音風景・夕張 日記TOP




2022年12月


 2022年12月30日(金)  
【 年の瀬に 】
2022年もいよいよ明日が大晦日となりました。 まったく早いものです。

 大晦日は英語では「New Year's Eve」と言いますが、外国語としては日本ではドイツ語
 の「Silvestar(ジルベスタ)」のほうが単語としては馴染みがあるかもしれませんね。
 「ジルベスタ・コンサート」などと銘打つコンサートがたくさん開かれていますから。
 英語読みすれば、「ロッキー」の主演:シルベスタ・スタローンの名ですが、彼は何か
 大晦日と関係があるんですかね??

 我が家でも年越しの準備を進めておりますが、大掃除と玄関の飾りまでは済みました。
 明日は例によって大音量で「第九」を聴きながら(昨年は途中でアンプが壊れ、肝心の
 合唱の部分が聴けなかった・・)蕎麦を打って、新年を迎えようと思っています。
 
 思い起こせば今年は個人的には前年暮から高熱を出し(コロナではなかったですけど)
 大晦日から年またぎで4日連続点滴、という何ともはやのスタートでした。 世情全般
 としても、新型コロナ感染症は全く収束せず、海の向こうではウクライナ戦争が勃発し
 多くの人命が失われ、政治的な分断と経済の混乱が続きました。 どう考えても良い年
 とは言いかねる一年だったと言えるでしょう。

 夕張生まれの私が都会に住むようになって40年、一番長く住んでいるのは今の街なの
 ですが、冬になると今でも故郷の雪景色が目に浮かぶことがあります。 雪原の向こう
 の鬼首山が静かに自分たちを見下ろすこの風景こそ、私の故郷の象徴です。

 来年も再来年も皆さんの心の中にある穏やかな故郷の風景が、ずっ守られていくことを
 願いつつ、新しい年を迎えたいと思います。 今年も一年ありがとうございました。




 2022年12月25日(日)  
 
【 X'マス 】
今年もクリスマスを迎えました。 我が家はキリスト教の信者ではありませんが
 やっぱりケーキを買ってきますし、ツリー(写真)も飾ります。

 数日後の大晦日にはお寺の除夜の鐘の音を聞き(TVでだけど)、年が明けると
 神社に初詣に行き・・・たぶん外国の方々からみれば、いったい日本人の宗教観
 はどうなっているんだと思われるでしょうが、これこそがどこぞの都知事さんが
 よく口にされる「Diversity(ダイバーシティ:多様性)ってやつですかね。

 何かと出費の多い年末年始だというのに、部屋の大掃除で掃除機を使っていたら
 いきなり動かなくなってしまい、触るとかなり高温になっていて冷えるまで全く
 反応しません。 しばらくして冷えると動くようにはなりましたが、3分ほどで
 再び発熱して停止してしまいます。 危険なので使うのをやめました。

 サイクロン式の掃除機なのですが、ゴミが溜まったわけでもなく何かが詰まって
 いるわけでもありません。 まだ購入後1年9か月ですが、保証期間は過ぎてし
 まっているので修理は有償となりそうです。 修理って高いですからね、家内と
 相談して買い替えることにしました。 こんなことならサンタに掃除機を願って
 おくんだった・・・。

 使ってた掃除機は国産メーカーの製品(但し生産は中国)なのですが、機械モノ
 は当たり外れがあるとはいえ、ちょっとがっかりです。 この物入りで慌しい時
 に壊れんじゃねーよ・・・などと毒づいている年の瀬であります。




 2022年12月19日(月)  
 
  完成間近の北高校舎。 球技大会の一コマ
 だが、場所はまだ体育館が建つ前の校舎裏。

【 訃報 】
朝刊のお悔み欄に北高時代の恩師・S先生のお名前が載りました。
 国語の先生だったS先生は北高の新校舎が完成したすぐあとに赴任
 されてきたと記憶しています。

 私は現国や古典を、私の弟は3年間ずっと担任としてお世話になり
 ました。 弟のクラスでは「進学でも就職でも、クラス全員の進路
 が決まるまで続ける」とおっしゃられて手書きのクラス通信を卒業
 後も数年間送り続けました。 情熱のある素晴らしい先生でした。

 1994年3月の北高の閉校式で、私たち吹奏楽部OBは最後の校歌を
 演奏しましたが、これも元を辿れば前年の夏、最後の学校祭を見て
 おこうと学校を訪ねた私をS先生が呼び止め「OBで来年の閉校式
 に校歌を演奏してもらえないか」と声をかけていただいたのが発端
 でした。 閉校式前日の夜、市民会館で行われた吹奏楽部の懇親会
 でもご挨拶を頂戴しました。

 最近はお体の調子があまり良くないとは伺っておりました。思い出
 は尽きませんが、改めて惜別の辞を申し述べさせていただきます。
 先生、長いあいだ本当にありがとうございました。 心からご冥福
 をお祈り申し上げます。




 2022年12月14日(水)  
 
  左から、日付・日の出時刻・日の入時刻・昼の時間
【 底を打つ 】
一年で最も昼の時間が短い「冬至」が近づいてきました。
 例年話題にしていますが、実は日が沈むのがが一番早くな
 るのは「冬至」ではありません。

 右の表は札幌の12月の日の出/日の入りの時刻ですが、
 12月5日まで午後4時台だった日没は、6日から3時台
 に突入し、9日の3時59分40秒で底を打ちました。

 そこから少しずつ日没は遅くなり、今日14日からは再び
 午後4時台に戻ります。 まだ増える歩幅は一日に十数秒
 ですが、春の彼岸に向けてこの歩幅も増えるはずで、夕方
 の暗さはだんだん解消されていきます。 気分的には少し
 明るくなれるんじゃないでしょうか。

 我が家は昨日までに全員が、オミクロン株対応のワクチン
 接種を受けました。 私と家内は5回目のワクチン接種に
 なりますが、今までずっとモデルナ社のワクチンで、今回
 初めてファイザー社のワクチン(BA4・5対応)を打ち
 ました。 

 そのせいか、前回との接種間隔が最も短かった(4か月)
 せいか、二人とも全く副反応が出ませんでした。  本当
 に全く発熱もなく、頭痛も関節炎も腕が上がらない感じも
 何にもありません。「本当に効果あるんだよね?」という
 くらいです。 特に私は前回、38度台後半の熱は出たし
 関節炎や頭痛や悪寒・・副反応のオンパレードだったので
 何だか拍子抜けしています。

 変異株は、代を重ねるごとに致死率が下がっていく傾向に
 なっていますが、来年には感染しても気にしなくていい、
 なんて状況に・・・なっていればいいですねえ。




 2022年12月09日(金)  
 
  ダイハツ・フェロー(Wikipediaより転載)
  色も形もまさにこれだったと思う。

【 真谷地体育館の思い出 】
真谷地の体育館は、真谷地市街と炭鉱事務所の間、短い橋を渡った
 奥にありました。

 何か行事があるたび使われる、今風にいえば「多目的ホール」的な
 施設でしたが、沼の沢の住人である私にとっての真谷地の体育館は
 「映画館」でした。 幼い頃から何度も映画を見に来た記憶があり
 ます。 今となっては作品名をほとんど覚えていませんが、小学校
 の高学年のころ怪獣映画を見に来た記憶はあります。

 これまた映画のタイトルは覚えていませんが、先ほど Wikipediaで
 調べてみると、キングギドラと幼虫のモスラが出てきた記憶がある
 ので、たぶん「三大怪獣・地球最大の作戦」か「怪獣総進撃」では
 ないかと思います。

 帰りはたぶん午後8時を回っていたと思いますが、同級生のGくん
 のお母さんが車で迎えに来てくれまして、彼女の運転するグレーの
 ダイハツ・フェローに小学生6人(運転手を入れれば7人)を無理
 やり押し込んで沼の沢まで帰ってきました。 もちろん道交法違反
 ですが、キングギドラが怖かったのと帰りの車内が大騒ぎだったこ
 とは今でも覚えています。

 数日前の新聞のお悔み欄に、Gくんのお母さんの名が載りました。
 あの映画の日から半世紀以上、記憶の中にしか残っていない風景や
 人々がまた増えました。 心からご冥福をお祈りいたします。




 2022年12月06日(火)  
 
【 何かあるのか・・? 】
例年よりは遅いのですが、ここ数日は道路も雪道になりまして、まだ冬道の運転
 に体が慣れていない方も多いと思います。

 昨日の夕方、そろそろ夕食の時間というころに、バンというかドンというのか、
 何とも表現の難しい衝撃音がしました。 かなり大きな音です。

 外に出てみると、道路向かいの電柱に軽の四輪駆動車がぶつかっていました。
 我が家はそこそこ交通量のある通りに面しているのですが、どうやら凍結路面で
 スピンして道路わきの電柱に衝突したようです。

 ここは平坦な直線路なのですが、制限速度の40km/h+は確実に出ていたようで
 衝撃で車は全く動かなくなりました。 単独事故で同乗者もなく、運転者も大き
 なケガはなさそうだったのは不幸中の幸いでした。事故後はまずパトカーが来て
 続いて消防署の救助工作車が来て(燃料なのか潤滑油なのか、漏れた油類を周囲
 の雪ごと袋に入れて回収してました)、最後にJAFのレッカー車が来て、事故
 車両を運び出しました。 この間約2時間だったでしょうか。 

 今朝になって事故のあった電柱を改めて眺めてみたら、事故の爪跡は思った以上
 に深く、電柱は完全に折れて両側のワイヤーでかろうじて支えられている状態で
 見るからに危ない。 さすがに昼過ぎには立て直され安心しました。

 実はコロナ前には、やはり冬にこの電柱から左数mの所で車がスピンし、雪山に
 突っ込む事故が起きています。道路向かいの角に位置する我が家は過去に2度、
 我が家の向かいの角の家も1度、コンクリートの塀に車が衝突しています。何か
 事故を呼ぶ原因があるんでしょうか?? ちょっと不気味です・・・。




 2022年12月04日(日)
 



 
 文化堂の前から撮った清水沢駅舎(上)と
 駅舎内(右が改札口)。
 (撮影は2枚とも2010年10月07日)

【 消え去る清水沢駅 】
先月上旬から清水沢駅の駅舎の取壊し工事が始まりました。
 確認はしていませんが、おそらくもう工事は完了していると
 思います。 夕張線が廃線になって以降、駅舎が解体される
 のはこれが初めてです。

 検索したら「YouTube」に動画もありました。 建築物として
 それほど大きくも強固でもなさそうなので、取壊しが始まれ
 ば、あっという間に姿がなくなるんだろうと思います。

 清水沢駅は国鉄夕張線と、私鉄の三菱南大夕張鉄道の乗換駅
 として、機関車が牽く客車・石炭車・タンク車などが集まり
 引き込み線の数も多く、活気にあふれた駅でした。 

 2011年6月17日のこの欄に、1972年の駅舎の写真を掲載しま
 したが、ちょうどこの頃は石炭に最後の希望を託した新鉱の
 開発が始まった頃ですので、まだ人も多かったし、駅前には
 いつも客待ちのタクシーがいたものです。 夕張市内で最も
 早く信号機が設置されたのも、確か清水沢駅前だったのでは
 なかったかと思います。

 右の2枚の写真は2010年の10月に私が撮ったものです。上の
 写真はあえて他の人があまり公開していないアングルからの
 ものを選びました。 駅前の丁字路を山側に少し登った位置
 から撮った写真で、右側のオレンジ色の建物が本や文房具の
 文化堂、正面の突き当りが清水沢駅です。この写真にもまだ
 客待ちのタクシーが写っていますね。

 1972年と2010年の駅舎の写真を較べると、玄関の上の小屋根
 の形状が違ったり、2階の高さにある窓が埋められていたり
 するなど多少の変更はありますが、この半世紀ほぼ同じ姿で
 この場所から駅舎は変わりゆく町を見続けてきました。

 旧夕張駅は取り壊されて久しく、この先も老朽化で取り壊さ
 れる駅舎が続くかもしれません。 町を町たらしめる要素と
 して、鉄道や学校は運営コスト面から語られる以上の重さが
 あると思います。 既に組織上は夕張警察署もありません。
 鉄路が消えた以上、駅舎が取り壊されるのは今さら止められ
 ないでしょうが、この先夕張高校だけは何としても無くなら
 ないでほしいと思ったりしています。




 2022年12月01日(木)  
【 向陽中と夕張中 】
ついに師走を迎えました。 今年はコロナ感染症が続いているだけ
 でも重苦しいのに、ウクライナ侵略戦争が起こり、何とも暗い一年
 でしたね。

 校歌のほうは向陽中学校の校歌の編曲はかなり進んできたのですが
 最終的に音にするためのソフトが未だにうまくインストールできて
 いません。 思い起こせば、前のPCにソフトを入れる時もかなり
 往生したので、予想通りといえばそうなのですが・・・。

 ついでにこれとは別に用意しているオーケストラ音源も、DVDを
 読み込む段階でエラーで、これまたインストールできず、こちらは
 輸入元に確認しないとたぶん解決しないと思われます。 いずれに
 しろ、これでは楽譜ができても音になりません。 悪戦苦闘の日々
 はもうしばらく続きそうです。

 向陽中学校の校歌編曲が終わったら、次は夕張中学校(現在残って
 いる夕張中学校ではなく、東山中学校と第一中学校との統合校)の
 校歌編曲にかかる予定です。 実は私はこの夕張中学校の開校式に
 出席しています。 当時は大学生だったのですが、北高の吹奏楽部
 が開校式で演奏することになり人手不足で手伝ったんです。 白い
 ワイシャツ着てれば判らないだろうということで。 ですから開校
 記念のペン立てを今でも持っています。現ゆうばり小学校の開校式
 も呼んでいただいたので、2つの学校の開校式に出席したことにな
 りますね。 教育関係の仕事に就いているわけでもないのに貴重な
 経験をさせて頂いたなあと思っております。