、いつになったら
 終息の目処がつくんでしょうね。 こちらは辛抱するしか手はないんです
 けどねえ。 




 2021年08月06日(金)  
【 猛暑いろいろ新記録 】
明日はいよいよ札幌でオリンピックの女子マラソンが開催されますが・・
 いまだ猛暑は続いています。 もうどうにもならないくらい暑いです。

 今日の札幌は35.0℃を記録しました。 今季で3度目の猛暑日ですが、
 年に3回の猛暑日は1877年に統計を取り始めて以来、初めてだそうです。

 また前回書きましたように、札幌は今日で17日間真夏日が続いています
 が、これも1924年(大正13年)と並んで最長の記録です。 札幌は明日
 も最高気温は32℃の予報なので、たぶん今年は単独1位の記録となるで
 ありましょう。

 さらに昼夜の平均気温も、7月の平年値:21.1℃に対して23.9℃と
 今年は3℃近くも高く、これまた統計上の最高記録だそうです。

 東京との比較ですと、昨日5日の数値ですが、

         【札幌】     【東京】
 最高気温    34.4℃     34.7℃
 最低気温    24.4℃     25.0℃
 平均湿度     75%      77%

 残念ながら今年に関しては、札幌は涼しくもなければカラッともしていま
 せん。 お天気だけは人間の思い通りにはなりませんが、開会式も抜ける
 ような青空でブルーインパルスの描く五輪の輪がくっきり映えた64年の
 オリンピックに比べ、今回は雲が厚くせっかく5色にした五輪もはっきり
 見えませんでした。 あまり天候に恵まれているとは言えないかもしれま
 せん。 何だかいろいろツイてない五輪だよなあ・・。




 2021年08月01日(日)  
【 記録的猛暑続く 】
8月になりました。 暑いです。 とにかく暑いです。 

 今日もすでに32.6℃を記録、12日連続の真夏日になりました。 これ
 は連続日数としては1951年と並び、過去2番目に長い日数だそうです。

 今日にしても最高気温を記録したのはもう日が傾き始める午後4時24分
 ですからね。 この時間にこの暑さというのは、本当に異常ですよ。

 この暑さでエアコンは取付依頼が殺到しており、今から頼んでも今夏には
 全く間に合わないそうです。

 調べると、札幌の連続真夏日の最長記録は1924年(大正13年)に記録し
 た17日間だそうで、今年もし8月6日(金)まで続くとこの記録に並ぶ
 そうですが、いったいどうなりますか・・・。